玉川上水を歩く (55) 宮の橋から見影橋

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index


1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事は、6日目、
宮の橋から武蔵砂川駅近くの見影橋までの写真を載せた。

宮の橋近くの玉川上水緑道のベンチ

宮の橋の北から玉川上水緑道に入り、
流れを遡って歩いて行く。

宮の橋近くの玉川上水緑道

緑道の脇にシャガの花が咲いていた。

玉川上水緑道の脇の咲いてきたシャガの花

大きな木には名札がついている。
これはイヌザクラの木。

イヌザクラの木

都道55号線の交叉点にさしかかり、
金比羅橋という橋が架かっていた。

金比羅橋の欄干は、玉川上水らしく桜模様だ。

金比羅橋の桜の欄干と玉川上水
金比羅橋から見た玉川上水下流方面

金比羅橋の南から、
玉川上水を少しばかり遡ったところに金比羅山がある。
金比羅橋の名前はもちろんこれに因んでおり、
橋の横に案内看板も立っていた。

金比羅山案内

相変わらずの無骨な禁止看板。
禁止看板って効果あるのだろうか。

東京水道サービスの禁止看板

玉川上水駅からここまで
玉川上水の北側の緑道を歩いてきたが、
金比羅橋の先は南側を歩いてみることにした。

金比羅橋近くの玉川上水緑道
緑道脇の藤の花
金比羅橋と見影橋の間の玉川上水緑道
緑道脇の廃屋

三叉路に出た。
この後道が広くなり、
南側は広々とした見影橋公園になっている。

見影橋公園

公園前の玉川上水のフェンスに説明看板があった。
歴史の説明の下にちゃっかり禁止事項がてんこ盛り。
げんなりするんですけどっ><

「上水の歴史」の看板

上水の歴史
玉川上水の建設者は、加藤庄右衛門と清右衛門の兄弟で、江戸町奉行の委託で計画したものである。今から約330年前、承応2年(1653)に始まり、翌3年6月に完成したと記録されている。羽村から四谷大木戸まで約47kmの長距離を測量器(レベル)のない時代に驚くべき早さで完成させた事は当時の土木技術の水準の高さを物語っている。又、この辺一帯の新田開発には上水から分水が利用され、大発展した。

見影橋近くの説明板
見影橋公園の北の玉川上水緑道

見影橋公園の前を通り過ぎると
見影橋に到着。

見影橋
見影橋
御影橋と源五右衛門分水

見影橋と源五右衛門分水
 見影橋は、江戸時代から架かっていた古い橋です。その頃は村を流れる玉川上水の、上流から四番目の橋だったので「四ノ橋」とよばれました。また、名主の屋敷に近いこともあって「旦那橋」ともよばれました。大正時代に「御影橋」となり、今では「見影橋」の字をあてています。
 橋が広げられるまでは、たもとに明治初めの名主家当主の名前にちなんだ「源五右衛門分水」の取入口がありました。今でも橋の南西下側にはその跡が残っており、見ることができます。

「見影橋と源五右衛門分水」の看板

橋の上から上流方面を眺めると、
少し先で満開の八重桜が水面に垂れていて美しかった。

見影橋から見た玉川上水上流方面

見影橋の横には送水管が通っており、
橋の南西側には源五右衛門分水の取水口がある。

送水管と源五右衛門分水の取水口
見影橋と源五右衛門分水取水口
源五右衛門分水の取入口

玉川上水散歩の6日目、2019年4月21日は、
武蔵砂川駅に近いこの見影橋で終了。
駅を目指して玉川上水の横を歩いて行くと、
ほどなく駅のホームと電車が見えてきた。

武蔵砂川駅のホームと西武鉄道の電車

玉川上水の北を走る道は、
金比羅橋の北を起点とする上水北通り。
もう少し西の諏訪松中通り(松中橋)まで続いている。

上水北通りと玉川上水

見影橋の上からも見えていた八重桜。
武蔵砂川駅はこのすぐ北にあった。

玉川上水と八重桜

次回の玉川上水歩きはここから出発だが、
この桜の花はもう散っていることだろう。