玉川上水を歩く (25) 岩崎橋と烏山村分水口跡

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目の2019年2月18日、四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2回目2019年3月20日は前回の終点、
笹塚「南ドンドン橋」を出発。

南西方向へ歩いて環七横断地下道を通り抜け、
その後は北西へ向かい、
代田橋駅前で甲州街道に入って
暗渠の上を西へ歩いた。

杉並区内の玉川上水暗渠の上には
3つの公園と1つの緑地が作られている。
下流から玉川上水公園・玉川上水永泉寺緑地、
そして玉川上水第三公園・玉川上水第二公園。
全長約2,000メートルの散歩道だ。

これらの緑道を通り抜け,その後しばらく
中央道&首都高4号線の高架下の甲州街道を歩き、
久我山で再び暗渠となった玉川上水の水面を見ながら
久我山から三鷹駅前の三鷹橋まで続く、
都立玉川上水緑道に入った。

赤線で囲んだ部分が岩崎橋と烏山村分水口跡

この記事では2日目の終点となった
玉川上水緑道の岩崎橋と、
岩崎橋から見える烏山村分水口跡、
そして岩崎橋横の玉川上水説明版の写真を紹介する。

岩崎橋と玉川上水の説明版
岩崎橋横の玉川上水の説明板

   玉川上水(たまがわじょうすい)
 玉川上水は、多摩川の水を江戸市中に供給するため、承応(じょうおう)二(一六五三)年、庄右衛門・清右衛門兄弟(後の玉川兄弟)が江戸幕府から下命(かめい)され開削(かいさく)した上水路です。
 西多摩郡羽村(羽村市)から四谷大木戸(新宿区内藤町)まで約四十三キロメートルを開水路で導水し、そこから先は石管や木管によって江戸市内に給水しました。杉並区内の流れは、牟礼橋(むればし)から代田橋(だいたばし)に至る約六キロメートルです。工事はわずか一年有余といういおどろくべき早さで完成しました。江戸市内への都市生活用水の供給というい本来の目的を果たす以外に、水の乏しかった武蔵野台地の村々に分水することで、飲料水・潅漑用水・水車の動力として新田開発をうながし、武蔵野台地の原野を畑作地帯へと変化させました。
 玉川上水の分水口(ぶんすいこう)の数は、『上水記』によると、最古の野火止用水(のびどめようすい)をはじめ最盛期には総数三十三ヶ所にものぼり、杉並区内には、下高井戸村分水・烏山村分水・上北沢村分水の取水口がありました。この説明版の前方にみえるのが烏山分水口跡で、上北沢村分水口跡(現在地より下流へ約四十メートル)とともに貴重な遺構です。このうち上北沢村分水には途中に三左衛門水車が設置され、近郷近在の人々に親しまれ、「車堀(くるまぼり)」と呼ばれました。
 江戸の人々の暮らしを支えた玉川上水は、明治三十一(一八九八)年、東京に近代水道が完成したため、同三十四(一九〇一)年に廃止されましたが、水路は大部分がそのまま淀橋浄水場(よどばしじょうすいじょう)への導水路として使用されていました。新宿副都心計画にともない、昭和四十(一九六五)年に淀橋浄水場が廃止されると、流路はさらに短縮され、現在では小平監視所(小平市中島町)から上流域のみを水道導水路とし、中流域は東京都の清流復活事業により、水再生センターの高度処理水が導水されています。
 玉川上水は、平成十五(二〇〇三)年八月、江戸・東京の発展を支えた歴史的価値を有する土木施設・遺構として、国の史跡に指定されました。
 説明版の右手にある「岩崎橋(いわさきばし)」は、明治の中頃まで通称「庄ちゃん橋」と呼ばれ、農作業用に使用されていました。その後「樋口橋(ひぐちばし)」と名を変えますが、昭和十四(一九三九)年、現在の烏山に工場を建設した「岩崎通信機株式会社」の名をとって、現在に至っています。
   杉並区教育委員会

杉並区教育委員会の説明版(岩崎橋横)
玉川上水説明版の地図とかつての写真

玉川上水の周辺にはよく玉川上水の説明版があるが
岩崎橋横の看板は非常に気合いが入った立派なものだ。
周辺の昔の写真まで載っていて興味深い。

玉川上水説明版
玉川上水説明版の上北沢村分水口跡の写真
玉川上水説明版の烏山村分水口跡の写真
玉川上水説明版の大正末期~昭和初期の分水口の写真
玉川上水説明版の昭和18年当時の岩崎橋の写真
玉川上水説明版の平成27年当時の岩崎橋の写真
玉川上水説明版の岩崎橋周辺の地図

