東京都水道歴史館 (1) 江戸時代の上水道

東京都水道局が自ら運営する
近代~現代の東京の水道について学べる博物館。

東京都水道歴史館

 所在地:文京区本郷(御茶ノ水駅から徒歩8分)
 入館料:無料
 休館日:年末年始・第4月曜日(休日の場合は翌日)
 開館時間:9時30分~17時(入館16時30分まで)

実物模型を駆使した大変充実した施設。
まず2階の江戸時代の水道の歴史を見学し、
その後、1階で明治から現代の水道について学ぶ。
3階は図書などを自由に閲覧できる資料室になっている。

神田上水に始まる上水道の一覧

2階展示の最初にあるのが、
昭和44年(1969年)に旧尾張藩屋敷跡、
現在の東京駅地下から出土した「角型木樋(もくひ)」。

角型木樋

お茶の水と水道橋の間には水道専用の橋「懸樋」が架かっており、
神田上水はその「懸樋」を通って神田川を越え、
神田・日本橋方面へ水が送られていた。

「水道橋」の地名の由来になった「懸樋(かけひ)」

旧都庁舎跡地から出土した上水施設を再現した模型。
木樋の蓋には一枚板が使用されたり、
水の流れる方向と木目を揃えたりなど、
水を無駄にしないための工夫や知恵を見ることができる。

旧都庁舎跡地 31号木樋の一部を再現した模型

続いて、小石川上水に始まる江戸上水の誕生の歴史。
地図と模型とビデオを組み合わせ、わかりやすく説明されていた。

水の道の夜明け
丸型木樋、角型木樋、丸形木樋用継手などの実物模型。

江戸の町人の多くは下の模型のような長屋住まいで、
長屋には必ず共同の井戸があった。
井戸には表通りから引いてきた上水をため、
さおつるべで水をくみ上げていた。
表通りから水を引いてくるためには、
石や木でつくられた樋(水道管)が使われていた。

長屋の井戸端風景の模型

安定して安全な水を供給するために
江戸時代も様々な制度が設けられていた。
神田上水・玉川上水の普請修復のために
武家や町人から普請金(ふしんきん)が徴収された。

ほかにも水番人の給料などに充てられる「水銀(みずぎん)」
玉川上水沿岸の茅を刈り取る権利に課せられる「茅年貢(かやねんぐ)」
玉川上水から分水を受ける農村では村単位で「水料(みずりょう)」
羽村堰の筏通路を利用する場合は「筏通場運上(いかだとおしばうんりょう)」
神田上水白浚いの費用「神田上水白堀通浚賃銭(しらぼりとおしさらいちんせん)」
などなど、必要に応じた費用が集められ水道が維持された。

天候の影響を受けやすい水を正しく分配するために
羽村、砂川村、代田村、四谷大木戸、赤坂溜池には水番屋が設けられ
分水の水量調節を行ったり、汚れを防ぐために見回りを行った。

水番屋
水番屋

江戸時代の長屋が実物大で再現され、
当時の生活の息吹を感じながら、井戸や台所、厠など、
水を使う設備を見学できる。

実物大の江戸時代の長屋
長屋の共同井戸

各戸の入り口、台所の横には水瓶があった。
水瓶は最後の水まで無駄なく使えるように底が細くなっており、
倒れないように四角く組んだ木枠の中に置かれていた。

水瓶

水瓶の横には流しと竈があって、
この3つがセットになっていた。

長屋の台所

水場にはお稲荷さんがつきもの。
長屋の一角にはお稲荷様が祀られる様子も再現されていた。

長屋の稲荷神社

この時代に水道があったのは江戸だけではない。
藩政時代の水道は日本全国の主な都市にこんなに作られていた。

藩政時代の水道地図

次回は明治~現代の水道展示について紹介します!

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