怒りの葡萄

本の概要

  • 怒りの葡萄(上) Kindle版
  • ジョン・スタインベック (著), 大久保康雄 (翻訳) 
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  • 出版社 ‏ : ‎ グーテンベルク21 (2022/11/18)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/11/18
  • 本の長さ ‏ : ‎ 453ページ
  • 怒りの葡萄(下) Kindle版
  • ジョン・スタインベック (著), 大久保康雄 (翻訳)
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  • 出版社 ‏ : ‎ グーテンベルク21 (2022/11/18)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/11/18
  • 本の長さ ‏ : ‎ 424ページ

砂嵐の猛威と旱魃、大資本の進出に父祖の土地を追われたオクラホマの小作農ジョード一家は、一片の宣伝ビラの文句に誘われて「緑なす、たわわに果実の実る、職のある」カリフォルニアを目指して長い旅路につく。売れるだけの家財を売り払い、二頭の仔豚を屠って塩漬けとし、中古おんぼろ車を急造トラックに仕立て、一族12人に元説教師をくわえた一行13人は国道66号線をひたすら走る。だが、国道は同じように西へ移住しようとするトラックでいっぱいだった。災厄がつぎつぎと降りかかる。次男トムとおっかあは知恵をしぼり、気力をふりしぼって一家の苦難を支える……カリフォルニアは確かに「緑したたる」場所であった。だが、そこは夢にみた楽園ではなかった。俗語や卑語を駆使し、全体状況をさしはさむテンポのよい構成で、力強くうたいあげた社会小説、家族小説。ピューリッツァー賞を受けた、スタインベックの代表作のこの作品は、20世紀アメリカ文学の金字塔である。

本の概要より

長い時を経ての再読

 大久保康雄訳の『怒りの葡萄』はかつて新潮文庫から発売されており,1987年8月にそれ(昭和62年4月10日 三十七刷)を買って読んだ。面白かったとか感銘を受けたとかそういった覚えはなく,ただひたすら鬱々とした旅が続き陰鬱で暗く救われない物語だったという印象のみが辛うじて残っている。

 再び読もうと思う日が来るとは思っていなかったが,たまたま放送大学のオーディトリアムで映画『駅馬車』を見て,同じジョン・フォード監督の映画作品に『怒りの葡萄』があることを知り,もう一度本書を読んで,ジョン・フォード監督の映画『怒りの葡萄』も見てみようと思い立ったのだった。
 40年も経てばどんなにぼんやり生きていてもそれなりに経験値が増えているし,40年前よりはマシな感想が持てるのではないかという期待もあった。


 再読してみると,確かに以前とは異なり興味深く読むことができた。以前読んだ時は読むのが苦痛なほど面白くなかったが,今回は続きを楽しみにしながら読んだ。随分な違いだ。

 オクラホマの農地から追い出され,チラシで見たフルーツと白い家が建つ美しく豊かなカリフォルニアに夢を抱く人々の盲目的な強さや逞しさ。そして,そんな幻想を上書きするように次々と襲いかかる厳しい現実。生活の糧全てを失った農民達の悲惨な運命と効率を追い求める資本主義社会の現実とを,ジョード家の人々を中心に実にリアルに書かれており,退屈している暇はなかった。

 物語は奇数章と偶数章が両輪となって進んで行く。
 奇数章では物語の土台となっている社会の状況や自然的地理的条件,人々の生活や考えが抽象的に一般化して書かれ,偶数章ではジョード家の物語が描かれ,奇数章と偶数章が情報を補完し合って構成されているのだ。ジョード家の具体的な物語を中心に,その周辺にいる無関係な人々やアメリカの歴史なども織り交ぜて頭の中に世界観を構築しやすくなっている。
 40年前の私は,おそらく奇数章を単なる退屈な章だと思って読んだのだろう。人生経験や知識は物語の奥行きを感じ取る力を与えてくれたのだと思えた。


