3月のライオン

原作は羽海野チカさんの漫画で、2007年14号(7月13日)から、白泉社『ヤングアニマル』誌に掲載。
 主人公は高校生棋士。将棋と棋士の世界が描かれています。
 アニメ化作品は、第1期が2016年10月からNHK総合にて放映されました。

  • 第1シリーズ:2016年10月 – 2017年3月
  • 第2シリーズ:2017年10月 – 2018年3月

 というわけで少し前のアニメ作品ですが、第1シーズンがビデオ・オン・デマンドで視聴しやすくなっているので見てみました。

 現在、第1シリーズを配信しているコンテンツプロバイダーは下記の通り。

J:COMメガパック・J:COMオンデマンド・Hulu・miluplus・auビデオパス
Netflix・dアニメストア・バンダイチャンネル・TSUTAYA TV・GyaO!
ひかりTV・Rakuten TV・ニコニコ動画・Amazonビデオ・Google Play
Happy!動画・ビデオマーケット・フジテレビオンデマンド・LEONET
DMM.com・U-NEXT・acTVila

 第2シリーズは、今のところJ:COMオンデマンド・J:COM メガパック・Huluのみです。

 まず言っておきますと、私は将棋については完全なる無知。無知レベルは、その辺を歩いている野良猫とか空を飛んでいる雀たちとほぼ同じくらい。いや、将棋盤の上で駒を動かすゲームだってことを知っているので、猫や雀より少しだけマシって感じでしょうか。「名人」ってのが何なのかも知りません(キッパリ言うことではない?)。
 しかも将棋に興味もありません!

 ですが最近はニュースなんかでも将棋の話題をよく聞くし、『3月のライオン』は放映当時よく話題になっているのを見かけて視聴している人が多そうなアニメという印象だったし、一度見てみるといいかもね、と。
 将棋のことも、何か少し解るようになるかもしれないし?

 で、結果、将棋が解らなくても何の問題もありませんでした
 登場人物たちの人間模様、勝負の世界で上を目指す様々な人々の生き様などに引き込まれ、最後まで退屈することなく面白く視聴できました。
 第2シーズンのオンデマンド配信が限られていて、現在私の環境で見られないのがとても残念です。

 原作もアニメも有名な作品で、各所で取り上げられていて、今さら私が人様に紹介するようなこともありませんが、個人的な感想や印象などを。

 主人公の桐山零は、中学生でプロ棋士になり、アニメの最初は一年遅れの高校1年生。
 優しい性格だけど、引っ込み思案で気が弱く、学校では子供の頃からぼっちが板についている感じ。終盤の回想シーンで小学校の遠足の場面が描かれていたが、共感できる思い出保持者として身につまされる想いだった。
 とても勝負の世界で孤独に戦う強い人間には見えない彼だが、逃げ場の無い境遇も手伝って並々ならぬ努力を決して怠らない。幼少の頃から苦労の多い人生だったこともあり、考え方も年齢にしては大人びている。
 周囲の大人たちはそんな彼をよく見ているのが見ていて救いだった。
 特に学校の担任の先生や、近所に住む川本姉妹、彼女たちのおじいさん…人に気にかけてもらえる彼は、学校でぼっちでも人間的魅力に溢れた子なのだ。
 幾ら良い子でもぼっちを強いられる残酷な場所です、学校ってところは…。

 零と同性代の棋士で、親友でライバルの二海堂晴信君。
 前向きで、やたらぐいぐい来る奴で、出てきた時は「ウザい奴?!」と思ったのだが、溢れ出る善意でウザさを感じる暇がないくらいだった。まぁウザいのだが、とても良い奴なのだ。彼が出てくる場面は空気が変わって楽しみだった。

 零や二階堂の先輩格、「スミス」こと三角さん。金髪おかっぱ頭に髭を生やして眼鏡。背も高くひょうひょうとした兄貴分って感じで後輩たちの面倒見も良い。プロとしての冷静な見識を持ち、一方では猫のいちごちゃんに首ったけ。印象的なキャラクターだった。

 もっとも魅力的な人物と思ったのは、二階堂の兄弟子、島田開。
 影薄く気弱そうで優しいのだが、勝負の世界で諦めず上り詰めた人らしく、決して曲げない強い意志を併せ持っている。島田さんが故郷に錦を飾る日が来るといいのにと願いながら見ていたのでした。

 第1シリーズを見終えて、やっぱり将棋のことが解るようにはならなかったけれど、二階堂君がつくった絵本『将棋ニャー』があれば、私でも少し将棋が解るようになるかもしれないという気がしました。

 将棋界の話題は意外と大きく世間を賑わわせているし、伝統の世界を知るための良いきっかけになるアニメ。絵柄もホンワカしていて美しいです。
 後編、第2シリーズも早くネット配信されますように!

