玉川上水を歩く (47) 鷹の橋からいこい橋

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

   *****

1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事には、
西武鉄道国分寺線が通る鷹の橋から、
小平市上水公園の南に架かるいこい橋までの写真を載せた。

鷹の台駅前道路の街灯
鷹の台駅前道路のマンホール

西武鉄道国分寺線が玉川上水を渡るスポットは、
鷹の台駅前道路からよく見える。
線路の向こうは小平市中央公園で緑豊かだ。

西武国分寺線と玉川上水
西武国分寺線と玉川上水
西武国分寺線の線路と玉川上水橋梁の立て看板
国分寺線の線路と鷹の台駅のホーム

鷹の橋のたもとから玉川上水緑道に入る。

鷹の橋

この区間の玉川上水は、玉川上水の北を新堀用水が流れ、
玉川上水と新堀用水の間を玉川上水緑道が通っている。
玉川上水の南は、車道と歩道が並ぶ玉川上水通りだ。

鷹の橋と玉川上水緑道

鷹の橋横の緑道脇に、玉川上水の説明板があった。

鷹の橋たもとの玉川上水説明板

   国指定史跡 玉川上水
江戸・東京の水道に果たした役割
 玉川上水は、羽村取水口から四ッ谷大木戸までの約43kmにわたる水路で、承応3(1654)年に完成しました。これにより、多摩川の水が江戸市中の広い範囲に供給されることとなり、江戸が大きく発展することができました。
 その後、明治31(1898)年に完成した淀橋浄水場(今の新宿区)への水路として、昭和40(1965)年に同浄水場が廃止されるまで、利用されていました。
 現在も羽村取水口から小平監視所までは、現役の水道用の水路として、都民の生活を支えています。

貴重な土木施設・遺構としての歴史的価値
 玉川上水は、約43kmの区間を約92mの標高差(100mでわずか約21cmの高低差)を利用して、水を流すように設計された長大な土木施設・遺構です。
 特に、小平監視所から浅間橋までの中流部には、開削当時の素掘りの水路・法面(のりめん)が多く残され、往時の姿を今日に伝えています。
 玉川上水は、近世の水利技術を知る上で重要な土木施設・遺構であることから、平成15(2003)年8月,開渠(かいきょ)区間約30kmが国の史跡に指定されました。

小平発展の基礎となった玉川上水
 小平市付近では、火山灰が降り積もってできた土地で、雨がしみこみやすく、水の乏しい地域でした。
 江戸時代に玉川上水が完成すると、この水を利用して、小川九郎兵衛らにより、明暦2(1656)年,小平市の前身である小川新田の開拓が始まりました。
 このように玉川上水は、現在の水と緑の豊かな小平の発展の基礎となりました。

 昭和61(1986)年からは、東京都の清流復活事業により、小平監視所から浅間橋までの区間に下水高度処理水が流され、水辺空間が復活しています。
 玉川上水に関する情報は、https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/ でご覧いただけます。

東京都水道局 鷹の橋 玉川上水説明板
緑道にあった水道用地の識別碑

玉川上水緑道は新緑で美しく、
散策する人やベンチで休む人の姿もあった。

鷹の橋近くの玉川上水緑道

緑道の脇には民家や小さな店などが並び、街並みも美しい。

玉川上水緑道脇の道

ほどなく新小川橋に到着。
水車通りと玉川上水が交わる地点で、
信号がある比較的大きな交差点だ。

新小川橋
新小川橋
新小川橋

水車通りの街灯は鷹の台駅前通りとお揃いだ。

水車通りの街灯
新小川橋の説明板

新小川橋(しんおがわばし)
 この橋は、小川村の中で玉川上水に三番目に架けられた橋で、「三左衛門橋」と言われていました。
 長さ四間半(約8.2メートル)、横五尺(約1.5メートル)で、延方2年(1674)から元禄13年(1700)の間に、架設されたものと思われます。
 三左衛門橋は、享和3年(1803)、天保9年(1838)、嘉永元年(1848)、安政3年(1856)に架け替えられています。
 「新小川橋」に名称が変更されたのは、明治43年(1910)1月で、この時、丸石積の石垣で橋台が構築され、新しい橋として開通しています。
   参考文献 「玉川上水と分水1」
        小平市教育委員会発行
   平成14年3月 小平市

