玉川上水を歩く (61) ふたみ橋から平和橋

つつじ橋

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index


1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

7日目の2019年5月3日は、
見影橋を出発、拝島駅駅前の平和橋まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事では、
7日目の最後の区間、
ふたみ橋から拝島駅前にある平和橋までの写真を載せた。

玉川上水緑道 西部拝島線の踏切

ふたみ橋からすぐのところに、
西部拝島線の踏切があり、
踏切の横に西部拝島線が玉川上水を渡る橋梁がある。

西部拝島線 玉川上水橋梁
玉川上水緑道の上流側から西部拝島線の踏切(下流側=東方向)を振り返る

踏切を渡って50mほど歩くと、こはけ橋に到着。
こはけ橋は、信号があるT字路になっている。
橋の近くの玉川上水の中で鴨が寛いでいた。

玉川上水緑道は、
こはけ橋の前で信号つき横断歩道になっており、
横断用の旗も設置されていた。
旗入れの脇に地図看板が立っている。

こはけ橋
こはけ橋

こはけ橋の突き当たりには
スリーボンドファインケミカルという会社があり、
こはけ橋から30mほど上流の
美堀町交叉点まで会社の敷地が続いている。
その美堀町交叉点の会社の敷地内に、稲荷神社の鳥居が見えた。

玉川上水の近くでは、
こういった小さな稲荷神社をたびたび見かける。

美堀町交差点

美堀町交差点は、南へ伸びる道と
東西に延びる玉川上水緑道が交わるT字路。
その南からの道の下は、何かの水路の暗渠になっている。

玉川上水から取水しているのか流れ込んでいるのか分からなかったが、
水路と玉川上水を繋ぐ部分に、
つつじ橋という小さな橋が架かっていた。

つつじ橋

つつじ橋がある美堀町交差点も
横断歩道には横断旗が用意されていた。

つつじ橋の横には、玉川上水のフェンスの中に入るための扉。
扉から中へ入ると、つつじ橋脇に玉川上水へ下りる階段がある。

つつじ橋横の扉と玉川上水緑道

玉川上水緑道のフェンスには定期的に禁止看板。

こはけ橋 ― 平和橋 でよく見かけた禁止看板

美堀町交差点から上流へ400mほど歩いたところに、
歴史の散歩道スタンプラリーの看板と、
すっかり風化して真っ白な玉川上水の説明板が立っていた。

   玉川上水
 江戸時代のはじめ、多摩川の水を飲料水として江戸市中に供給する目的で開削された上水路です。羽村の取水口から四ツ谷(新宿区)に至るその開削は、幕府の命によって玉川兄弟が請負い、承応3年(1654年)に完成、以後、今日に至るまで江戸・東京の主要上水として機能しています。一方、この水は、水の乏しい台地上の村々にも多くの分水を通して供給され、人々の農耕生活に重要な役割りを果たしてきました。しかし、その使用に際しては幕府の許可が必要で、また種々の制限も加えられ、人々はこれを自由に使うことはできませんでした。ここより上流の平和橋から、南方の拝島本村域方面に引水される拝島分水もそのひとつで、元文5年(1740年)の開通、毎年冥加金(みょうがきん 使用料)を上納し、生活・農業用水として利用されてきたものです。
   昭和58年3月 昭島市教育委員会

昭島市の玉川上水説明板
玉川上水

スタンプラリー立て看より少し平和橋寄りに、堰のような構造物。
拝島分水取水口は、平和橋のすぐ東にあった。

平和橋近くの緑道にあった玉川上水緑道の石碑

拝島駅前の平和橋。
平行して横田基地専用線の鉄橋が架かる。

拝島駅の利用が増え橋が必要になったとき、
地元の製綿業者の平林寅吉氏と建設会社の武田平氏が
無償で建設した橋であるという。
平和橋という名は、
戦死した二人の息子を偲んで平林氏が名付けたとのことだ。