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明治150年記念 日本を変えた千の技術博 (2)

卓上電話機

National Museum of Nature and Science,Tokyo

 前記事の続きです。
 上野の国立科学博物館へ、特別展「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」を見に行ってきました。

新幹線1号試験台車のプレート

 東海道新幹線の開通は、前回の東京オリンピック直前1964年(昭和39年)10月1日。

 藤岡市助(1857年生)が高速電気鉄道の許可を求めてから57年。
 1939年(昭和14年)に弾丸列車計画が始まってから25年。
 新幹線の実現には、多くの技術開発が必要でした。

 交流電化にパワーエレクトロニクス。
 車体のエアロダイナミクスと軽量化。
 高速時の振動理論に 高速に耐える架線。
 自動列車制御などなど。

 まさに「夢の超特急」だったのですね。

セルロイドの石鹸箱

 セルロイドの石鹸箱、独特の輝きがとても綺麗ですね!
 お人形やお面、筆箱に洗面器、グリーティングカードなどなど、
 昔懐かしいセルロイドの製品たち。

 セルロイドは1868年にアメリカで発明された、世界初の熱可塑性(ねつかそせい)合成樹脂。植物繊維のセルロースが原料です。
 日本では20世紀初頭から製造が始まり、1937年(昭和12年)には世界一のセルロイド生産国でした。
 今でも高級メガネフレームやギターのピックなどに使用されているそうです。

 昭和の時代、よくベビーベッドの上に吊されていた玩具、中に小鳥が住んでいる鳥籠だったことに初めて気がつきました。この玩具の正式名称を知らなかったのですが、「天井吊り下げメリー・ガラガラモービル」と言うみたいですね?

セルロイドの天井吊り下げメリー・ガラガラモービル

 合成樹脂の時代と共に、合成繊維の時代も始まりました。
 レーヨンは1916年(大正5年)に初めて工業化、1926年(大正15年)に製造開始されました。そして1930年代には、日本は世界トップクラスのレーヨン製造国なったそうです。

レーヨンの工業化について

 次は農業の発展です「。
 古来から動植物と共に暮らしてきた日本人は、長い年月をかけ、経験と努力でイネとカイコの品種改良を行ってきました。

繭標本
右上:1813年~1843年  右下:1886年~1889年
左上:昭和期~現代   左下:大正前期

 カイコ(家蚕)は明治初期には欧州へ大量に輸出されるようになり、明治中期から昭和初頭にかけてイタリアやフランスから多くの品種が輸入され、在来種との交配により品種改良が進みました。
 江戸時代からの繭標本が残っていることには驚きましたが、繭の大きさが現代は江戸時代の4倍くらいに大きくなっていることにも驚きました。

現代のお米の祖先 陸羽132号

 「陸羽132号なくして皆のご飯なし!」だそうです。
 稲作の歴史は冷害との闘い。
 1921年に誕生した陸羽132号は冷害に強く、多くの日本人を救いました。

栽培米の系統図
耐震技術のコーナー

 1923年の関東大震災の後、耐震研究が進みました。
 このコーナーには、建造物の地震に対する応答の解析を行った最古の地震振動装置(1929年)や、耐震技術の結晶だった霞が関ビルディング(1968年)の模型などが展示されていました。

卓上電話機

 向かって左の黒い電話機は1933年(昭和8年)製造で、以降の電話機の原型になったモデル。
 薄緑色の電話機は1952年(昭和27年)製造。現代の回線でも使用可能だそうです。

日本最初期の肩掛型テープ録音機 PT1(M-1)型,1951年(昭和26年)製

 PT1(M-1)型は、東京通信工業1951年(昭和26年)製。
 放送局で愛用されたテープレコーダーで、録音機を呼ぶ「デンスケ」という愛称の始まりの製品だそうです。

 このコーナーには磁気テープの手作りを実演するビデオがあり、大変興味深く視聴しました。

 以上、2回に分けて展示の一部を紹介してみました。
 展示の開催期間は 2019年3月3日(日)まで。

 大変見応えのある展覧会です。
 科学技術に興味がある方はきっと楽しめると思います!

明治150年記念 日本を変えた千の技術博 (1) – かわゆら
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