 下巻の最初でようやく一家はカリフォルニアに到着する。
 しかしジョード家を待っていたのは果実を摘んで家を持つ生活とはほど遠い流浪生活だった。移民は憎まれキャンプは焼き払われ,国営のキャンプへ落ち着いても仕事は無い。
 ケーシーにもトムにも過酷な未来が待っており,一家は最後まで安住の地を見つけられない。

 物語は1930年代のアメリカで,たった100年前のことだ。
 トラクターに追われた移民たちは,さながらコンピュータやAIに仕事を奪われることを恐れる現代人。ビラの宣伝を信じ込んで行動してしまう大衆はマスコミやインフルエンサーの言葉を信じて踊らされる現代人。資本主義社会の構造は100年前も今もそれほど変わっていないのだと思わされた。
 ジョード家を中心とした群像劇だが,最後まで読むと,結局のところ主人公は母親だったのではないかと思えた。


大恐慌とダストボウルのアメリカ

 著者のジョン・スタインベック(1902-1968)はカリフォルニア州生まれ。祖父はドイツ系の移民で多くの農地を所持していた。アメリカ文学の巨人と呼ばれ,1962年にノーベル文学賞を受賞している。

 『怒りの葡萄』は1039年に出版されており,37歳くらいの時の作品だ。
 この頃のアメリカは1929年に始まり1930年代後半まで続いた大恐慌と,1931年から1939年にかけてグレートプレーンズで吹き荒れたダストボウルにより混乱を極めていた。
 困難と苦境の中で人々は個人主義から集団へ移行し共産主義の思想も目立ってきた。『怒りの葡萄』はこの時代のアメリカの社会意識や時代精神を映し出している。


ダストボウルとビラが人々を西へ誘う

 ダストボウルは環境破壊による人災とされている。
 中西部の無節操で過剰な農地開拓と不適切な土壌管理で大地を覆っていた表土が剥ぎ取られ,表土を安定させていた草根が失われた。土壌は水分の保持能力を失い,1930年代の大干ばつがとどめを刺した。
 乾燥した表土は強風で巻き上げられ,巨大な土埃の雲となり,グレートプレーンズの表土の多くが大西洋へと消えていった。
 広大な農地に甚大な被害を及ぼしたダストボウルだったが,特にカンザス・オクラホマ・テキサスでは離職する農家が相継ぎ,約350万人が西部へ移住した。中でもオクラホマからの移住者が多く,彼らは「オーキー(Okie)」という蔑称で呼ばれて西部の人たちから嫌われた。


 『怒りの葡萄』はダストボウルにより起こった農業の崩壊と約350万人の大規模な人口移動の物語である。主人公のジョード家はオクラホマ州サリソー近郊で三代に渡って農業を営んでいたが,地主に追い立てられ,土地も家も仕事も失う。
 そんな折りに手にした「ビラ」には,カリフォルニアでは桃や葡萄を摘む仕事が山のようにあって沢山の人手を欲していると書かれていた。彼らは夢と希望を胸に中古車を購入し一家総出でカリフォルニアを目指す。この「ビラ」の威力については物語中で何度も何度も繰り返して語られる。
 彼らが走った「ハイウェイロード66(ルート66)」は,1927年に建設が始まり,1933年に完成している。丁度西部へ向かう道筋が整った時代でもあったのだ。

 10家族以上の仕事をするトラクター1台によって先祖が耕した農地から追い出され,カリフォルニアでは二束三文の賃金で働かされる移民たちが描かれていることからプロレタリア文学と見る向きもあるが,そうでないとする見方の方が多いようだ。
 弱き者・持たざる者への強い共感,母親が示す強い意志,ラストのローザシャーンの神秘的な笑み。そしてケーシーがこだわりトムに伝えた「ただ自分は偉大な霊の一部分をもっているだけだってこと」という他人との連帯感。『怒りの葡萄』は労働者の怒りを扱う文学ではなく,ヒューマニズムを扱った『出エジプト記』と重なる一大叙事詩と見られている。

