この記事は,『大草原の小さな家』のシリーズの個人的な備忘録である。本稿では,ローラが13歳の秋に始まる『長い冬』から結婚後ミズーリ州に移住する『我が家への道』まで,岩波書店から発行されている5冊について書いている。
福音館書店発行の前半5冊『大きな森の小さな家』~『農場の少年』とは翻訳者が異なり,特に1950年代に出版された鈴木哲子訳は,続けて読むとかなり違和感がある。
2000年以降に出版された新訳(谷口由美子訳)では,福音館書店刊の前半との違和感がほぼ解消されている。また,上下巻に分かれていた『長い冬』と『この楽しき日々』も1冊にまとめられ読みやすくなった。
岩波書店から現在入手できるのは新訳のみである。
福音館書店発行の前半5冊については別記事にまとめている。
→ インガルス一家の物語 (1)
(1)の内容は下記の通り。
インガルス一家の物語 (1) の目次
- インガルス一家の物語について
- 繰り返し読んで楽しめる物語
- 人種差別と西部開拓
- 大きな森の小さな家―インガルス一家の物語〈1〉 (世界傑作童話シリーズ)
ウィスコンシン州でのインガルス一家 - 大草原の小さな家―インガルス一家の物語〈2〉 (世界傑作童話シリーズ)
カンザス州モンゴメリ郡でのインガルス一家 - プラム・クリークの土手で―インガルス一家の物語〈3〉 (世界傑作童話シリーズ)
ミネソタ州ウォルナット・グローブ時代のインガルス一家 - シルバー・レイクの岸辺で―インガルス一家の物語〈4〉 (世界傑作童話シリーズ)
ダコタ・テリトリーのデ・スメットでのインガルス一家 - 農場の少年―インガルス一家の物語〈5〉 (世界傑作童話シリーズ)
ワイルダー家のこと - インガルス家とワイルダー家の年表
- 小さな家シリーズの覚え書き
マーサ・モース・シリーズ
シャーロット・シリーズ
キャロライン・シリーズ(クワイナー家の物語)
ローラ・シリーズ(インガルス一家の物語)
ローズ・シリーズ - 参考
目次
- 長い冬―ローラ物語〈1〉 (岩波少年文庫)
『長い冬』の頃のインガルス一家
鈴木哲子訳のこと
『長い冬』の出版について - 大草原の小さな町―ローラ物語〈2〉 (岩波少年文庫)
『大草原の小さな町』の頃のインガルス一家
鈴木哲子訳と谷口由美子訳 - この楽しき日々―ローラ物語〈3〉 (岩波少年文庫)
『この楽しき日々』の頃のインガルス一家
鈴木哲子訳と谷口由美子訳 - はじめの四年間―ローラ物語〈4〉 (岩波少年文庫)
ワイルダー夫妻の新婚時代
『はじめの四年間』出版の経緯 - わが家への道―ローラの旅日記 (1983年) (岩波少年文庫)
- 参考
長い冬―ローラ物語〈1〉 (岩波少年文庫)
ローラ13歳~14歳の秋から冬が終わるまで。
物語は,開拓農地の小屋へ引っ越して半年が過ぎた秋から始まる。
まだ暑い9月,ローラと父さんは干し草作りをしていたが,父さんはジャコウネズミの家の外壁が見たことがないほど厚いのを見つけ,厳しい冬になることを予言する。
10月に入ると同時に霜が降り,一家は急いでジャガイモやトマトなどを収穫し加工。その間に渡り鳥を狩るために出かけていた父さんは,ガンもカモも沢に降りてこず,高いところをひたすら急いで南へ向かうのを見て,呆然とした様子で帰ってきた。
そして10月中に最初の吹雪がやってきて,二日二晩続いたのだった。
長い長い厳しい冬の始まりだった。
町にやってきたインディアンの老人に「7ヶ月の吹雪」と警告されたこともあり,インガルス一家は開拓農地を離れ,町で冬を過ごすことにする。町には父さんが建てた店があり,開拓農地の掘っ立て小屋より暖かく安全に過ごせるのだった。
クリスマスの前だというのに,とうとう大雪のため町には汽車が来なくなり,春まで町には食糧も石炭も届かないことが確定してしまう!
