玉川上水を歩く (45) 小平市ふれあい下水道館

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市の鷹の台まで歩いた。

ふれあい下水道館の位置を示した。地図はクリックで拡大する。

この記事には、
府中街道(都道17号)と玉川上水が交差する久右衛門橋の
すぐ南にある小平市ふれあい下水道館の写真を載せた。

ふれあい下水道館は府中街道沿い。
玉川上水の久右衛門橋の南30mほどで、入館料無料。
下水は上水とセットだし、
玉川上水の散策ついでに立ち寄るには良い施設だ。

ふれあい下水道館

ふれあい下水道館では、受付でマンホールカードを配っている。

小平市のマンホールカード

マンホールカードとは,
GKP(下水道広報プラットホーム)が,
マンホールの蓋を管理する地方公共団体と共同で作成する
マンホールの蓋のコレクションカード。
全国で600種類以上が発行されている。
配布場所はGKPのホームページで確認できる。

小平市ふれあい下水道館の階段

展示は下水道が通る地下深くに向かって、
地階へ下っていく。
階段を下りながら、その深さでの地層を勉強できる仕組みだ。

随所に可愛いキャラクターもいる。
下水道館のキャラクターは、ヒルガタワムシのヒルガタワムちゃんで、
尺取り虫のように歩いたり繊毛で泳いだりするそうだ。
クマペラくんは、クマムシとペラネマらしい。

ふれあい下水道館の展示風景
ふれあい下水道館の展示
まいまいず井戸の説明

まいまいず井戸の模型が展示されていた。

まいまいず井戸の模型
小平市ふれあい下水道館の展示風景

人は少なく、じっくり見学できた。

実際の下水道管を見学できる最下階には
床に本物の小平市マンホールが埋め込まれていた。

色々なデザインのマンホールの蓋があるが、
これらの配置には、区分や種類など意味があるのだ。

色々な管

この扉の向こうに下水道がある。

小平市ふれあい下水道館の下水道見学スペース
下水道の環境がモニターされている。

これが本物の下水道だ!

小平市ふれあい下水道館の下水道見学スペース

下水道の上に踊り場のようなスペースが設けられ、
そこから下水道を見下ろすことができる。

小平市ふれあい下水道館の下水道見学スペース
下水道を流れる下水

小平市ふれあい下水道館は1995年オープンということだ。
1階の受付がある階には、
ヤマメ・イワナ・ニジマスなど渓流魚を飼育する水槽があり、
水繋がりなのか、
水琴窟(すいきんくつ)も楽しめるようになっていた。

渓流魚の水槽

水琴窟の音を聞いたのは初めてだったが、
とても澄み切った、涼しげな美しい音だった。

ふれあい下水道館は屋外にも展示がある。
玄関周辺には花が咲き、水路にはオタマジャクシも泳ぎ、
ゆっくりできる空間になっていた。

屋外展示の礫泥水加圧蝉シールド掘進機

礫泥水加圧(れきでいすいかあつ)
セミシールド掘進機(くっしんき)

 この機械 は地中深く、直径700ミリの下水道管を設置するときに使用するものです。この機械で地中にトンネルを掘って進み、トンネルが掘られると機械後部に管を設置しながら、順次、前進し下水道管を設置する作業をします。特に市街地では、地上の日常活動に支障なく工事が進められるので、画期的な土木機械として数多く使われています。

小平市ふれあい下水道館 野外展示
小平市ふれあい下水道館 掲示板

東京都水道歴史館 (2) 明治~現代の上水道

文京区本郷にある東京都水道歴史館は、
東京都水道局が自ら運営する
近代~現代の東京の水道について無料で学べる博物館。

入館したら、まず2階の江戸時代の上水道コーナーを見学し、
1階へ下りて明治~現代のコーナーを見るようになっている。
まず冒頭から驚いた。
江戸幕府の崩壊で水道も危機だったんだ!
言われてみれば当然のことなのだが、考えたこともなかった。

明治維新後の水道整備

現在の玉川上水や跡地、あるいは河川や公園でもそうだが、
やたらと「○○しないで下さい」という禁止の看板が多い。
なんてつまらない社会だろうと思っていたが、
それは今に始まったことではなく、昔から日本はモラルが低かったのか…、
と残念に思ったのだった。
太宰治なんて人様の飲み水たる玉川上水で自殺するモラルの低さだし…。

水道設備の整備について書かれた新聞記事

水道整備が進められた明治時代の水質調査の記録。

東京市水質試験成績報告書

蛇体鉄柱式共用栓(じゃたいてっちゅうしききょうようせん)
明治~大正時代に使われた共用栓。
水の出口が竜を象っていて、これが「蛇口」の語源となった。


蛇体鉄柱式共用栓
水圧計・濾過器模型・消火栓・蛇体鉄柱式共用栓

ロンドン市牛馬水槽協会から東京市に寄贈された馬水槽(ばすいそう)。
牛馬用、犬猫用、人間用の3つの飲み水場が設けられている。
明治39年(1906年)に東京府庁舎前に設置され給水開始。
大正7年(1918年)に水道局庁舎寄りに移転され、
昭和32年(1957年)までそこで給水に使用された。
現在は新宿駅東口に設置されている。

馬水槽(ばすいそう)

水道提供範囲が広がり水道料金の統一化が進み、
配水量は増加し、水道財政は減収。
水道普及活動の一環として、東京市水道局からこのしおりが配布された。

水道のしほり(十万栓普及宣伝しおり)

東京オリンピックが行われた昭和39年(1964年)、
「東京サバク」と呼ばれた渇水が起こり、
武蔵水路を建設し、新たに利根川へ水源を求めた。

高度経済成長と利根川水系の開発

陶製の蛇口は金属製の代用として試作されたものの使われなかった。
プラスチック製の蛇口も同様に金属製代用として試作されたが採用されず。

色々な蛇口

明治31年(1898年)東京市に近代水道が誕生。
自宅まで水道をひけない人たちのために、
鍵で管理する共用栓があちこちに設置され市民に水を届けた。
共用栓は関東大震災の頃まで使われ、文明開化の風物詩だった。

明治時代の共用栓

大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で水道施設は大被害を被った。
全力で給水の回復に努めた結果、同年12月にはほぼ平常に復旧。
水道が重要なライフラインとして認識された。

関東大震災後の給水

昭和30年代、東京には多くの団地が建てられた。
団地には風呂や水洗トイレが備え付けられ
人々の生活が大きく変わった。
洗濯機も普及し家庭で使用する水の量は急増した。

高度経済成長時代の家庭の風呂場

現在の東京の上水には高度浄水処理が施されている。
従来の浄水処理に加え、オゾン処理と生物活性炭吸着処理を組み込み、
高度浄水処理を行った東京の水道は格段に水質が向上した。

高度浄水処理のしくみ
取水塔をイメージした1階の展示風景

エントランス前にいるのは水滴くん。

水滴くんは、東京都水道局のキャラクターだ。
けっこう詳しいプロフィールが用意されている。

平成2年3月31日生まれ、おひつじ座。
出生地は笠取山(かさとりやま)山頂付近で、本籍は雲の上。
現住所は東京都新宿区西新宿二丁目8番1号。
身長と体重と足の大きさは、本当は無限大だが、
いつもは80mm、80g、27mmの小さいサイズになっている。

水滴くん

次回は東京都水道歴史館に隣接する本郷給水所公苑を紹介します!