玉川上水を歩く (21) 玉川上水第三公園

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目の2019年2月18日は四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2回目2019年3月20日は前回の終点、
笹塚「南ドンドン橋」を出発。

まず環七通りまで南西方向へ歩き、
環七横断地下道を通り抜け北西へ。
代田橋駅前から甲州街道に入って西へ向かい、
災害時給水拠点の巨大タンク(和泉水圧調整所)前で
井の頭通りの西へ。
玉川上水暗渠の上に作られた玉川上水公園を通り、
京王井の頭線を越えて再び甲州街道へ出た。

杉並区内の玉川上水暗渠の上は
東京都水道局から借地して3つの公園と1つの緑地が作られている。
下流から玉川上水公園・玉川上水永泉寺緑地、
そして玉川上水第三公園・玉川上水第二公園。
全長約2,000メートルの散歩道だ。

この記事で歩いた場所を地図上に赤く示す。

永泉寺緑地と第三公園の間に架かる
下高井戸橋から玉川上水第三公園を見下ろす。
東端のサーキットはローラースケート場らしい。

下高井戸橋から見下ろした玉川上水第三公園

第三公園のすぐ北に龍泉寺という寺があり,
説明版に玉川上水と橋について記されていた。

龍泉寺についての説明版

   龍泉寺
 当寺は、嶺玉山と号する曹洞宗寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。
 開創年代は、元禄・享保の二度の火災により記録を消失したため明らかではありません。寺伝によれば、慶長八年(一六〇三)八月、江戸麹町(現千代田区紀尾井町)に開創されたと伝えられています。
 開山は、当時の本寺であった江戸四ツ谷北寺町(現新宿区舟町)の雄峰山全勝寺二世普庵瑞迪(しんあんずいてき)大和尚で、元和七(一六二一)年三月に亡くなっています。
 寛永年間(一六二四~一六四四)に、江戸麹町から四ツ谷南寺町(現新宿区須賀町)に移転し、更に明治四十二(一九〇九)年,同地の区画整理に伴い当地へ移転しました。
 この門前を流れていた玉川上水には、木造の龍泉寺橋が架かっていて、春は桜が清流に映え、六月は河岸を蛍が飛び交い、杉並でも指折りの景勝地でした。
 また、当寺には「六地蔵」と共に、「北向地蔵」と呼ばれる高さ一メートルの石造の地蔵菩薩像があり、江戸時代から額に北風を受けることから、熱病などに大変霊験あらたかと、篤い信仰を集めていたと伝えられています。
   平成三十一年二月 杉並区教育委員会

杉並区教育委員会の説明版

ここに記される龍泉寺橋は道路整備で取り壊され
代わりに架けられたのが下高井戸橋であるらしい。

龍泉寺

恒例の禁止看板。
一つの公園内の同じ看板は1枚だけ撮ったので、
当然たったこれだけだったわけではない。

この公園の遊具の特徴は、
玉川上水を思い起こさせるためなのか船のジャングルジム。
それから数々の動物のオブジェだ。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園の遊具
玉川上水第三公園の船のジャングルジム
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園

玉川上水第三公園は全長500mを越える。
その中程には暗渠に架かる小菊橋があった。

小菊橋
小菊橋

橋を横切り公園の西半分へ差し掛かる。
やはり沢山の動物のオブジェが並び、
人っ子一人見当たらない園内は
少々不気味に見えた。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園の禁止看板

この公園の開園は昭和46年7月。
団塊ジュニア世代に向けて整備されたのだろうか。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園

この日は一部工事中で立ち入り禁止だった。
あまりにも閑散としていたので、
工事が終わった公園に人が集い賑わうことを
思わず心から願ったのだった。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園

玉川上水第三公園の側道から周辺の住宅地へ下りる階段があり
玉川上水が尾根筋の高い部分を流れていることがよくわかった。

玉川上水第三公園側道から住宅地方面へ下りる階段
玉川上水第三公園の西端

都道428号線、荒玉水道道路が
玉川上水第三公園の西端。
道路を横切ると玉川上水第二公園となる。

ちなみに荒玉水道(あらたますいどう)は
東京の人口が増加した大正から昭和中期に、
多摩川の水を
世田谷から中野・板橋方面へ送った地下水道管。
中野区には今も野方配水塔が残っているらしい。