あるとき、やつは自分の霊を見つけるために荒野へ出かけたんだそうだ。そして、自分だけの霊なんてものはないということに気がついたんだそうだ。ただ自分は偉大な霊の一部分をもっているだけだってことがわかったんだそうだ。荒野なんてものは、何の役にもたたねえ。なぜって、やつのもってる霊の一かけらは、残りの一かけら一かけらといっしょになり、全体のものとなるんでなけりゃ役にたたねえからというわけだて。

『怒りの葡萄』下巻

ルート66

ウィル・ロジャース・ハイウェイ
ウィル・ロジャース・ハイウェイの碑

 ルート66はイリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結ぶ全長3,755km(2,347マイル)の旧国道で,州間高速道路が整ったため役目を終え,1985年に廃線となった。

 アメリカの経済発展や移民の希望を象徴するアメリカンドリームの母なる道(マザーロード)として,ルート66は『怒りの葡萄』の他にも多くの小説・映画・名曲の舞台となって登場する。
 上の写真はサンタモニカの公園にあるウィル・ロジャースとルート66を記念する碑。サンタモニカ桟橋の近くには「ルート66終着点 (End of the Trail)」の標識がある。


ドキュメンタリー写真と『怒りの葡萄』

 「大恐慌」とか「ダストボウル」で検索すると,必ずと言って良いほどドロセア・ラング(1895-1965)という写真家の”Migrant Mother”(移動農民の母, 1936)という写真を目にする。
 彼女が農業安定局(FSA)のカメラマンとしてカリフォルニアを訪れ撮った写真で,ダストボウルによって移民となった女性の力強さや逞しさが感じられる有名な1枚だ。

 ドキュメンタリー写真という分野は1930年代に成立し,ラングは先駆者の一人だった。
 ダストボウルを扱った写真としては,同じくFSA(農業安定局)のカメラマン,アーサー・ロススタイン(1915-1985)による「埋もれた農耕機具」などもよく知られている。

 スタインベックが『怒りの葡萄』を書き始めた時代はこういった報道写真が成立した時代と重なっており,スタインベックは『怒りの葡萄』を書く前に『ライフ』誌の写真家であるホレス・ブリストル(1908-1997)と共にカリフォルニアへ取材に行っている。この時ブリストルが撮影した移動農民の写真の中に,『怒りの葡萄』の登場人物,トム・ジョード,母親,ローザシャーンのモデルになったとされる人物の写真がある。
 1940年に公開された映画『怒りの葡萄』のキャスティングは,これらの写真を踏まえて行われたとのことだ。