やがて街中で小麦や肉,暖房の薪も底を突く。
母さんはコーヒー挽きで小麦を挽いて,父さんは干し草をよじって薪の代用にする棒を作った。何としても生き抜いて春を迎えるための創意工夫があり,食糧を調達するための命懸けの賭けがあった。
ようやく迎えた雪解け,そして待ちわびた汽車の到来。町の人たちはクリスマスに届くはずだったご馳走で,5月のクリスマスを祝うのだった。
『長い冬』の頃のインガルス一家
物語の舞台になったのは,1880年~1881年の秋から冬。現在でもサウス・ダコタ州の記録に残る厳しい冬だったという。
その頃一家が住んでいたのは,デ・スメットの南1.6kmほどのところにある開拓農地だった。また,父さんが所有していたデ・スメットの町の店は,本通りに面していた。
デ・スメットには80名の人々が住んでおり,インガルスの店の向かいにはフラーさんの金物屋があった。本通りには他にルース銀行やクランシーさんの店,ワイルダー飼料店,ミードのホテルが並んでいた。
1880年に父さんはデ・スメットの治安判事に認定されており,インガルス一家はできたばかりのデ・スメットの町の最初の住民として存在感を示していたようだ。
鈴木哲子訳のこと
1955年発行の『長い冬』のあとがきで,訳者の鈴木哲子さんはこう書いている。
「母ちゃん」のはなすことばは、都会の学校の先生のようなことばで、きっすいのお百姓さんのことばではないのです。けれども、日本語では感じが違うように思ったので、私は適当に農村らしくしたつもりです。
『長い冬 上』(L.I.ワイルダー作 鈴木哲子訳)
しかし,残念ながら訳者のこの工夫が,もの凄い違和感を与えてしまったと思う。
岩波文庫のこの後半シリーズの方が,福音館書店の恩地三保子訳『大きな森の小さな家』シリーズに先んじて出版されているので仕方がないとはいえ,福音館シリーズを先に読むと,キャロラインが如何に言葉遣いに注意を払う女性で,ローラやメアリイの言葉遣いを度々訂正していたかが書いてある。高等教育を受けて学校で教えていたキャロラインは,きっと本当に「都会の学校の先生のような言葉」を話していたのだと思う。なので「きっすいのお百姓さん」のような農村の言葉遣いをされると「キャロラインがこんな言葉遣いするわけない!」と始終思い続けてしまうのだ。
また,チャールズがキャロラインを「母ちゃん」と呼んだり,メアリーがローラを「ローラちゃん」と呼んだり,キャリーがローラを「姉ちゃん」と呼んだりするのも,名前で呼び合う欧米人の文化を誰もがよく知っている現代では,たまらなく違和感だ。仕方がないとはいえ,名前もキャロラインはカロリン,メアリイはメリーとなっていて,どうにも馴染めなかった。
現在入手可能な新訳(谷口由美子訳)ではこういった違和感がなくなり,ストレスなく読めるようになっている。
『長い冬』の出版について
本書,シリーズ後半の『長い冬』は,日本で最初に紹介された小さな家シリーズの本だ。
1955年の鈴木哲子訳(岩波書店)の出版より前,1949年に,コスモポリタン社から石田アヤ訳が出版されているとのことだ。
コスモポリタン社から出版されているのは『長い冬』のみで,少々不自然だし不思議な気がする。
参考:ローラ・インガルス・ワイルダー – Wikipedia
この事実を掘り下げたサイト様を発見したのでリンクを記しておく。
こちらのサイト様は,非常に詳細に小さな家シリーズ及びローラ・インガルス・ワイルダーについて研究されている。
1949年刊「長い冬」の選定 – ローラ・インガルス・ワイルダー 2 / Laura Ingalls Wilder 2
ローラ・インガルス・ワイルダー / Laura Ingalls Wilder
大草原の小さな町―ローラ物語〈2〉 (岩波少年文庫)
長い冬が終わった直後に始まり,ローラは14歳。
ローラの青春の始まりの物語で,発展していくデ・スメットの様子と大人になりつつあるローラのめまぐるしくも楽しい日々に思わず読み進んでしまう。
メアリーはアイオワ州の大学へ進学し,ローラは学校の先生を目指して勉学に励む。
この巻には印象的なエピソードがてんこ盛りで,深く心に残る場面が幾つもある。
