少女革命ウテナ

  • 企画製作 ビーパパス(Bepapas)
  • 監督 幾原邦彦
  • 原案 幾原邦彦・さいとうちほ
  • 音楽 光宗信吉
  • 合唱曲 J.A.シーザー
  • テレビ放映 1997年4月〜1997年12月(全39話)

やたらメタファーが多い抽象的作品

 DMM TVにて視聴した。

 1997年に放映された『少女革命ウテナ』を今さら見てみたのは,その後多くの作品に影響を与えた一般教養的(1度は見ておくべき)アニメと思われたからだ。
 確かに見はじめたとたんに『水星の魔女』が大きな影響を受けていることがわかったし,視聴が進むにつれ,多くの作品が頭の中をよぎった。まどか☆マギカ,ピングドラム,化物語,ユリ熊嵐,etc.etc…。

 最初から最後まで何もかもがメタファーでできているようなアニメで,哲学的でとても難しかった。現実世界の話なのか,心象世界の話なのか,ウテナやアンシーは実在しているのか,それとも誰かの心の中の存在なのか,ウテナとアンシーは同じ人物の別の局免の象徴だったりするのだろうか,それとも?

 しかも物語は「えっ!?」と絶句しているうちに終わってしまった。潔く格好良い主人公であるはずのウテナは,まさかまさかもしかして,負けてしまったの? どこへ行ってしまったの? アンシーとは,薔薇の花嫁とは何だったの?

 現実離れした物語の空間そのものが心象世界の具現化のようで,ひどく抽象的だった。よくよく考えながら何度か見ないと分からないのではないか,制作者たちの想いを受け取るのが難しいのではないかと思われる作品だった。


学園は現実世界の投影

 だが,難しいことを考えずとも,物語の表面から受け取るメッセージもとても多い。

 人を支配する嫉妬や嫉み,冷酷さ,それに抗うことの難しさ。
 あらゆる場面に垣間見られる性的メタファーから自由になりきれない世界。

 人は多くのカルマにとらわれて生きていて,そうそう気高くなんてなれない。予定通りになんていかないし,現実はいつも残酷だ。

 潔く格好良く生きていく筈だったウテナが,ボロボロになって舞台から消え去ってしまう。この物語は,主人公が格好良く勝利をつかみとって幸せになるお伽話のような世界ではなく,大袈裟な舞台装置に飾り立てられていながら,この上なく残酷なほどに現実的だったと思える。
 学校のみんながあっという間にウテナに興味を失いどうでもよくなる様も,まさに社会そのものではないか。背筋が寒くなるようでゾッとさせられた。
 (備忘録につき以下,ネタバレ満載)


「ねぇウテナ様って誰だっけ」
「知らないのー? ほらいつも男装してた子でさ よく先生に叱られてた」
「あー思い出した あの人か。いたいた」
「ま どうでもいいけどねー」

第39話 いつか一緒に輝いて

 心底ゾッとした後,旅立つアンシーの後ろ姿に一縷の希望を見出し奥行きが広がってゆくようなエンディング。
 少女漫画雑誌『ちゃお』にこれが連載されていたと思うと,少女漫画の恐るべき奥行きを感じざるを得ない。


萼に支えられ薔薇は開く

 「うてな」という言葉は花を包む「萼=ガク」の訓読みだ。
 アンシーは「薔薇の花嫁」であり,作中の全ての重要な場面に薔薇の花が登場する。天上ウテナは,花=薔薇の花嫁=姫宮アンシーを支え美しく咲かせる萼なのだろう。


君に会うために 僕はここまで来たんだ
だから君と僕の出会う この世界を恐れないで

第39話 いつか一緒に輝いて


 萼であるウテナは,長い間かたく閉ざされていた花(アンシー)を美しく咲かせた。萼に支えられて薔薇が咲き誇ることが革命だったのだろうか。
 アンシーは,革命が起こったことにも気づいていない兄に別れを告げる。そして再びウテナに出会うために旅立ってゆく。

 ピンクのドレスに白いベレー帽。眼鏡をはずし髪を下ろし,スーツケースを持ってまっすぐまえを向いて歩いて行くアンシーの後ろ姿は,意志と希望に溢れている。薔薇の花嫁だった彼女の面影は片鱗も見られない。


あなたはこの居心地のいい棺の中でいつまでも王子様ごっこしていてください。
でも あたしは行かなきゃ。
あの人は消えてなんかいない。あなたの世界からいなくなっただけ。
さよなら。

今度はあたしが行くから。どこにいても必ず見つけるから。
待っててねウテナ。

第39話 いつか一緒に輝いて

 学園は世界であり「棺」だったようだ。
 物語の中で何度も繰り返されてきた言葉「卵の殻を破らねば,雛鳥は生まれずに死んでいく。我らが雛で卵は世界だ。世界の殻を破らねば,我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために。」と重ね合わせると,棺と卵は同じものであるように思われる。