平和橋前の交差点から見た横田基地専用線の踏切と拝島駅

   平和橋のいわれ
 この橋は地元の建設推進者の御尽力により昭和四十七年四月に完成し、福生市に寄贈された。
 平和橋のいわれは世界の恒久平和を願う趣旨をもって「平和橋」と命名された。
 この度平和橋の改修にあたり当時の橋名板等をここに残すこととする。
   平成十年五月吉日 福生市

平和橋の石碑

こういう石碑の文字って、
何故こんなに読みにくい仕様なのだろう。
せっかく彫るのだから、
もっと読みやすい仕様にすればいいのにと常々思う。

拝島駅側から見た横田基地引込線の線路と玉川上水橋梁
平和橋

平和橋から下流側を見下ろすと、
拝島分水取水口が見える。

平和橋から見た拝島分水取水口

拝島分水は江戸時代から存在する古い用水路で、
現在はほぼ暗渠となってここから南下している。

拝島駅は福生市と昭島市にまたがり、
JR東日本の青梅線と五日市線、八高線、
西武鉄道の拝島線の駅となっている。

玉川上水散歩の7日目は、ここ平和橋と拝島駅が終点。
次回は拝島駅を出発し、
いよいよ羽村取水口へ到着する予定だ。

玉川上水を歩く (60) 美堀橋からふたみ橋

拝島上水橋

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index


1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

7日目の2019年5月3日は、
見影橋を出発、昭島市・福生市境界の拝島駅まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。
美堀橋

美堀橋を後にし、玉川上水の北岸を上流へ向かって歩く。
玉川上水の南側はずっと、
昭和の森ゴルフコースの広い敷地が広がっている。

美堀橋 ― 拝島上水橋 の禁止看板

昭和の森ゴルフコースの北側にあたる
美堀橋から拝島上水橋までの玉川上水のフェンスは
感心するほど禁止看板だらけだった。

こういう看板って効果があるのだろうか。
景観が悪くなっているだけのような気がするのだが。

拝島上水橋の横にあった看板。
これをキッチリ読むような人は、
そもそもゴミのポイ捨てなどしない人だと思う。

 ここは東京における自然の保護と回復に関する条例に基づいて指定された玉川上水歴史環境保全地域です。
 この由緒ある歴史的遺産と武蔵野の自然を地域の方々とともに守り育てることとしています。ごみを捨てたり水路を傷めたりしないようご協力ください。
 東京都 昭島市

拝島上水橋近くの看板
拝島上水橋

ゴルフコースの北の長い区間が終わると、
拝島上水橋が架かっている。
都道220号昭島停車場熊川線をはじめ、
幾つかの道が交差する複雑な交叉点だ。

拝島上水橋から見た玉川上水の下流方面
拝島上水橋

拝島上水橋の南詰に昭島警察署堀向駐在所がある。
可愛らしい建物だ。
この日は祝日だったので日の丸が掲げられていた。

昭島警察署堀向駐在所

駐在所の横は昭島市立上水公園になっている。

昭島市立 上水公園

拝島上水橋を渡り、
駐在所を背にして玉川上水南側の玉川上水緑道を歩く。
歩き始めてすぐのところに道標石碑が立っていた。

拝島上水橋横の石碑と玉川上水緑道

拝島上水橋から一区間歩いたところに、
歴史の散歩道スタンプラリーの看板と玉川上水の説明板。
しかし玉川上水の説明板は風化して真っ白!?
歴史の散歩道で巡る場所なのに説明が読めないのはどうかと思う。

更に少し歩くと緑道にベンチが設置されていたが、
ベンチのうしろには禁止看板。

昭島市の禁止看板

住宅地と玉川上水の間をしばらく歩くと、
木製の小さな橋、ふたみ橋が架かっていた。

ふたみ橋

ふたみ橋を渡った玉川上水の北側は昭島エコパークの梅林で、
橋の上から、すぐ上流に架かる西部拝島線の橋梁がよく見える。

ふたみ橋から見た西部鉄道拝島線

ふたみ橋を通り過ぎ、
目前に見える西部拝島線の踏切へ向かって歩いた。