登場人物

  • トム・ジョード 殺人の罪のためマカレスターの刑務所にいたが仮出所。州から出ないことが仮出所の条件だったが,家族と共にカリフォルニアへ発つ。
  • ジム・ケーシー 元説教師でトムに洗礼を施した。もう自分は説教師ではないと言い,ジョード家と一緒に西へ向かう。トムを助けるために警察に連れ去られる。
  • ミューリー・グレーブズ 人々が西へ去ったオクラホマに残り農地を徘徊して過ごす男性。
  • 母親 トムの母親。優しく芯が強く,確固とした自分の哲学を持っている勇敢な女性で,移動の日々が苦しくなるにつれ一家の拠り所となっていく。
  • 父親 トムの父親でトムという名前。オクラホマのサリソーの近くで玉蜀黍を作っていたが,農場を追われ仕事を失った。旅に出てからは母親に従うしかなくなった自分をふがいなく思っている。
  • ジョン伯父 父親の兄。50歳。若い頃,結婚して四ヶ月の妊娠した妻が腹痛を起こし,医者を呼んでくれと言ったのに,食べ過ぎだ痛み止めを飲めと返事し,翌日に彼女が死んでしまったという過去があり,罪の意識に苛まされて飲んだくれている。彼女は急性盲腸だったのだ。トムはジョン伯父のことをケーシーに「世界でいちばんさびしい人間だよ」「だけど伯父はいい百姓だぜ」と語る。
  • ノア トムの兄でジョード家の長男。出産の時の不手際で知恵遅れのような容姿だが,穏やかな性格で生まれてこの方一度も怒ったことがない。うぬぼれも性欲も持たず,家族の者を好いているが決してそれを表面には出さない。旅の途中で家族から離脱し,一人でコロラド川を下っていく。
  • ローザシャーン 18歳。トムの妹。コニーと結婚し妊娠している。「シャロンのバラ」と呼ばれる。「シャロンのバラ」は,旧約聖書『雅歌』に由来する。物語中の10章で「ソロモンの「雅歌」からとって娘の名前にしたもの」と説明されている。
  • コニー・リバース ローザシャーンの夫で19歳。カリフォルニアに着いて最初のキャンプ地に着く頃には逃げ出していなくなる。
  • アル 16歳。トムの弟。人を殺したことがある兄を尊敬している。常に女の子のことばかり考えているようだが,機械工になってガレージで働きたいという夢を持っている。
  • ルーシー 12歳。トムの妹。ウィンフィールドの前でだけ元気が良く勇敢な女の子だが,実は臆病。
  • ウィンフィールド 10歳。トムの弟。ジョード家の末っ子。
  • じいさま 喧嘩も議論も猥談も好きで,意地悪で残酷で短期で体ぜんたいに楽しみが満ちあふれており,酒があれば飲み過ぎるし,食べ物があれば食べ過ぎ,年がら年中喋りすぎている老人。オクラホマを出る前に卒中で急逝し,その場に葬られる。
  • ばあさま 亭主に劣らず性悪で逞しく強烈な信心を持ち,肉欲的で野蛮。生きた鶏を振り回して缶詰行商人をぶったたいて追い出したことがある。じいさまが亡くなった後に体調を崩し,カリフォルニアに着く前に他界する。
  • アイビー・ウィルソン カンザス州から夫婦で西へ向かっており,キャンプで知り合う。じいさまがウィルソン家のテントで亡くなったことを縁に,ジョード家とカリフォルニアに着く直前までの旅を共にする。
  • セリー・ウィルソン 体が弱く,彼女の体調が原因でジョード家と別れる。おそらくジョード家と別れた後に亡くなったと思われる。
  • ティモシー・ウォーレス 息子のウィルキーと共に,国営キャンプでの最初の朝,トムに朝食を振る舞いトーマス牧場の仕事を紹介する。
  • ジム・ローリー ウィードパッチ国営キャンプの管理人。親しみの他には何も見つからないような小男。
  • リズペス・サンドリー 急進的なキリスト教信者で,ダンスのような不信心な行いをするとお腹の赤ちゃんに悪いことが起こるとローザシャーンを怖がらせる。
  • エズラ・ヒューストン ウィードパッチ国営キャンプの衛生班の議長。
  • ウィリー・イートン 国営キャンプの娯楽委員会の議長。筋張ったテキサス男。ダンスの夜の陰謀を見事に阻止する。
  • アギー・ウェンライト 有蓋貨車キャンプでジョード家の隣人となったウェンライト家の娘で,アルと結婚の約束をする。

各章の概要メモ(20章から下巻)

