玉川上水を歩く (65) 福生橋から熊野橋

かやと橋から見た玉川上水の上流方面

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index


1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

7日目の2019年5月3日は、
見影橋を出発、拝島駅駅前の平和橋まで歩いた。

8日目の2019年5月5日は、
平和橋を出発、玉川上水の起点である
羽村取水口まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

福生橋の上流も玉川上水の堤に道が無かったので、
新奥多摩街道(都道29号)を歩いて上流方面へ向かった。
途中に青梅橋という橋があったが、
少々距離があったので、見学せずに先を急いだ。

牛浜郵便局前交差点

五日市街道と新奥多摩街道が交差する牛浜郵便局前交差点で、
五日市街道へと左折し牛浜橋を目指す。


牛浜橋(うしはまばし)

牛浜郵便局前交差点から50mほど歩くと牛浜橋だった。
空に写っている虹は、環水平アーク。

牛浜橋と環水平アーク

   牛浜橋(うしはまばし)
 現在の牛浜橋は、昭和52年3月にかけ替えられたものであります。
 牛浜橋は、東京と甲州を結ぶ五日市街道に架ける橋として、馬車や牛車の往来により在来の木橋では破損が多く、管理費の負担は大変でした。
 明治初期に新政府が東京市の近代化を図るために熊本より石工を招き、二重橋をはじめ木橋を洋風の眼鏡橋に架け替えたことを見聞した村民が、牛浜橋に取り入れ、明治10年12月に、めがねばしと愛称された牛浜橋は建設されました。
 平成4年度に行った玉川上水橋梁群整備では、石と鋳物を用いて歴史的背景を取り入れ、親柱や高欄、歩道舗装の改善などを行いました。
 橋  長 12.6m
 幅  員 11.3m
 構造形成 PCプレテンション床版桁橋
 架設年次 昭和52年3月

牛浜橋の説明板

牛浜橋の歩道には、蛍の絵が埋め込まれている。
一つ下流の青梅橋は「ほたる通り」に架かっており、
牛浜橋と青梅橋の間には「ほたる公園」がある。
この公園周辺では毎年6月に「福生ほたる祭」が行われ、
沢山の蛍が見られるそうだ。

牛浜橋を渡り、橋の南の牛浜交差点を右折。
奥多摩街道(都道29号)を歩いて西へ向かう。


萱戸橋(かやとばし)

しばらく歩くと玉川上水に小さな橋。
萱戸(かやと)橋だ。

萱戸橋(かやとばし)

萱戸橋(かやとばし)は、
昭和49年4月に新設された小学校の通学用として
昭和51年3月に竣工した。

橋名の由来は、
武蔵野に自生し、屋根葺きに利用されてきた萱(茅)。
寛文12(1672)年頃からカヤトの小字名が使われていたとのことで、
無人の萱野原を中福生や牛浜の人々が開拓していった。

橋のたもとには道路標識。
萱戸橋から一つ上流に架かる熊野橋と歩道橋がよく見えていた。

郊外ならではの広々としたカーランドリーの横を通り、
萱戸橋から見えていた歩道橋の方へ歩く。
南の空には相変わらず環水平アークが見える。

玉川上水横のカーランドリー福生店と環水平アーク

熊野橋(くまのばし)

歩道橋がある熊野橋の交差点に到着。
多摩橋通り(都道166号)と奥多摩街道(都道29号)の交差点で、
多摩橋通りが玉川上水を渡る橋が熊野橋だ。

熊野橋と奥多摩街道(都道29号)

   熊野橋(くまのばし)
 現在の熊野橋は、昭和56年3月に架け替えられたものであります。
 熊野橋は、承応2年(西暦1653年)玉川上水開削に際し、村に農道として他の橋とともに民費で架けられました。
 この地は、村人が信仰する熊野権現を勧請した神域内を上水が貫流することから、いつか”熊野橋”の愛称が定着しました。
 橋畔から、美しく連なる山並みを望み、上水の流れに群れ遊ぶ水鳥の風情など、四季を通じて変わらぬそして飽きない眺めといえましょう。
 平成6年度に行った、玉川上水橋梁群整備では、橋名に因んで親柱と高欄に、歴史的背景を加味して権現造りのイメージを取り入れた改善を行いました。
   橋  長:12.6m
   幅  員:19.40~25.95m
   構造形式:PCプレテンション床版桁橋
   架設年度:昭和56年3月

熊野橋の説明板

熊野橋の親柱には、
玉川上水橋梁群整備の銘板がついていた。
水鳥と橋の絵が可愛らしい。

熊野橋歩道橋から見た玉川上水と中福生公園と奥多摩街道

熊野橋の上流には中福生公園があり、
公園と玉川上水の間が道になっている。
熊野橋歩道橋から公園の入り口がよく見えていた。

中福生公園の入り口

玉川上水を歩く (64) 五丁橋から福生橋

福生橋から見た玉川上水

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index


1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

7日目の2019年5月3日は、
見影橋を出発、拝島駅駅前の平和橋まで歩いた。

8日目の2019年5月5日は、
平和橋を出発、玉川上水の起点である
羽村取水口まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事では、
8日目、水喰土公園の近くの五丁橋から
新奥多摩街道(都道29号)が玉川上水を渡る
福生橋までの写真を載せた。

水食土公園を出て青梅線の線路沿いを歩き,
最初の踏切を背に玉川上水の橋の方へ右折する。
玉川上水に架かっているのは五丁橋。

五丁橋

橋を渡って武蔵野台地へ上ったところに
かつて「五丁山」という山林があり、
それが橋の名の由来になっているそうだ。

この日は気づかなかったが、
橋のほとりに「三界万霊塔」と刻まれた慰霊塔があり、
かつて「念仏橋」とも呼ばれていたとのこと。
昔から架かる橋で村に管理されていたが、
昭和39年3月に現在の橋に架け替えられている。

五丁橋の足元にあった案内板

五丁橋の上流は玉川上水沿いが住宅地になっていて
長らく続いていた玉川上水緑道がない。
橋を渡ってすぐに左折し、住宅地の中を歩く。

多摩川の河岸段丘で
住宅地には大きな段差と坂道がある。
坂道を下りると青梅線の線路沿いの道に出た。

青梅線沿いをしばらく歩き、
踏切を渡って、山王橋通りを南下。
玉川上水の山王橋へ向かう。

山王橋交差点

昔,わらつけ街道の東の方にあった「山王塚」という池に,
福生院の住職が建てた石塔「山王大権現」があり,
寺と塚を結ぶ道に架けられたこの橋は「山王橋」と呼ばれた。

石塔は,現在は地主の森田家邸内に移され祀られているとのこと。

かつては木橋だったが、昭和37年に架け替えられ,
平成12年度には下流側に歩行者用の山王橋が新設されている。

山王橋歩道橋

山王橋の上流側には大きな水道管が通っていた。

山王橋の北詰から玉川上水の横の道を上流へ向かって歩く。

山王橋の北詰から続く玉川上水沿いの道

しばらく玉川上水沿いに歩いたあと、
住宅地の入り組んだ道を通り、
福生橋が架かる都道29号(奥多摩街道)を目指す。

福生橋は新奥多摩街道に架かる。

新奥多摩街道と福生橋
福生橋

橋の名は,
「福生町広報」昭和33年1月号にて募集され,
「福生橋」と命名されたそうだ。

福生橋付近も玉川上水のほとりは住宅地となっており、
横を歩ける緑道は整備されていない。
このため、橋を見た後は
新奥多摩街道(都道29号)を歩いて上流方面へ向かった。

参考:
ふっさの「橋」|東京都福生市公式ホームページ