下町風俗資料館 (1)

 上野の不忍池の畔に小さな博物館があります。

 「台東区立 下町風俗資料館

 気軽に短い時間で見学し、昔懐かしい文化を学べます。
 特に修学旅行生にお勧め!

  • 開館 9時30分~16時30分(入館16時まで)
  • 休館日 月曜日(祝日の場合翌平日)と年末年始・展示替期間
  • 料金 大人300円 小中高校生100円
  • 所在地 台東区上野公園2-1

 大正時代くらいまで下町に残っていた江戸の風情を残す文化。
 関東大震災と戦災により街は様変わりし、すっかり失われようとしていたそれらの文化の記憶を残しておきたいという願いから、貴重な品々の寄付が集まり、昭和55年(1980年)にオープンした資料館だそうです,

下町風俗資料館

 不忍池の南東角の建物で、昔ながらの円柱形の郵便ポストが目印です。

自働電話

 資料館に入って受け付けを済ませると、受付台の横に六角柱の形をした赤い電話ボックスがあります。明治43年から各地に設置された電話ボックスで、電話機は実際に触ってみることができます。

 「自働電話」の名前は、英語の「オートマティック・テレフォン」を直訳したもので、大正15年(1926年)頃に交換手を介さないダイヤル式の電話機が導入された頃から「公衆電話」と呼ばれるようになったそうです。

花緒の製造卸問屋

 電話ボックスの奥には花緒の製造卸問屋があり、当時の商家の様子を伝えています。
 「出桁(だしげた)造り」という作業場と帳場がある典型的な建物です。
 帳場には江戸の大店らしく、お酉さまの熊手が飾られていました。

 こちらは作業場。
 色とりどりの花緒が美しいですね。

花緒の製造卸問屋 作業場

 商家の向かいには長屋が建ち、長屋の庭先に小さなお稲荷様が祀られています。

長屋の奥のお稲荷様

 卸問屋の向かいの狭い路地に囲まれて建つ長屋は、薄壁で2件に仕切られ、駄菓子屋を営む母娘と、銅壺(どうこ)屋の職人一家4人が住んでいるという設定です。
 こちらは銅壺屋の作業場。
 銅壺とは銅板で作った湯沸かし器のことで、他に鍋ややかんなど、銅で作る器具の製造や修理を行う、庶民に欠かせない仕事でした。火を扱う職人の職場らしく、火の神様が祀られています。

 こて、やっとこ、金切り鋏、万力、るつぼ等々の道具が並んでいます。

銅壺屋の作業場

 長屋の横の路地。
 ホオズキやアロエは今でも下町の路地で見られますね。

長屋横の路地

 駄菓子屋さんの商品棚。
 シールにお面、折り紙に紙の着せ替え人形などなど。
 子供だったら何時間見ても見飽きない宝物が、所狭しと並んでいます。

駄菓子屋さん
駄菓子屋さん

 お店や住居の中には自由に入り、じっくり見学することができます。
 これらの品々は皆、かつて大切に使われていたものです。

 資料館の1階は問屋さんと長屋だけ。次回は2階部分の展示をご紹介します。

明治150年記念 日本を変えた千の技術博 (2)

卓上電話機

National Museum of Nature and Science,Tokyo

 前記事の続きです。
 上野の国立科学博物館へ、特別展「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」を見に行ってきました。

新幹線1号試験台車のプレート

 東海道新幹線の開通は、前回の東京オリンピック直前1964年(昭和39年)10月1日。

 藤岡市助(1857年生)が高速電気鉄道の許可を求めてから57年。
 1939年(昭和14年)に弾丸列車計画が始まってから25年。
 新幹線の実現には、多くの技術開発が必要でした。

 交流電化にパワーエレクトロニクス。
 車体のエアロダイナミクスと軽量化。
 高速時の振動理論に 高速に耐える架線。
 自動列車制御などなど。

 まさに「夢の超特急」だったのですね。

セルロイドの石鹸箱

 セルロイドの石鹸箱、独特の輝きがとても綺麗ですね!
 お人形やお面、筆箱に洗面器、グリーティングカードなどなど、
 昔懐かしいセルロイドの製品たち。

 セルロイドは1868年にアメリカで発明された、世界初の熱可塑性(ねつかそせい)合成樹脂。植物繊維のセルロースが原料です。
 日本では20世紀初頭から製造が始まり、1937年(昭和12年)には世界一のセルロイド生産国でした。
 今でも高級メガネフレームやギターのピックなどに使用されているそうです。

 昭和の時代、よくベビーベッドの上に吊されていた玩具、中に小鳥が住んでいる鳥籠だったことに初めて気がつきました。この玩具の正式名称を知らなかったのですが、「天井吊り下げメリー・ガラガラモービル」と言うみたいですね?

セルロイドの天井吊り下げメリー・ガラガラモービル

 合成樹脂の時代と共に、合成繊維の時代も始まりました。
 レーヨンは1916年(大正5年)に初めて工業化、1926年(大正15年)に製造開始されました。そして1930年代には、日本は世界トップクラスのレーヨン製造国なったそうです。

レーヨンの工業化について

 次は農業の発展です「。
 古来から動植物と共に暮らしてきた日本人は、長い年月をかけ、経験と努力でイネとカイコの品種改良を行ってきました。

繭標本
右上:1813年~1843年  右下:1886年~1889年
左上:昭和期~現代   左下:大正前期

 カイコ(家蚕)は明治初期には欧州へ大量に輸出されるようになり、明治中期から昭和初頭にかけてイタリアやフランスから多くの品種が輸入され、在来種との交配により品種改良が進みました。
 江戸時代からの繭標本が残っていることには驚きましたが、繭の大きさが現代は江戸時代の4倍くらいに大きくなっていることにも驚きました。

現代のお米の祖先 陸羽132号

 「陸羽132号なくして皆のご飯なし!」だそうです。
 稲作の歴史は冷害との闘い。
 1921年に誕生した陸羽132号は冷害に強く、多くの日本人を救いました。

栽培米の系統図
耐震技術のコーナー

 1923年の関東大震災の後、耐震研究が進みました。
 このコーナーには、建造物の地震に対する応答の解析を行った最古の地震振動装置(1929年)や、耐震技術の結晶だった霞が関ビルディング(1968年)の模型などが展示されていました。

卓上電話機

 向かって左の黒い電話機は1933年(昭和8年)製造で、以降の電話機の原型になったモデル。
 薄緑色の電話機は1952年(昭和27年)製造。現代の回線でも使用可能だそうです。

日本最初期の肩掛型テープ録音機 PT1(M-1)型,1951年(昭和26年)製

 PT1(M-1)型は、東京通信工業1951年(昭和26年)製。
 放送局で愛用されたテープレコーダーで、録音機を呼ぶ「デンスケ」という愛称の始まりの製品だそうです。

 このコーナーには磁気テープの手作りを実演するビデオがあり、大変興味深く視聴しました。

 以上、2回に分けて展示の一部を紹介してみました。
 展示の開催期間は 2019年3月3日(日)まで。

 大変見応えのある展覧会です。
 科学技術に興味がある方はきっと楽しめると思います!

明治150年記念 日本を変えた千の技術博 (1) – かわゆら
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