  1. 雨の降らない乾いたオクラホマ。
  2. トラックの運転手とヒッチハイクをしたトム・ジョード。
  3. ハイウェイを歩く亀。調べた結果,この亀は「オルネイト・ボックス・タートル(Terrapene ornata)」の可能性が高そうである。陸生で昆虫や植物を食し,オクラホマやカンザスなど中西部・南部の乾燥した草原に広く生息している。この亀は,文学では「押し返されても諦めず進み続ける庶民の粘り強さ・希望」の象徴として描かれているらしい。
  4. トラックを見送って,土亀と元説教師のジム・ケーシーに出会うトム・ジョード。
  5. トラクターに取って代わられる小作人の農民達。綿花から利益を吸い取ろうとする銀行。銀行は怪物? トラクターと運転手の描写がすごい。人は憎い者を憎悪で語るときここまで一方的に決めつけることができるのだ!
  6. トムが帰った場所には,誰も住んでいないトラクターでジョード家の家だった。ケーシーとトムは,そこで昔なじみの隣人ミューリーに会う。そして見回りをやり過ごし,一緒に兎の肉を食う。
  7. 町外れの中古車販売店にて。
  8. 早朝の綿花畑をジョン伯父の家に向かって歩くトム・ジョードと説教師のケーシー。
  9. 思い出の品々のこと。
  10. 家族会議。豚を殺し,持って行けない荷物を焼いて出発。ミューリー・グレーブズが見送りに来る。
  11. 人がいなくなった家が自然に帰って行く様子。
  12. 逃亡の国道,母なる道(マザー・ロード)国道66号(Highway 66)。アーカンソーからオクラホマ,テキサスをかすめてニューメキシコ州とアリゾナ州の山岳地帯を横切り,コロラドの渓谷に入る。河を一つ超えてカリフォルニアに入る。カリフォルニアの砂漠と山をこえ,やっと果樹園と葡萄園の都市へ辿り着く。
  13. 道中のガソリンスタンド。車にぶつかって犬が死んだ。オクラホマの最後のキャンプ地で,今度はじいさまが卒中で死んだ。彼は自分の一部であるオクラホマから出たくなかったのだ。死亡届を出すお金はなく,ケーシーに祈ってもらい穴を掘って埋める。キャンプ地で一緒になったカンザス州から来たウィルソン夫妻と旅を共にすることになる。
  14. 怯える西部諸州の大地主たち。トラクターに土地を追われた男たちにとって,トラクターは戦車と殆ど変わりない。人を追い立て脅かし傷つけるのだから。
  15. ハイウェイ66号沿いのハンバーグ・スタンド。
  16. 一緒に西へ向かうジョード家とウィルソン夫婦。オクラホマを出てテキサスを横切りニューメキシコの山々。ローザシャーンは西部で家族と離れて暮らす夢を見,ウィルソン夫妻の車は部品が壊れ,母親は家族がバラバラになることを許さない。トムとアルは片目の男がいる中古車屋で部品を手に入れる。ケーシーは地方全体が西へ移動することに危機感を覚える。
  17. 西へ向かう家族たちのキャンプの日常風景。夕方から朝まで。集う人々は大きな家族となり礼儀をわきまえてキャンプをする。情報交換を氏,ギターを弾いて歌を歌い,眠る。そして出発する。
  18. ジョード家はカリフォルニア州に入り,川で水浴びをし,カリフォルニアから帰ってきた父子と話す。ノアは家族を離れ川を下っていく。一家は警察に追い立てられ出発。セリーの体調が悪くウィルソン夫妻は出発できずここで別れる。一家は砂漠を越えて渓谷の向こうに美しいカリフォルニアを見るが,同時にばあさんが亡くなったことも知った。
  19. カリフォルニアがメキシコ人から奪われて,百姓から商人に奪われて,農業が大企業となっていった歴史。餓えた30万人もの人々が溢れるカリフォルニアの地主たちは怯えていた。