玉川上水を歩く (20) 塩硝蔵跡地と玉川上水永泉寺緑地

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目の2019年2月18日、四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2回目2019年3月20日は前回の終点、
笹塚「南ドンドン橋」を出発。
まず環七通りまで南西方向へ歩き、
環七横断地下道を通り抜け北西へ。

代田橋駅前から甲州街道に入って西へ向かい、
災害時給水拠点の大きなタンク(和泉水圧調整所)の前で
井の頭通りの西へ渡り、
玉川上水暗渠の上に作られた玉川上水公園を通り、
京王井の頭線を越えて再び甲州街道へ出た。

この記事で歩いた場所を地図上に赤く示す。

甲州街道の北は明治大学の和泉キャンパスで、
明大敷地の甲州沿いに塩硝蔵跡の看板が立っていた。

塩硝蔵地跡の説明看板

   塩硝蔵(えんしょうぐら)地跡
 現在、明治大学和泉校舎および本願寺派築地別院和田堀廟所となっているこの付近は、江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)として使用された跡です。
 当初は、多摩郡上石原宿(現調布市)にあったと伝えられ、宝暦年中(一七五〇年代)に「和泉新田御塩硝蔵」としてこの地に設置され、敷地はおよそ一万八千八百九十六坪(約六万二〇〇〇平方メートル)あり、御蔵置(貯蔵庫)は、五棟・二町二反九畝五歩(約仁万三〇〇〇平方メートル)の規模であったといわれます。
 当時、塩硝蔵は、御鉄砲玉薬方同心三人が年番で交替居住し、警備や雑用には付近の一六ヶ村に対して、昼夜交替で三人づつの課役が徴せられました。
 明治維新の際,塩硝蔵は官軍に接収され、その弾薬は上杉彰義隊や奥州諸藩の平定に使用され、その威力を発揮したといわれます。
 その後当地は、兵部省を経て、陸軍省泉新田火薬庫として再開され、中に当番官舎、衛兵所等が設けられ、麻布の歩兵連隊が警備を任されておりましたが、大正の末期に廃止されました。
 明治の末頃までの火薬庫周辺は、雑木林や欅が生い茂り、鬱蒼とした森となっていて、多くの狐や狸が棲息し、余談に人を化かした話等も伝えられています。
 昭和五九年三月   杉並区教育委員会

杉並区教育委員会の説明版
塩硝蔵地跡に沿って歩く

塩硝蔵地跡を通り過ぎた後も、
明治大学と甲州街道に挟まれた玉川上水暗渠の上は
水道関係敷地で立ち入り禁止。柵が設けられていた。

水道用地を示す支柱
水道用地
消防水利

更に甲州街道に沿って西へ歩いて行くと、
墓地(築地本願寺和田堀廟所)があり、
首都高速の永福料金所の高架下から玉川上水永泉寺緑地へ入る。

甲州街道沿いの墓地
首都高速の永福料金所の下
玉川上水永泉寺緑地
玉川上水永泉寺緑地

杉並区内の玉川上水暗渠の上は
東京都水道局から借地して3つの公園と1つの緑地が作られている。
下流から玉川上水公園・玉川上水永泉寺緑地
そして玉川上水第三公園・玉川上水第二公園で、
全長約2,000メートルの散歩道だ。

玉川上水永泉寺緑地
玉川上水永泉寺緑地
玉川上水永泉寺緑地から見た下高井戸橋

玉川上水永泉寺緑地には水が流れる場所があった。
季節によっては流れているのだろうか。

玉川上水永泉寺領地の碑
玉川上水永泉寺緑地
玉川上水永泉寺緑地

玉川上水永泉寺緑地は比較的禁止看板が少なかった。
犬と自転車が禁止だそうな。

玉川上水永泉寺緑地の禁止看板

下高井戸駅口が玉川上水永泉寺緑地の終わり。
下高井戸橋を横切って今度は玉川上水第三公園に入る。

下高井戸橋と甲州街道
下高井戸橋と甲州街道

欄干の文字によると、下高井戸橋の架橋は昭和2年1月。
近くの龍泉寺の説明版によると、
それ以前はこの近くに木造の龍泉寺橋が架かっていたとのことだ。