千曲川のスケッチ

本の概要

  • 発表 : 『中学世界』(博文社)1911年(明治44年)6月号〜連載
  • 著者 : 島崎藤村(1872-1943)
  • ASIN‏ : B009IY4834
  • ファイルサイズ : 415KB
  • 本の長さ : 151ページ
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 「新しい渇望を感じた」という藤村が小諸義塾で教師をしながら書き付けた散文集。
 藤村が詩から散文へ活動を移行していく過渡期に書かれた作品ということだ。

 後書きによると「事物を正しく見ることを学ぼういう心の欲求に従って」書き始めたとのことで,そうやって書き溜めた中から,年若い人達の読み物に適していそうなもののみを選び,明治の末から大正の初めにかけて博文館の雑誌『中学世界』に毎月連載された。
 明治の終わり頃の小諸を中心とした信州の人々の生活風景や彼等が見ていた自然の風景が,そのまま頭の中に浮かび上がってくるような小作品群で,まさに「スケッチ」の名にふさわしい写生文だ。


枕草子との関わり

 そもそもこの本を知った切っ掛けは,放送大学の授業「『枕草子』の世界(島内裕子教授)」にて,藤村が『枕草子』の描写を「スケッチ」と呼び,自らも『千曲川のスケッチ』を顕したということを知ったからだった。藤村は,『源氏物語』に普遍的なものを,『枕草子』には個人としての色を感じていたという。

 そして,この作品には『枕草子』を読みに来る姉妹の存在が紹介され,また藤村が『枕草子』の価値を発見したことが書かれている。


不思議にもそれらの近代文学に親しんでみることが反って古くから自分等の国にあるものの読み直しをわたしに教えた。あの溌剌として人に迫るような「枕の草紙」に多くの学ぶべきもののあるのを発見したのも、その時であった。 

『千曲川のスケッチ』p.146

 島内裕子教授の『『枕草子』の世界』によると,藤村は『後の新片町より』(大正2年)という著作の中で「吾らはもう一度眼前に清少納言のやうな人を見たい」と書いているとのことだ。


美しい描写

 明治時代の終わり頃の今とは異なった日常や自然,暮らしなどの描写は,たいへん興味深くまた美しいものだった。いくらかの美文をここに残しておこう。


小春日和

 藤村が小諸でもっとも忘れ難かった季節は小春日和だったそうだが,その小春日和を顕した一節は正に文字のスケッチを思わせる。

 風のすくない、雲の無い、温暖な日に屋外へ出て見ると、日光は眼眩しいほどギラギラ輝いて、静かに眺めることも出来ない位だが、それで居ながら日陰へ寄れば矢張寒い——蔭は寒く、光はなつかしい——この暖かさと寒さとの混じ合ったのが、楽しい小春日和だ。


凍える冬

 また,雪国のクリスマスの話をする前にどうしても語っておかなければならない,世界が雪に埋もれてゆく様子には,どんな風に山の中の村々が雪に閉ざされてゆき,その雪の世界が人の心を侵食してゆくかを感じ取ることができる。

遠い森、枯々な梢、一帯の人家、すべて柔かに深い鉛色を帯びて見える。この鉛色——もしくはすこし紫色を帯びたのが、,これからの色彩の基調かとも言いたい。朦朧として、いかにもおぼつかないような名状し難い世界の方へ、人の心を連れて行くような色調だ。

 そんな凍える冬の中での日常生活がどれほど過酷である事かは,同じ時代にあっても東京に住む若者にはとても想像できるものではなかったのだ。

 君は牛乳が凍ったのを見たことがあるまい。淡い緑色を帯びて、乳らしい香もなくなる。ここでは鶏卵も氷る。それを割れば白味も黄身もザクザクに成っている。台処の流許に流れる水は皆な凍り着く。葱の根、茶滓まで凍り着く。明窓へ薄日の射して来た頃、出刃包丁か何かで流許の氷をかんかんと打割るというは暖い国では見られない図だ。夜を越した手桶の水は、朝に成って見ると半分は氷だ。それを日にあて、氷を叩き落し、それから水を汲み入れるという始末だ。


文学のこと

 最後の方に後書きのように書かれていた,この時代の文学の話も興味深かった。社会の常識が変わり,西洋化の波が押し寄せ,文壇では言論一致の模索が繰り広げられていたこの時代。
 名だたる文豪が一斉に活躍したことは,決して単なる偶然では無かったのだということが書かれている。この時代を生きた文学者だからこその言葉に重みを感じる。