  20. 初めてフーバビルのキャンプにやってきたジョード家。父親は先住者に挨拶しても上手くいかず,母親は子供達にシチューを分けて先住の女性に嫌味を言われる。出ていこうとするケーシーをトムがとめ,アルはフロイドという男と親しくなって北に仕事があると教えてもらう。しかしトムが保安官補と一悶着起し,トムを庇ってケーシーが保安官に連れて行かれてしまう。コニーはローザシャーンを置いて消えてしまい,ここに残るというジョン伯父を無理矢理連れて,一家は焼き討ちに遭うフーバビルから出発する。この時点で,一行のメンバーからじいさん・ばあさん・ノア・コニー・ケーシーがいなくなってしまった。
  21. 移民の集団と,移民から生活を守ろうとする集団。
  22. ウィードパッチのキャンプの衛生班の四号へ入れることになる。トムはキャンプで朝食を共にしたティモシー・ウォーレスと息子のウィルキー・ウォーレスと一緒にトーマスの農場で働くことになる。トーマスは内緒で,キャンプの土曜日の晩のダンスで起こることになっている騒動について教えてくれる。ルーシーとウィンフィールは水洗トイレに驚き,母親は男性用の洗面所に入ってしまったりする。父親とジョン伯父とアルはタイヤの調子も悪く,仕事を探せず帰ってくる。
  23. 疲れた移民の男たちの娯楽。物語,体験談,かつて見た映画,ハーモニカ,ギター,バイオリン。牧師がそんな彼らの説教をし,雪のように白く洗い清められる。
  24. 土曜日のダンス。ダンス場破りを阻止しようとする衛生班の議長エズラ・ヒューストンたち。トムはもう委員になっている。警備を言い付かっているウィリー・イートンはトムに警備を頼む。ダンスで騒ぎを起こす計画は阻止された。
  25. カリフォルニアの春は美しく,農業技術者の献身により果実も野菜もたわわに実るが,収穫する人出を雇う費用がない。価格を下落させるわけにはいかず,盗まれるわけにはいかない。結果,果物は腐り捨てられ,豚は殺される。
  26. ジョード家は仕事を見つけられずウィードパッチを出て北へ向かうことにする。フーバー農場で桃を摘む仕事を得るが不穏な雰囲気。トムはケーシーと再会し,ケーシーが殺されたことで我を忘れ二度目の殺人を犯す。一家はトムを匿い翌日にはフーバー農場を出発。 トムは家族に迷惑をかけないように野良生活をすることにし,ジョード家は綿摘み募集のビラを見かける。
  27. 綿袋を1ドルで買って始める綿摘みの仕事。ビラを見て千人が綿花畑に押し寄せる。積み手は袋に土や石を入れ,秤はインチキで化かし合い。冬が来る前に稼ごうと必死になる人々。
  28. 川岸の低地に並ぶ有蓋貨車の片隅にジョード家は居場所を見つけ,綿摘みに出かけた。ルーシーがトムのことを他人に話してしまう。家族が人を殺したということが自慢になる世界だ。母親はトムに遠くへ行くよう話し別れを告げる。トムは最後にケーシーから聞いた話を母親に聞かせる。『伝道の書』(4, 9-12) アルとアギー・ウェンライトは結婚することになる。ジョード家とウェンライト家は一緒に綿を摘みに出かけたが,仕事は午前中で終わってしまう。身重のローザシャーンも何が何でも摘みに行くと言って一緒に出かけ,雨に濡れて風邪を引き,父親とジョン伯父とアルは雨の中を薪集めするのだった。
  29. 降り止まない雨でテントも車も失い,救済も受けられず,冬期で仕事も得られない人たち。
  30. 降り止まない雨の中,ローザシャーンのお産が始まり一家は動くこともできず,父親たちは堤防を築くが,雨の中を苦労して作った堤防は倒れた木によってあっけなく破壊される。ローザシャーンの赤ちゃんは死産で,ジョン伯父が遺体を川に流す。一家は水に浸ろうとしていたキャンプを逃れ,近くの小屋へ避難する。そこには子供と死にかかった父親がいた。ローザシャーンは自分のお乳を父親に飲ませようとする。

