東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。
玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。
羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。
→ 玉川上水を歩く Index
四谷大木戸を出発。
新宿御苑の横を通り過ぎ、新宿駅を通り抜け、
葵橋跡を眺め、西新宿の高層ビル前を通り、
玉川上水を遡る。
新宿から笹塚までの玉川上水はほぼ暗渠になっており、
暗渠の上は緑道として整備されている。
代々木地区・初台地区を東へ歩き、
西原地区と大山地区を南東へ歩き、
都道420号を渡って世田谷区に入り、
流路は北東の笹塚駅方面へ、大きく向きを変える。
玉川上水第二緑道の北端で開渠となり、
初めて玉川上水の水面と出会う。
三田用水取水口を見て笹塚橋を通過すると再び渋谷区だ。
2019年2月18日、玉川上水の水はとても少なく、
季節柄、土手に梅が咲いていた。
冬枯れの紫陽花があったので、
初夏になれば紫陽花が綺麗なのだろう。
上水の中で餌を探すコサギの姿も見られた。
「ここはあぶないところですから、はいっては、いけません」
なる水道局の看板。そんなに危ないの?
渋谷区の看板もあった。
ここは東京における自然の保護と回復に関する条例に基づいて指定された玉川上水歴史環境保全地域です。
この由緒ある歴史的遺産と武蔵野の自然を地域の方々とともに守り育てることとしています。ごみを捨てたり、水路を傷めたりしないようにご協力ください。
東京都・渋谷区
やがて正面に橋と笹塚駅が見えてきた。
橋の名前は「第三号橋」。
橋の横に玉川上水の説明版があった。
玉川上水 笹塚一丁目23番
玉川上水の説明版(笹塚1丁目23番)
玉川上水は、江戸時代の承応(じょうおう)二年(1653年)に、多摩川上流の羽村に取水口を設け、四谷大木戸までの全長約四十三キロメートルにわたって開削された上水道です。
老中松平伊豆守(まつだいらいずのかみ))信綱(のぶつな)が総奉行、伊奈半十郎忠治(ただはる)を水道奉行とし、庄右衛門(しょうえもん)・清右衛門(せいえもん)兄弟の手によって開削工事は着工されました。兄弟は難工事に失敗を重ね、信綱の家臣安松金右衛門(やすまつきんえもん)吉実(よしざね)が改めて工事を行い成功させたとの説もあります。
この事業は、羽村から四谷大木戸まで掘り割りをつくって上水を引くという大工事でしたが、同年十一月に四谷大木戸まで、翌年六月には江戸市中までそれぞれ完成し、通水を開始しました。
その功績によって、庄右衛門・清右衛門兄弟は玉川の姓を名のることを許されたといわれています。
上水は、江戸市中の生活用水として使われましたが、その余水は農業用水にも用いられました。また、その落水を使用して水車を動かすなど、この渋谷にも限りない恩恵を与えてくれました。
平成十五年に開削三百五十年周年を迎えた玉川上水は、同年八月二十七日に国指定の史跡となりました。
渋谷区教育委員会
大三号橋の北は笹塚駅に向かって
緑道公園として整備されていた。
玉川上水は笹塚駅で進路を変え
その上流はまた南へ向かう。
つまり笹塚駅が蛇行の北端に位置し、
流路としてはここまで北東へ向かって流れてきて、
ここ笹塚駅前から南東へ向かう。
玉川上水の向きが変わる部分に架かる橋は
「南ドンドン橋」。
風景に橋があった形跡はなく、
古い橋の親柱のみが道端に残されていた。
北へ向かって流れていた玉川上水は
ここで南に流路を変えるため、
勢いよく流れてきた水が上水の堤に当たって
ドンドンと大きな音を立て、こんな名前がついたとのことだ。
南ドンドン橋の親柱のみひそかに立つ笹塚駅前だが、
道路には水道用地を示すマークがあり、
この道路の下を玉川上水が流れていることがわかる。
玉川上水を歩く旅の第一部(2019-02-18)はここで終了。
第二部(2019-03-20)は笹塚から久我山までを歩いた。