東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。
玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。
羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。
→ 玉川上水を歩く Index
四谷大木戸を出発。
新宿御苑の横を通り過ぎ、新宿駅を通り抜け、
葵橋跡を眺め、西新宿の高層ビル前を通り、
玉川上水を遡る。
新宿から笹塚までの玉川上水は暗渠になっており、
暗渠の上は「玉川上水旧水路緑道」として整備されている。
代々木地区を通り過ぎ,
山手通りの首都高中央環状線の高架をくぐって初台地区へ入る。
初台地区はけっこう長く続き、
伊東小橋跡を通り、
初台駅に続く通りを渡る改正橋跡を越えて更に西へのびる。
緑道の横には雰囲気の良い商店が並んでおり、
昔ながらの店もありそうだった。
こんな店で傘を買ってみたくはないだろうか?
初台駅から幡ヶ谷駅まで区間には
「玉川上水旧水路 初台緑道」という名前がついていて、
初台駅寄りには公衆トイレや遊具がある。
緑道に沿って、
玉川上水を思い起こさせる水路が設けられていた。
水路に水が流れるのは夏場だけ、
7月13日~8月31日の間だけらしい。
2月のこの日は乾いた水路でスズメたちが遊んでいた。
水路の横は桜並木となっている。
桜の頃は綺麗だろう。
玉川上水が流れていたことを思い起こさせる
水道の基準点の柱が水路脇に埋め込まれていた。
初台緑道の端には目立つモニュメントが立っていた。
初台緑道の終点、
西原地区との境目、幡ヶ谷駅跡の交差点に
代右衛門橋がある。
気をつけて見ないと、
道路との境にある単なるガードレールだと思って通り過ぎてしまいそうだ。
橋の名前の由来は寛政年間(1789~1801)の大地主、
並木代右衛門。
『上水記』(1791年/寛政3年)に
代右衛門橋の名が書かれているとのこと。
その後の記録では、明治3年(1870年)に代々木橋、
明治39年(1906年)に代右衛門橋と記されているそうだ。
歴史ある橋である。
代右衛門橋のあと短い緑道が続き、
旧水路緑道は初台地区から西原地区へと移り変わる。
所々に東京都水道局の基準点が埋め込まれている。
初台地区と西原地区の境目の道路。
ここには橋の跡は見当たらなかった。