小平市 新小川橋の説明板
水車橋

新小川橋のすぐ横には、
歩行者専用の小さな橋、水車橋が架かっている。

水車橋横の禁止看板
水車橋と新小川橋

新小川橋&水車橋の上流の新堀用水の北は住宅地になっていて、
そのまま住宅へ繋がる橋が架かっている。

民家へ続く新堀用水の橋

更に上流の住宅地には
新堀用水を渡って住宅地へ続く小さな橋が幾つも架かっていた。

緑と花の向こうの緑道脇建物
新堀用水の「くさぼけ橋」

また、緑道の北にある創価学園へ入るための希望の橋、
玉川上水の南北に広がる学園を結ぶ構内陸橋、栄光橋も架かっていた。

創価学園の希望の橋

緑豊かな玉川上水緑道は、林の中の一本道のようだ。

玉川上水緑道

創価学園を過ぎて上水新町第2公園に差し掛かったあたり。
メンテナンス用なのか、
立ち入り禁止の名前のない橋が架かっていた。

見上げると、新緑が大変美しい。

玉川上水緑道の新緑

上水公園テニスコートあたりの新堀用水。
新小川橋周辺は石積みの堀だったが、
このあたりはコンクリートで固められていて独特な雰囲気だ。

新堀用水と上水公園テニスコート

上水公園の南の玉川上水に架かる「いこい橋」。
南の住宅地へ続く小さな橋だ。

いこい橋

玉川上水を歩く (46) 久右衛門橋から鷹の橋

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

   *****

1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市の鷹の台まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事には、
府中街道(都道17号)と玉川上水が交差する久右衛門橋から
西武国分寺線鷹の台駅の南に架かる鷹の橋までの写真を載せた。

この区間の玉川上水は,北が玉川上水緑道と新堀用水で,
新堀用水の北は小平市立中央公園になっている。
玉川上水の南は一方通行の玉川上水通りだ。

出発地点の久右衛門橋のたもとに、玉川上水の説明板があった。

久右衛門橋たもとの玉川上水説明板

清流の復活 ―玉川上水―

 玉川上水は江戸時代の承応2年(1653)年、人口が急増した江戸の飲料水確保のために作られた水路です。
 この上水は、江戸市中への飲料水の供給という目的以外に、武蔵野台地の各地に分水されて飲料水・かんがい用水・水車の動力などに利用され、武蔵野の発展に大きな役割を果たしました。水路は明治時代以降も淀橋浄水場(新宿区)への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、昭和40(1965)年以降、小平監視所より下流は水の流れが途絶えました。
 その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の「清流復活事業」によって、昭和61(1986)年8月から、玉川上水の小平監視所より下流側に再び清流がよみがえりました。

 玉川上水は、高い歴史的価値を持ち自然豊かな憩いの空間であることから、東京における自然の保護と回復に関する条例に基づき「玉川上水歴史環境保全地域」に指定されています(羽村取水口から四ッ谷大木戸までの区間のうち開渠区間)。玉川上水歴史環境保全地域では、貴重な植物を採る、他の地域の生物を放す・植物を植えるなどの行為はしないよう、水と緑の豊かな環境を大切にしましょう。

久右衛門橋 玉川上水説明板
(東京都環境局自然環境部水環境課)

