早春の 雲は流る 形せり
熊本隊出陣の碑
ゆう二
1000年以上の歴史を持つ熊本市最古の神社,健軍神社。
その門前に,西南戦争の碑がある。
西南の役 熊本隊出陣之所
西南の役 熊本隊出陣之所 説明版
明治10年2月(西南の役)薩軍が立上って熊本に向かうと、九州各地の士族達も薩軍と提携して政府を倒そうと一斉に立上った。中でも熊本では、学校党に属する1400名が、22日早朝、健軍神社に集合して会議を開き、薩軍の熊本城総攻撃の砲声毄々と響く中で挙兵と決した。同日夕刻、神前に神楽を奏して結成式を行い、池辺吉十郎を隊長に仰ぎ熊本隊と号した。ここは同隊が出陣之第一歩を踏み出した所である。
市内主戦関係地……熊本城天守閣内
川尻(延寿寺・西郷本陣跡)
花岡山砲座の跡・官軍墓地
二本木神社境内
=最寄りの地=
熊本協同隊出陣の地(保田窪菅原神社境内)
熊本城突囲隊出撃の所(白川右岸大甲橋下流)
熊本市
明治10年2月22日。
碑に「早春」と刻まれているが,
2月下旬の熊本は,既に早春の佇まいなのだ。
肥後(熊本)の士族の若者約1400名が,この地で挙兵を決した。
そして同夕刻,神前で結成式を行い,薩軍の援軍として出陣した。
熊本鎮台が置かれた熊本城は薩摩軍に包囲され,
繰り返された激戦の中でも,3月の田原坂の戦いはよく知られる。
乃木希典少佐が薩軍に軍旗を奪われたエピソードも有名だ。
下は,記念碑の前から見る,健軍神社の楼門。
この鳥居のから参道を眺めると,
測ったように真正面に雲仙岳が見え,敬虔な気持ちになる。
熊本市で生まれ育った私は,西南戦争の名を聞くと,
ちょっと切なく,ちょっと誇らしい気持ちになる。
熊本城天守閣が,この戦争で焼け落ちたから。
それでも清正公の熊本城は,薩軍に負けなかったから。
熊本城が焼け落ちた日のことは,
明治元年・熊本生まれの軍人,石光真清の手記『城下の人』に詳しい。
西南戦争からロシア革命まで,歴史の隙間を綴る4冊の手記は一読に値する。
私の曾祖父の弟は,熊本隊に加わり18歳で戦死したそうだ。
そう聞くと,この碑は自分の存在とそう縁遠いものではないと思え,
ここに来ると,この地の歴史の中で育ったことに想いを馳せる。
下は2004年,2005年に撮った同じ場所。
鬱蒼と木々に囲まれていたのだが,
2021年秋に訪れたこの場所は,ひどく明るくサッパリしていて
少々面食らったのだった。