もちろん、説明版だけでなく禁止看板もあった。

岩崎橋横の禁止看板

明治までは「庄ちゃん橋」、
その後「樋口橋」に名を変え、
「岩崎橋」となったのは昭和14年。

岩崎橋

現在の岩崎橋は2016年に架けられたもの。

岩崎橋
岩崎橋

岩崎橋の上から下流を眺めると
烏山村分水口跡がよく見える。

烏山村分水口跡

烏山分水口から取水された水は、
烏山用水を経由し、
烏山川の流量を増やすために用いられた。
玉川上水からの分水は、
昭和初期まで行われていたようだ。

烏山村分水口跡

世田谷区を流れていた烏山川は、目黒川の支流。
世田谷区北烏山の高源院弁財天堂の池などが源流だった。
現在は暗渠化され、見ることはできない。
烏山川の暗渠の上は緑道として整備が進み、
烏山川緑道になっているとのことだ。

岩崎橋から見た玉川上水と烏山村分水口跡

岩崎橋から北へ歩くとほどなく神田川で、
神田川を渡ると京王電鉄井の頭線の久我山駅がある。

玉川上水を歩く (24) 浅間橋と上北沢分水口跡

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目の2019年2月18日、四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2回目2019年3月20日は前回の終点、
笹塚「南ドンドン橋」を出発。

南西方向へ歩いて環七横断地下道を通り抜け、
その後は北西へ向かい、
代田橋駅前で甲州街道に入って西へ。
ひたすら玉川上水暗渠の上を歩いた。

杉並区内の玉川上水暗渠の上には
3つの公園と1つの緑地が作られている。
下流から玉川上水公園・玉川上水永泉寺緑地、
そして玉川上水第三公園・玉川上水第二公園。
全長約2,000メートルの散歩道だ。

これらを歩いた後、しばらく
中央道&首都高4号線の高架下の甲州街道を歩いた。

この記事で歩いた場所を地図上に赤く示す。

久我山で高速道路と分かれると、
再び玉川上水の水面を見ながら歩く緑道が出現した。
久我山から三鷹駅前の三鷹橋まで続く、
都立玉川上水緑道の始まりだ。

都立 玉川上水緑道

この記事には、
玉川上水が開渠となる浅間橋から、
久我山駅へ続く岩崎橋までの写真を載せている。

浅間橋

浅間橋は橋と言っても暗渠の上なので、
橋と言うより玉川上水が現れる場所という感じだ。

浅間橋

緑道は玉川上水に沿ったまっすぐな散歩道で
もちろん禁止看板も健在。

浅間橋付近から岩崎橋方面を見る
玉川上水緑道の立入禁止看板@久我山

しっかりした柵を設けた上に、
幾つも看板を掲げなければならないほど
立ち入る人が多いらしい(?)。

玉川上水緑道の立入禁止看板@久我山

久しぶりに緑道の案内地図も立っていた。
玉川上水緑道の周辺は公園も多く環境が良さそうだ。

玉川上水緑道の案内看板@久我山

車道との間は生垣で隔てられ散歩を楽しめるようになっている。
生垣にはウツギの木などが植えられていた。

玉川上水緑道@久我山
玉川上水緑道@久我山

気をつけて歩くと、
たまに水道用地の目印が埋まっている。

水道局の基準点@玉川上水緑道(久我山)

水の流れは小川のようだが
綺麗な水がたっぷり流れている。

玉川上水

短い区間だが、この間には
上北沢分水口跡と烏山分水口跡が見られる。
両方とも岩崎橋にほど近い場所だ。

上北沢分水口跡

上北沢分水は、
玉川上水から北沢川に水を引き入れた分水。
玉川上水が築かれたのは1653年だが、
ほぼ直後と行っても良い1658年から運用されている。

北沢分水の分水口は何度か移動し
現在残っている分水口は最後のものらしい。

上北沢分水口跡

春浅い季節だったので分水口も良く見えたが、
季節が進んで草木が生い茂ったら
おそらく「北澤分水」の石樋も緑に埋もれ、
かなり捜しにくくなることだろう。

上北沢分水口跡
上北沢分水口跡
上北沢分水口跡

玉川上水の中に
明らかな構造物の痕跡が残っているのが分かる。

上北沢分水口跡

季節は桜もまだ咲いていない早春で、
玉川上水の土手には水仙の花が咲いていた。

玉川上水(久我山)