謎解き 聖書物語

本の概要

  • 謎解き 聖書物語(ちくまプリマー新書)
  • 著者 長谷川修一
  • 出版 筑摩書房
  • 発売 2018/12/10

ノアの方舟、バベルの塔、出エジプト…旧約聖書の有名な物語の数々。それは本当に起こったことなのか?それともたんなるフィクションに過ぎないのか?最新の考古学的知見を用いながらひとつひとつ明らかにする。旧約聖書の物語がこれ一冊でわかる!

「BOOK」データベース

 「ちくまプリマー新書」は2005年1月に創刊されたシリーズ。大人の学び直しや学生の学びに役立つテーマで,原稿用紙150枚程度のコンパクトな分量で読める。


著者

 この本の著者は,オリエント史・旧約学・西アジア考古学が専門。
 ハイデルベルク大学神学部博士課程で学び,テルアビブ大学ユダヤ史学科博士課程を修めているとのこと。
 本書のほか下記のような著書がある。

  • 『聖書考古学 – 遺跡が語る史実』(中公新書)
  • 『旧約聖書の謎 – 隠されたメッセージ』(中公新書)
  • 『ヴィジュアルBOOK 旧約聖書の世界と時代』(日本キリスト教団出版局)

歴史と神学ふたつの視点

 中高生向けのちくまプリマー文庫なので,聖書の知識がなくても分かるように丁寧に書かれている。しかし,既知の知識が多いとその分だけ全体的に冗長に感じることは否めない。

 とはいえ,オリエント史・旧約学・西アジア考古学の専門家であり,神学の知識も豊富な著者であるゆえ,多方面からの視点で西アジアの古代史と各地に点在する伝承,『ギルガメシュ叙事詩』やメソポタミアの洪水,バビロン捕囚などと,ノアの箱舟やバベルの塔,出エジプトなどの旧約聖書の逸話を関連付けた考察は興味深い。

紀元前八世紀後半以降、西アジア一帯では、標準版の『ギルガメシュ叙事詩』を教材のひとつとしてアッカド語を学ぶ人びとがいたらしい、ということになります。また、バビロニアにつれてこられた南ユダの人びとは、アッカド語を話すバビロニア人たちと接することにより、メソポタミアに伝わる伝承について学ぶ機会がさらに増えたことでしょう。

『謎解き 聖書物語』

 聖書の文章をよく知る人なら,本書の中の聖書からの引用文を読んで「あれ?」とひっかかるのではと思うが,然り,全て著者が自分で翻訳した文章だった。
 この本に書かれていることは,ヘブライ語やギリシャ語の文献を著者自ら解読して導き出した考察なのだった。

 また,キリスト教国ではない日本では注意が払われていないが,「旧約聖書」という呼び方は一方的なキリスト教視点の名称だということだ。言われてみればその通りなのに,本書の指摘を読むまで気づいていなかった。

欧米では、『旧約聖書』という呼び名が、キリスト教にかたよった呼び方である、という考え方が、とくに近年つよくなっています。そのため、最近では書物が書かれた言語に注目した、『ヘブライ語聖書』という呼び方も定着してきました。

『謎解き 聖書物語』

 「イエス・キリスト」という呼び名についても,一般教養としてもっと認識されるべきだろう。

「キリスト」はイエスの苗字ではありません。キリスト教徒がイエスのことを救い主である、と表明するときに「イエス・キリスト」と呼ぶのです。たまに教科書などで「イエス・キリストがうまれた年を紀元元年とした」という説明がありますが、「キリスト教が」という主語がない場合、その執筆者がイエスを救い主と考えている、と解釈されかねません。

『謎解き 聖書物語』

 歴史・神学どちらの視点も持ち合わせている本書は,キリスト教には縁がなくても世界史的に大きな影響を持つ聖書という書物自体に興味を持てる内容になっていると思う。


堕落論・続堕落論

本の概要

  • 堕落論
  • 著者 坂口安吾
  • 青空文庫(kindle版 2012/9/13)
  • 本の長さ 13ページ

昭和初期に活躍した「無頼派」の代表的作家である坂口安吾の評論。初出は「新潮」[1946(昭和21)年]。「日本文化史観」や「教祖の文学」と並ぶ、安吾の代表的評論。「半年のうちに世相は変った」という有名な書き出しを枕に、戦後直後の日本人が自らの本質をかえりみるためには、「堕落」こそが必要だ、と説いたことで世間を賑わせた。現在も賛否両論を集める、過激な評論作品。

本の説明より

 終戦翌年に書かれた本。

 戦争中に堕落はなかった,と著者は言う。
 戦争は驚くほどの理想郷で,無心でいられ虚しい美しさが咲きあふれ,充満していた。だがそれは人間が本来あるべき美しさではない。戦争に負け,今や堕落が可能になった。
 堕ちる道を堕ちきることによって人は自分自身を発見し,救うことができる。堕落が母胎となり,人性が,人間が誕生するのだと。

 生きて落ち続けるという手順は,真に人間を救い得る便利な近道なのだ。


日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。

堕落論

堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

堕落論


  • 続堕落論
  • 著者 坂口安吾
  • 青空文庫(Kindle版 2012/9/13)
  • 本の長さ 14ページ

昭和初期に活躍した「無頼派」の代表的作家である坂口安吾の評論作品。初出は「文学季刊」[1946(昭和21)年]。共同体的な規範から逃れ「堕落」する姿勢こそ、戦後日本人に必要な姿勢だと説いた代表作「堕落論」の続編として記された。「堕落論」で多用された警句的表現をより分かりやすく整え、「堕落」のもたらす意義をより直接的に説いた。

本の説明より

 著者は,まず日本の耐乏精神を強烈に批判する。


農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。 乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。必要は発明の母と言う。乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに発明が起り、文化が起り、進歩というものが行われてくるのである。

続堕落論

ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびなどと、馬鹿げた話である。しかも日本全体が、日本の根柢そのものが、かくの如く馬鹿げきっているのだ。

続堕落論

  乏しさに耐える精神など美徳ではない,必要は発明の母,必要を求めるところに進歩が起こるのだと著者は説く。人性の正しい姿とは,欲するを素直に欲し厭な物を厭だと言うただそれだけのことであるのだと。
 まずは己れをタブーから解き放ち,自らの真実の声をもとめ地獄へ 堕ちよ!

 堕落は悪いにきまっているが元手をかけずに本物を掴むことなどできないのだ。
 堕落すべき時に真っ逆さまに堕ちねばならない。堕落には孤独という偉大な実相がある。

 人は無限に堕ちきれるほど強くはなく,必ず落下をくいとめずにいられなくなり,進んでいく。堕落こそ制度の母胎なのである。

善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人 曠野 を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。

続堕落論