だんだん時がたった後になってみると、当時の事情や空気がそうはっきりと伝わらなくなり、多くの人に残る記憶も前後して朦朧としたものとなり勝ちであるが、明治の文学らしい文学はあの二十年代にはじまったと言っていい。今日明治文学として残っているものの一半は殆どあの十年間に動いた人達の仕事であるのを見ても、明治二十年代は筆執り物書くものが一斉に進むことの出来たような、若々しい一時代であったことが思われる。

何んと云っても徳川時代に俳諧や浄瑠璃の作者があらわれて縦横に平談俗語を駆使し、言葉の世界に新しい光を投げ入れたこと。それからあの国学者が万葉、古事記などを探求して、それまで暗いところにあった古い言葉の世界を今一度明るみへ持ち出したこと。この二つの大きな仕事と共に、明治年代に入って言文一致の創設とその発達に力を添えた人々の骨折と云うものは、文学の根底に横たわる基礎工事であったと私には思われる。

 山の上の生活で,藤村は古典の読み直しを触発され,そこから様々な思索を深めていった。
 令和を生きる我々の世代は,古典と現代を中継する明治を学び,明治の文豪を通してそれより前の時代を学ぶことにより,古典との滑らかな繋がりを感じることができるのだろう。


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悲しみよこんにちは

本の概要

  • 出版社:新潮社
  • 発売日:2008/12/20
  • 著者:フランソワーズ・サガン 訳:河野万里子
  • 文庫:197ページ
  • ISBN-10:4102118284
  • ISBN-13:978-4102118283
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セシルと同世代だった頃

 高校生の頃に一度読んだことがあった。
 当時の書店や図書館に並んでいたのは,朝吹登水子訳の1955年版。一度は読んでおくべき作品のように思われていた本だったので手に取ったが,高校生の私はこの作品の良さを少しも理解できなかった。

 恋愛と自分勝手な欲望に浮ついて過ごす父と娘。何と自堕落でバカっぽくて下らない!
 南仏の海岸で過ごすバカンスも,登場人物たちの世界も,死という現実も,全くもって当時の自分の想像の範疇を超えており,共感することはできなかったのだった。

 思えば,「○○さんが○○をした」以外の部分に含まれる膨大な情報を,その頃の私は全く読み取れていなかったのだと思う。


ある日ラジオでの再会

 この作品を思い出すこともない人生を過ごし40年ほどが経過したある日,たまたまラジオ番組「朗読の世界」で『悲しみよこんにちは』を聞いた。
 それは,第二部,レイモンとアンヌとセシルが,レイモンの友人に会う他面いサン・ラファエルの「ソレイユ」というバーへ行く場面の朗読だった。
 たった1回分聞いただけ。たったそれだけの短い場面だったのに,南仏の別荘地の生活が目に浮かぶようで,各々の背景を持った登場人物たちの表情が見えるようで,感動した。

 これほどの人間描写を18歳で書くなんてサガンは天才ではないか!?
 昔一度読んだけれど,心の機微を生活の機微を風景を,こんなにえぐるように美しく書かれた作品だったっけ?

 どうしてもこの作品をもう一度読んでみたくなって,すぐさま買って読み始めたのだった。

 昔読んだ朝吹登水子訳の新潮文庫は既に絶版になっているようで,あの懐かしい表紙の本はAmazonの中古にもなく,購入したのは現在の発売されている新潮文庫の河野万里子訳(2008年)。「朗読の世界」で読まれていたのもこれだった。


アンヌより年上になって

 セシルとレイモンが刹那的に楽しく生きる人達で,この人たちの生き方は理解できないと思う気持ちは昔読んだ時と同じだが,しかしそれはそれとして,そんな彼らの感情描写には読み継がれてきた作品が持つ迫力があった。

 相反する感情を同時に抱いて引き裂かれるセシル。そこには自分自身も,きっと他の人達も持っていたであろう若さが持つエネルギーが感じられた。

 規律正しく自分を保って生きてきたアンヌ。40代の成功した女性になって愛,今,愛する人達と理想の家庭を築こうとしている彼女の強さと弱さ。

 訳者あとがきで河野万里子氏が書いておられる下記の一言は,何と的確な表現だろうか。


エルザとアンヌの心理描写など、ところどころ、もしも原文を切ったらまっ赤な血が噴き出すのではないかという気さえする。

『悲しみよこんにちは』(新潮文庫)p.181

 最後のセシルの「悲しみよこんにちは」が,とてもリアルに思えた。
 夏とともに胸にこみ上げるアンヌの思い出は,セシルにとって既に遠く,心地よくすら感じられる痛みになっているように見え,その残酷さにリアリティを感じたのだった。


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