まず,冒頭で大草原を散歩するローラとメアリー。長い冬が終わると,一家はすぐに開拓農地に戻り畑を耕す忙しい日々が始まった。ローラは一仕事終えるとメアリーを誘って散歩に出る。二人は幼い頃と違って,まるで同い年のように感じて打ち解けて話すのだった。
『プラム・クリーク』以来の学校生活の描写も生き生きとしている。
当時の学校で流行したサイン帳や名刺,流行の髪型,赴任してきたワイルダー先生との確執,級友達との人間関係,級友達だけで集まるパーティー。
発展していくデ・スメットでは初めての独立記念日の催しがあり,教会が建てられ,街中で楽しむ文芸会が開かれ,ローラはデ・スメットで町の人たちと過ごす生活を満喫する。
一時期は勉強を二の次にするほど毎日を楽しんだローラだったが,最後には教員試験に合格し,また次のステップへ歩み出すことになる。
『大草原の小さな町』の頃のインガルス一家
長い冬が終わった1881年の春からの物語。
1881年はメアリーが大学へ行った年で,メアリーとローラとキャリーは初めての写真撮影をした。現在見ることの出来る3姉妹の写真はこの時のものだ。メアリーは大学で点字の読み書きや裁縫・編物・織物,声楽にオルガン・ピアノを,7年間かけて勉強することになっていた。
父さんはデ・スメットの治安判事と学校委員を務めており,町の政治を担う重要な立場。また父さんと母さんとメアリーは町の組合教会の設立メンバーだった。
鈴木哲子訳と谷口由美子訳
先にも書いたが,鈴木哲子さんの旧訳(1957年)は人名表記や言葉遣いなど違和感が大きい。しかし,詩歌の訳は全体的に雰囲気があり優れていると思う。
一方,谷口由美子さんの新訳(2000年)は理解しやすいと思う。
紛失 ― 日の出と日没とのあいだに、
『大草原の小さな町』鈴木哲子訳 (p.316)
六十のダイヤモンドの「分」を
ちりばめた黄金の「一時間」。
報償なし―永久に消え去ったものだから。
日の出と日の入りの間に失ったもの
『大草原の小さな町』谷口由美子訳(p.351)
黄金の一時間 ダイヤモンドのように貴重な六十分
何をしてもつぐなえない 失ったものはもどらないのだから
Lost, between sunrise and sunset,
Little Town On The Prairie, Laura Ingalls Wilder, p.185
One golden hour, set with sixty diamond minutes.
No reward is offered, for it is gone forever.
谷口由美子さんの新訳には『テニソン詩集』の「ハスをたべる人びと」の意味(何もせずぐうたらしている人々)が解説してあって良かった。解説されないと日本人には理解しにくいことだと思う。
また巻末に当時のデ・スメットの地図が載っている。
この楽しき日々―ローラ物語〈3〉 (岩波少年文庫)
ローラは15歳。
『大草原の小さな町』の直後から始まる。
教員免許を取得したローラは,最初の任地ブルースター学校で教えるため,父さんの雪車で20km離れたブルースターさんの家へ向かう。
ブルースター学校での8週間は,ホームシックに加えてローラに冷たくあたるブルースターの奥さん,年下の先生であるローラをからかう生徒などで辛いものだった。
けれど,毎週金曜日になると必ずアルマンゾが迎えに来てローラをデ・スメットに連れ帰ってくれ,日曜日の午後にはブルースターさんの家まで送ってくれた。最初は家に帰りたい一心で親切なアルマンゾの雪車に乗っていたローラだったが,だんだん打ち解けてアルマンゾとのドライブを楽しむようになっていく。
ブルースター学校の任期を終えた後,ローラはまた学校の生徒に戻ったものの,その後もインガルス家の開拓小屋から通えるペリー学校と,デ・スメットの北のスピリット湖の近くにあるウィルキンス学校で教えることになった。
ローラは学校で教えてメアリーのためのオルガンを買う資金を稼ぎ,アルマンゾとのドライブや,メリー・パオワーやアイダなど級友達との交流を楽しんで青春の日々を過ごしていった。
そんなある日,アルマンゾはガーネットと真珠が輝く婚約指輪をローラに送った。ガーネットはローラの誕生石だ。
それからローラと母さんは結婚の支度をし,ローラとアルマンゾはブラウン牧師の家で結婚式を挙げたのだった。
