宮沢賢治旧居跡―文京区

炭団坂の坂下からそう遠くない菊坂の谷の一角に、
宮沢賢治旧居跡がある。

場所は、本郷4丁目35-4。
地下鉄本郷三丁目駅から徒歩5分程度の距離だ。

文京区本郷 菊坂町の宮沢賢治旧居跡の説明板

宮沢賢治(明治29年/1896年~昭和8年/1933年)。
大正10年・1921年1月に上京、同年8月までの8ヶ月間、
本郷菊坂町75番の、2階の六畳間に住んでいた。

宮沢賢治は謄写版刷りの筆耕や校正の仕事で自活し、
昼休みには街頭で日蓮宗の布教活動を行っていた。
また1日300枚のペースで童話や詩歌の原稿も書いていた。

宮沢賢治旧居跡の説明板が設置された菊坂町の階段

『かしわばやしの夜』『どんぐりと山猫』などを
この本郷の地で執筆したが、
妹トシの病の悪化で、8ヶ月間の在京で花巻へ帰ったのだった。

帰るときのトランクは、原稿でいっぱいだったという。

宮沢賢治旧居跡には、現在この建物が建っている。
2階の中央付近が、かつて賢治が住んでいた場所になるようだ。

菊坂町の宮沢賢治旧居跡

この付近には近代史に名を馳せる文豪たちと縁ある場所が多く、
すぐ近くに樋口一葉や石川啄木の旧跡もある。
風景も美しく散歩に良い場所だ。

炭団坂(たどんざか)―文京区

台地と低地が入り交じる東京の都心部は、
美しい坂道や階段の宝庫。
散歩しながら見かけた階段や坂道の記憶を残しておこうと思う。

炭団坂

文京区本郷4丁目の炭団坂(たどんざか)。
北北西から南南東へ下る、
あるいは北北西から南南東へ上る。
文京区の公式サイトによると、長さ約35m。

炭団坂

本郷台地と菊坂の谷を結ぶ急な坂道で、
「炭団坂」の名前の由来は、
「このあたりに炭団を商売にする者が多かった」
「急な坂で転び落ちた者がいた」
など。

炭団坂

谷底の菊坂方面には古い街並みがあり、
坂を上りきった道を真っ直ぐ歩くと春日通りだ。

台地の北斜面に位置する坂でジメジメしていたため、
今のように美しく整備される以前は、
雨上がりなどに本当に転げ落ちた人もあったであろうと
炭団坂の説明板に書かれていた。

「炭団(たどん)」なんて現代の生活にはほぼ無縁なもので、
若い方は聞いたこともなかったりするのではないだろうか。
炭(木炭・竹炭・石炭など)の粉末を、
フノリ(布海苔/フノリ科の海藻)などの結着剤と混ぜ、
団子状に整形・乾燥した燃料のこと。
冬の季語にもなっている。

炭団坂

踊り場があり、植物が植えられ、
美しく整備された今では明るい印象の階段だ。

坂を上り詰めた右側に坪内逍遙(つぼうちしょうよう)が住んだ家跡があり、
春日通りへ向かう途中には、
真砂中央図書館や文京ふるさと歴史館など区の施設、
諸井恒平(もろいつねへい/秩父セメント創業者)邸などがある。