絶対運命黙示録

 オープニング曲《輪舞-revolution》 (作詞:奥井雅美/作曲・編曲:矢吹俊郎/歌:奥井雅美)は気高い心を失わずに生きていこうとするウテナをよく表している印象的な曲で,最初から最後まで通して使われていてとても良かった。

 また決闘場面の度に流れた合唱曲《絶対運命黙示録》(作詞・作曲・編曲:J.A.シーザー/合唱:杉並児童合唱団)は場を盛り上げる最高に忘れられない曲だった。

 Apple Musicでさがしてみたが,残念ながら「少女革命ウテナ」のサウンドトラックは見つからなかった。


後記

 幾原邦彦監督による代表的アニメ作品は雰囲気が似ていてウテナを見ながらよく思いだし,続けて視聴したくなった。
 特に「かしらかしら」の影絵少女の場面を見れば,ピングドラムの「生存戦略」やユリ熊嵐の「ユリ裁判」が頭をよぎった。これらの作品群とテーマを比べてみると楽しそうだ。

  • 輪るピングドラム
  • ユリ熊嵐
  • さらざんまい

 どれだけ時が流れても,名作は古くさくならない。
 『機動戦士ガンダム』がそうであるように,『serial experiments lain』がそうであるように,『電脳コイル』や『涼宮ハルヒの憂鬱』『魔法少女まどか☆マギカ』がそうであるように,『少女革命ウテナ』も語り継がれるべき名作であろうと思う。


参考

 下記サイト様に非常に詳しい考察があり参考になった。

『少女革命ウテナ』解説 私の最終黙示録 —日々の雑文

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本の記録(2023-07)

 『与謝野晶子の源氏物語』に始まって終わる月だった。7月31日の就寝直前に読み終わった。このまま『あさきゆめみし』の宇治十帖を読み直そうと思う。


7月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:972
ナイス数:6

与謝野晶子の源氏物語 上 光源氏の栄華 (角川ソフィア文庫)与謝野晶子の源氏物語 上 光源氏の栄華 (角川ソフィア文庫)
 
  源氏物語を現代語訳で通読したいと思い本書を読むことにした。
 まず序文で上田敏と森林太郎(鴎外)が源氏物語の現代語訳を書くに相応しい人物として与謝野晶子ほどの適任はいないと断じ,大成功の翻訳であると評している。古典に通じている明治時代の大文学者たる彼等がこう書くのだから,間違いない現代語訳と思われた(その上田敏の序文の文体が非常に流麗であることにも感動)。
 瑠璃様(玉鬘の君)の裳着が終わる29帖,行幸(みゆき)までがこの巻に収められており,古典の雰囲気を損なわず,しかも大変分かりやすい現代語訳であった。
読了日:07月08日 著者:与謝野 晶子

与謝野晶子の源氏物語 中 六条院の四季 (角川ソフィア文庫)与謝野晶子の源氏物語 中 六条院の四季 (角川ソフィア文庫)

 30帖の藤袴(ふじばかま/源氏37歳秋)〜47帖の総角(あげまき/薫24歳秋冬)まで。
 明石の姫君が春宮のもとへ入内し一宮を出産,源氏の君は栄華を極めるが,ほどなく紫の上が病に倒れて陰りが差す。けっこう淡々と物事が進んでゆくが短い言葉の中に登場人物の悲哀が溢れていたりする。『源氏物語』は時代も背景も現代人の心から遠すぎるので,色々な作品でこの物語に触れていって,ようやく少しずつ各々の人物への理解が深まる気がする。
 本巻では,秋好中宮の母の死霊が人を苦しめていることに心を痛めている場面が印象的だった。
読了日:07月21日 著者:与謝野 晶子

与謝野晶子の源氏物語 下 宇治の姫君たち (角川ソフィア文庫)与謝野晶子の源氏物語 下 宇治の姫君たち (角川ソフィア文庫)

 第48帖の早蕨(さわらび)から宇治十帖の最終帖,第54帖の夢浮橋(ゆめのうきはし)まで。
 匂宮にはまじストレスがたまる。源氏の君以上の鬼畜がいたとは。紫の上を慕っていた子供の頃は可愛かったのに。薰にも多少思うことはあるものの,匂宮の百倍くらい好感が持てる。イライラするといえば,あげまきの君も浮舟の君もイライラ。宇治十帖で一番好感が持てるのは薰の君かも。
 『あさきゆめみし』ではそれなりに最後は終わりっぽく描かれていたが,実際は物語は実に中途半端に幕を閉じる。紫式部はここで亡くなったのか? それとも何か理由があってわざと? 『源氏物語』の歴代の注釈者がどのような解釈を書いたのかを知りたい気がする。
 与謝野晶子訳は大変すばらしかったが,より理解を深めるために是非他の人の訳でも通読してみたいとも思う。
読了日:07月31日 著者:与謝野 晶子

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