久右衛門橋の横には水の管が通っていた。

久右衛門橋の横

玉川上水の北を新堀用水が平行して流れている。

新堀用水の北は小平市立中央公園

玉川上水緑道に、囲いで保護された木があった。
木のうろにはミツバチが群がっている。
珍しいニホンミツバチの巣ということだ。

ニホンミツバチの巣の説明板
ニホンミツバチ

ほどなく前方にベンチと橋が見えてきた。
玉川上水通りから小平市立中央公園へ行くために
玉川上水と新堀用水を渡る橋だ。

玉川上水緑道と東鷹の橋とうさぎ橋

このあたりの玉川上水緑道には
「木もれ日の径」という愛称がついているようだ。

新堀用水と「木もれ日の径」の立て札
新堀用水と兎橋

小平市立中央公園へ向かう人が意外と多く、
ひっきりなしに人が通っていく橋だ。
玉川上水の説明板もあった。

東鷹の橋・うさぎ橋のたもとの説明板

A-11 玉川上水 Tamagawa-josui Irrigation Canal

 江戸時代の前期、江戸市中へ給水する目的で、武蔵野国多摩郡羽村(現羽村市)の多摩川に取水口を設け、四ッ谷大木戸(現新宿区)までの約43km間を導水した素掘の開渠水路です。工事は玉川庄右衛門・清右衛門兄弟が請け負い、承応(じょうおう)2年(1653)4月に着手、同年11月に四ッ谷大木戸まで竣工したとされています。
 江戸市中に入った上水は、地中を木樋等で配水されて人々の生活を潤しましたが、一方で武蔵野台地の新田開発の潅漑及び生活用水としても機能しました。上水からの分水による生活用水の確保が、現在の小平の母体である小川村の成立につながりました。
 優れた測量技術に基づく長大な土木構造物である玉川上水は、貴重な土木遺産として、開渠部分の約30.5kmが国の史跡に指定されています。

 東京小平ライオンズクラブ
 小平市教育委員会
 小平郷土研究会

東鷹の橋・兎橋横の説明板
うさぎの絵が可愛い兎橋

東鷹の橋・うさぎ橋と隣接して
鷹の橋と西武国分寺線が走っている。

新堀用水と鉄道橋
東鷹の橋付近から見た玉川上水緑道
東鷹の橋
東鷹の橋から見た玉川上水下流
東鷹の橋から見た玉川上水上流
東鷹の橋から見た兎橋と小平市立中央公園
うさぎ橋から見た東鷹の橋
うさぎ橋から見た新堀用水と玉川上水緑道
兎橋と東鷹の橋

小平市立中央公園の入り口のベンチで一休みしていると
周辺をムクドリが歩き回っていた。

鷹ノ橋から鷹の台駅へ向かう径

小平市立中央公園の横を
西武国分寺線と鷹の台駅へ向かう鷹の橋が
平行して架かっている。

鷹の橋

 鷹の橋
 この鷹の橋は、昭和34年に初めて櫓組式(やぐらくみしき)の木製で架設された。通路幅約一間(約1.8メートル)ほどの橋でした。
 その後,昭和40年3月にコンクリートの橋に架け替えられ、現在の橋の長さ13メートル、幅4.5メートルとなりました。
 また、橋の名称につきましては、近くにある鷹の台駅へ通ずる橋である事から、名付けられました。
   参考文献「小平市30年史」 小平市発行
   平成16年3月 小平市

鷹の橋 説明碑
玉川上水開渠の上を走り抜ける西武鉄道
玉川上水開渠と西武鉄道の線路

折しも桜の季節で風景が美しかった。

玉川上水開渠の上を走り抜ける西武鉄道
玉川上水開渠と西武鉄道の線路
鷹の橋から見た東鷹の橋と兎橋

鷹の橋を渡ると、玉川上水散歩の5日目の行程は終了。
鷹の台駅から帰途についた。

鷹の台駅の駅前道路
鷹の台駅前

鷹の台駅は玉川上水の鷹の橋からすぐで、
玉川上水散歩をするには便利な駅だ。