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月夜のでんしんばしら

本の概要(青空文庫)

 月夜,恭一という男の子が線路の横を歩いていた時の物語。
 恭一は電信柱の列が行進するのを見かけ,電信柱たちを制御する電気総長に出会う。彼らの進軍は汽車が来ない時にひっそりと行われる。
 幻想的で不思議な物語で,線路や電信柱の風景は『シグナルとシグナレス』とも繋がっていくように思える。1924年に出版された童話集『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』に収録された9作品の一つ。

 以下,理解できなかったところを中心に考察しておく。引用は青空文庫から。


窓から棒を出した汽車

 ある晩、恭一はぞうりをはいて、すたすた鉄道線路の横の平らなところをあるいてりました。
 たしかにこれは罰金ばっきんです。おまけにもし汽車がきて、窓から長い棒などが出ていたら、一ぺんになぐり殺されてしまったでしょう。
 ところがその晩は、線路見まわりの工夫もこず、窓から棒の出た汽車にもあいませんでした。

 物語の冒頭部分だ。
 恭一は本来立ち入り禁止の線路のすぐ横を歩いているようだ。夜に何のために歩いていたのか不明だが,九日の月が明るく照らす夜なので,そんなに遅い時間帯ではなかったようだ。
 ともかく線路の横を歩くのは違法行為で危険な行為だったようだ。見つかったら罰金ものらしいから。

 しかしこの夜は,見回りの人も棒の出た汽車も来ない静かな夜だった。月明かりの下の静寂さが際立っていた。

 そこまではよくわかるが,「窓から棒の出た汽車」とは?
 この書き方だと,窓から棒の出た汽車が通る機会は意外と頻繁にあるもののようだ。しかも線路脇にいる人を殴り殺せるほど長い。普通の客車ではなく,おそらくは保線作業や点検をするための車両のことだろう。
 では,そういう作業車両は窓から棒を突き出してどんな作業を行っていたのだろうか?

 ・電線・送電設備:架線のたるみ・碍子の異常・電線のたるみ等を棒や器具で確認
 ・信号・分岐器:信号レバーや分岐器(ポイント)を棒で操作

 当時汽車の窓から突き出していたかどうかは分からないが,高所にある碍子に触れて劣化を確認するための絶縁棒というものがあり,これは現在でも使われているようだ。


お城のように見える駅

恭一はすたすたあるいて、もう向うに停車場
ていしゃば
のあかりがきれいに見えるとこまできました。ぽつんとしたまっ赤なあかりや、硫黄
いおう
のほのおのようにぼうとした
むらさき
いろのあかりやらで、
をほそくしてみると、まるで大きなお城があるようにおもわれるのでした。

 「まっ赤」と「ぼうとした紫いろ」の2種類のあかりは何を指しているのだろうか。
 この「赤」と「紫」については加島篤氏による下記URLの論文に詳しい考察がなされていた。

童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察 加島 篤
(北九州工業高等専門学校研究報告第44号(2011年1月))

 加島氏によると,「赤」は場内信号機の停止信号,「紫」は転轍機(ポイント)の定位を示す淡紫色の灯りであるとのことだ。遠方からの確認が必要な信号機の灯は指向性が高いのに対し,その必要がない転轍機の灯は拡散して「ぼう」と見えることまで考察されている。
 非常に納得がいく説明だと思う。

 ところで,硫黄の炎色反応は一般的に「青」と表現されるようだ。
 画像検索をすると少し紫色っぽい青なのかもしれない。硫黄を燃焼させると有毒な二酸化硫黄が発生するため学校の炎色反応の実験で用いられる可能性は非常に低く,実際に見る機会はそうそうないと思われる。
 紫色の炎色反応といえばまず「カリウム」が思い浮かぶのではと考えるが,賢治さんは何故硫黄にしたのだろうか。硫黄を選んだ理由があるのだろうか。単にカリウムより硫黄が好みだったのだろうか。


シグナルばしら

とつぜん、右手のシグナルばしらが、がたんとからだをゆすぶって、上の白い横木をななめに下の方へぶらさげました。これはべつだん不思議でもなんでもありません。

腕木式信号機
腕木式信号機

 この「シグナルばしら」は『シグナルとシグナレス』と同じ機械式の腕木式信号機で,昼間は腕木の動き,夜はランプの色付きレンズを切り替える信号機だ。

 この物語は夜なので,腕木ではなく色付きレンズを通した光で信号を送っていたのではないか?という疑問が生じた。が,腕木の位置と色レンズは一体型の機械式だった。
 ゆえに夜であっても腕木が動き,連動して正しい色のレンズが光を通したのだ。