『この楽しき日々』の頃のインガルス一家
ローラが教員免許を取得し初めての学校,ブシー学校へ赴任したのは1882年。この学校が作中の「ブリュースター学校」だ。
ローラとアルマンゾが婚約したのは1884年で,婚約後,アルマンゾと兄のロイヤルはデ・スメットを離れニューオリンズ博覧会へ出かけている。
翌1885年8月25日,ローラとアルマンゾはデ・スメットにて結婚した。
1885年は明治18年。日本では内閣制度が創設され,伊藤博文が初代内閣総理大臣に任命された年。アメリカではワシントン記念塔の除幕式が行われたり,フランスから自由の女神像がニューヨーク港に到着したりした年だ。
鈴木哲子訳と谷口由美子訳
谷口由美子訳(2000年)で全体的な違和感が解消されたことは前の3冊と同じ。
父さんが好んで歌う歌の中に「ハイランドのメアリー」(Hightland Mary)という歌がある。「ハイランド」はスコットランドの地名だが,鈴木訳では「高地」と書いて「ハイランド」とルビが振られており,意味がわからなかった。
谷口訳ではこれをきちんと「ハイランド」と書かれていて,ロバート・バーンズの詩である注釈もあり満足できた。
Ye banks, and braes, and streams around
Highland Mary, Robert Burns
The castle o’ Montgomery,
Green be your woods, and fair your flowers,
Your waters never drumlie!
There simmer first unfauld her robes,
And there the langest tarry;
For there I took the last Fareweel
O’ my sweet Highland Mary.
また,谷口訳では他の物語中の詩歌についても注釈がつけられている。
ローラの結婚前夜に父さんが弾いた曲は,アイルランド人ジェイムズ・モロイの「古いやさしき愛の歌」だそうだ。
はじめの四年間―ローラ物語〈4〉 (岩波少年文庫)
ローラとアルマンゾの婚約時代,結婚式の話をするところから始まる。
いきなりアルマンゾは「マンリー」という愛称で書かれていて,最初はちょっと戸惑った。
お百姓とは結婚したくないとずっと思ってきたローラと,百姓だけが独立した者だと言い切るアルマンゾは,三年間だけ農業を試す約束をする。
確かに農業の才能があった筈のアルマンゾだが,天は彼に厳しい試練を与え続けた。まるで苦しいことだらけのような印象の最初の四年間だ。天災に病気に息子の死,そして火災。不条理続きの報われない出来事が次々と起こる中,絶望せずに頑張るアルマンゾ。
新婚時代の物語だが,淡々と出来事が書き連ねられている,あまり明るくない印象の一冊だ。
ワイルダー夫妻の新婚時代
ローラがアルマンゾ・ワイルダーと結婚したのは1885年8月25日。
翌1886年12月5日にローズが生まれた。1886年という年は,ニューヨーク港で自由の女神像の除幕式が行われたり,ジョージア州アトランタでコカコーラが発売された年だ。
『はじめの四年間』には書かれていないが,ローズ誕生翌年の1887年,インガルス一家,父さん・母さん・メアリー・キャリー・グレイスは,デ・スメットの新しい家に引っ越している。
1888年にローラとアルマンゾはジフテリアに罹り,ローズはインガルス家に預けられていた。
1889年も辛い年となった。ローラとアルマンゾの第二子の男の子が誕生したが,12日後に死亡。その後,火事で家を焼失した。ローラの物語はここで終わっている。
1889年はサウス・ダコタが州に昇格した年で,メアリーはこの年に大学を卒業し帰郷した。
『はじめの四年間』が終わった直後の1890年,ワイルダー家はデ・スメットを離れ,ミネソタ州スプリング・ヴァレーへ移住。アルマンゾの両親と一緒に1年間暮らした。ローラは23歳。これがワイルダー一家の定住の地を求める放浪の始まりだ。
翌1891年,ワイルダー家は,今度はフロリダ州ウエストヴィルへ移住。
翌1892年,ワイルダー家は,デ・スメットに戻った。この年にインガルスの父さんは開拓農地を手放して町の家を増築している。
