鐙坂(あぶみざか)―文京区

台地と低地が入り交じる東京の都心部は、
美しい坂道や階段の宝庫。
散歩しながら見かけた階段や坂道の記憶を残しておこうと思う。

炭団坂を下り、宮沢賢治旧居跡を通って菊坂の谷を歩くと
本郷台地方面へ上る階段を幾つも通る。

本郷の階段

全ての階段や坂道に名前がついているわけでもないようだが、
地元の生活に根付いた階段らしい雰囲気が溢れている。

本郷の階段

鐙坂(あぶみざか)は、
やはり菊坂の谷と本郷台地を結ぶ斜面で、
先端はゆるやかなカーブを描いている。

鐙坂(あぶみざか)の名前の由来は
・鐙の制作者の子孫が住んでいた(『江戸志』)
・坂の形が鐙に似ている(『改撰江戸志』)
など。

鐙坂(あぶみざか)
鐙坂の説明板

坂の上の西側一帯には、
上州高崎藩主大河内(おおこうち)家
松平右京亮(まつだいらうきょうのすけ)の中屋敷があり、
屋敷跡地は右京山と呼ばれたとのこと。

坂上の左手には国語事典でお馴染みの金田一京助・春彦旧居跡。
右手の石垣の上には財務省 関東財務局 真砂住宅。
坂下には、100年以上の歴史を持つ銭湯や
昔ながらの雰囲気の理髪店が残る古い街並みが見られる。

宮沢賢治旧居跡―文京区

炭団坂の坂下からそう遠くない菊坂の谷の一角に、
宮沢賢治旧居跡がある。

場所は、本郷4丁目35-4。
地下鉄本郷三丁目駅から徒歩5分程度の距離だ。

文京区本郷 菊坂町の宮沢賢治旧居跡の説明板

宮沢賢治(明治29年/1896年~昭和8年/1933年)。
大正10年・1921年1月に上京、同年8月までの8ヶ月間、
本郷菊坂町75番の、2階の六畳間に住んでいた。

宮沢賢治は謄写版刷りの筆耕や校正の仕事で自活し、
昼休みには街頭で日蓮宗の布教活動を行っていた。
また1日300枚のペースで童話や詩歌の原稿も書いていた。

宮沢賢治旧居跡の説明板が設置された菊坂町の階段

『かしわばやしの夜』『どんぐりと山猫』などを
この本郷の地で執筆したが、
妹トシの病の悪化で、8ヶ月間の在京で花巻へ帰ったのだった。

帰るときのトランクは、原稿でいっぱいだったという。

宮沢賢治旧居跡には、現在この建物が建っている。
2階の中央付近が、かつて賢治が住んでいた場所になるようだ。

菊坂町の宮沢賢治旧居跡

この付近には近代史に名を馳せる文豪たちと縁ある場所が多く、
すぐ近くに樋口一葉や石川啄木の旧跡もある。
風景も美しく散歩に良い場所だ。