そして,1894年,ワイルダー家はデ・スメットを永久に離れ,ミズーリ州のマンスフィールドへ移住した。
『はじめの四年間』出版の経緯
この本の出版の経緯は小さな家シリーズの他の物語とは異なっている。
ローラが出版したのは『この楽しき日々』までの8冊で,『はじめの四年間』はローラの遺品の中から発見されたものだ。
ローラの娘ローズは『はじめの四年間』の続きになる『わが家への道』の背景を書いたが,『はじめの四年間』の出版はローズの死を待って出版された。ローズが亡くなったのは1968年。ローズの養子だったロジャー・リー・マクブライド氏は,1971年にこの本を出版した。そして,1975年に日本で鈴木哲子訳が出版されている。
谷口由美子訳(2000年)では,訳者あとがきで『はじめの四年間』の出版の背景や,この後のローラとマンリーの人生について詳しく書かれている。物語をより深く知りたい方には参考になるだろう。
わが家への道―ローラの旅日記 (1983年) (岩波少年文庫)
原題は『ON THE WAY HOME The Diary of a Trip from South Dakota to Mansfield, Missouri, in 1894』で,ローズの養子だったロジャー・リー・マクブライド氏によって1962年に出版されている。
日本語の訳本は,谷口由美子さんによる訳で,1983年に岩波書店から出版された。
ローラとアルマンゾの結婚から9年後の1894年7月17日。
ワイルダー一家,ローラとアルマンゾ,そして7歳になるローズはデ・スメットに別れを告げた。
ローラとアルマンゾは100ドルを貯め,ミズーリ州の「大きな赤いリンゴの土地」へ移住する計画を実行に移したのだった。ジフテリアを患って身体が不自由になったままのアルマンゾに,ダコタの寒い気候は厳しすぎた。
1891年に一度フロリダ州へ移住を試みたが,フロリダはローラには暑すぎた。
移住先をさがす彼らは,農業に適した温暖な気候を持つミズーリ州の「大きな赤いリンゴの土地」の話を聞き,その土地を手に入れるために一生懸命働いて100ドル用意したのだった。
サウス・ダコタ州のデ・スメットからミズーリ州のマンスフィールドまでの馬車の旅は,45日間,650マイル(約1050km)に及んだ。
ローラとアルマンゾ,娘のローズは,一緒にマンスフィールドへ移住するクーリーさん一家と共にサウス・ダコタ,ネブラスカ,キャンザス,ミズーリと4つの州をまたいで,華氏100度前後(37~43℃)の厳しい暑さの中で旅を続けた。
物語はローラの旅日記と,その前後のローズの捕捉で構成され,旅の地図がついているため,聞いたことのない小さな町も,どのあたりなのか把握しながら読むことができる。
また途中の街の当時の様子や日記に登場するローラの持ち物など,ローズによって豊富な写真が追加されているため,旅の様子を想像する良い助けになる。
ワイルダー家は全くといっていいほど雨が降らない7年間の後に移住を決めたこともあり,ローラは道中の土地の作物の収穫の様子を細かく観察している。また道中で出会った人々から聞いた作物の情報についても書き綴っている。
『大きな森の小さな家』で4歳~5歳だったローラが,パイオニア・ガールとして育ち,最終的にどんな土地でどんな生活を望んだのかを見届ける1冊だ。
ローラとアルマンゾはとうとう探し求めてきた「わが家」を手に入れ,そこで残りの生涯を送る。岩がゴロゴロと多かったその土地のことを,ローラは「ロッキー・リッジ(岩尾根農場)」と名付けたのだった。
デ・スメットからマンスフィールドへの旅と,ロッキー・リッジでの最初の日々については,ローズ・シリーズの『ロッキーリッジの小さな家』に詳しく書かれている。
参考
- 『大草原の小さな家…ローラのふるさとを訪ねて…』(1998年/求龍堂グラフィックス)
文 ウィリアム・T・アンダーソン
写真 レスリー・A・ケリー
構成・訳 谷口由美子 - 『大草原の小さな家 ローラの世界』(2000年/求龍堂)
キャロリン・ストーム・コリンズ&クリスティーナ・ワイス・エリクソン/著
デボラ・メイズ&ガース・ウィリアムズ/絵
清水奈緒子/訳