 「横木が斜めに下がった」ということは,信号は「進行(青)」ということ。
 恭一は行く手に駅を見ているので,この信号機はおそらく駅の構内に入る直前にある場内信号機であろう。「進行」ということは,次の汽車に「この先の駅へ入っても良い」と告げているはず。

 だが,ここで動き出したのは電信柱たちだった。


 つまりシグナルがさがったというだけのことです。一晩に十四じゅうし回もあることなのです。

 上記の加島氏の考察によると,「一晩に十四回」でこの線路が東北本線であることがわかるそうだ。
 一つの腕木式信号機が14回作動するには同方向の列車が14回通過せねばならず,夜間にそれほどの数の列車が通るのは東北本線であろうとのこと。


電信柱の構造

 さっきから線路の左がわで、ぐゎあん、ぐゎあんとうなっていたでんしんばしらの列が大威張
おおいば
りで一ぺんに北のほうへ歩きだしました。みんな
つの瀬戸
せと
もののエボレットを
かざ
り、てっぺんにはりがねの
やり
をつけた亜鉛
とたん
のしゃっぽをかぶって、片脚
かたあし
でひょいひょいやって行くのです。

「もうつかれてあるけない。あしさきが
くさ
り出したんだ。長靴
ながぐつ
のタールもなにももうめちゃくちゃになってるんだ。」

電信柱
電信柱

 シグナルが下がり,青信号の合図と共に,電信柱たちは一斉に北へ向かって歩き始めた。
 物語では線路が何線なのかも恭一がどちらの方角へ向かっているかも書かれていないが,電信柱の進軍方角だけは「北」と明記されている。

 電信柱の構造物に独特の名前がつけられているが,当時の電信柱に詳しくない身の上としては少々戸惑う。
 図に描いてみることにした。

 「童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察」様の解説を参考に構造物について上から順にメモしておく。

  • 針金の槍:地線(ground wire)。雷撃を大地へ逃がすための亜鉛メッキの鉄線。
     
  • 亜鉛のシャッポ:笠金(電柱笠)。亜鉛メッキの鋼板でできた笠で,雨水による木柱の腐蝕を防いでいる。「しゃっぽ」は帽子の方言で,正しく帽子の役割を担っている。
    「しゃっぽ」は南山形の方言だが,「シャッポを脱ぐ」という慣用句があるため,比較的標準語でも認識されていると思う。
     
  • 6つの瀬戸物のエポレット:碍子。長石磁器で作られており,電線と電柱の間に絶縁を確保し,電線から電柱へ電気が漏れるのを防いでいる。電力を安全かつ安定的に供給するための必須部品だ。
    エポレットはフランス語の肩章(épaulette)で,軍服の装飾の一つ。「電信柱の軍隊」に相応しい装飾品ということになる。
     
  • 片脚:電柱は1本柱なので片脚。
     
  • 長靴のタール:木柱はそのままでは8年程度で腐朽する。防腐剤を木柱に注入する方法が開発されたが,それ以前は木柱を根焼きし地表付近までコールタールを塗っていた。防腐技術が確立する以前の,根元から腐る電柱に悩まされた技術者たちの叫びを電柱が代弁しているようだ。

電信柱の種類:工兵・竜騎兵・てき弾兵

二本うで木の工兵隊
六本うで木の竜騎兵

 電信柱の軍隊は兵科に分かれた規律ある軍隊だった。
 だが兵科の知識も電柱の知識も持っていないため物語を読んでもピンとこない。どういった兵がどういった柱として登場しているか,加島氏の『童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察』を参考にまとめておく。


工兵

工兵:陸軍で戦闘支援をする技術兵科で,築城・架橋・鉄道敷設・爆破・測量などを担当する。歩兵・砲兵・騎兵に並ぶ四大兵科の一つ。

 電信柱の工兵:二本うで木。六つの瀬戸物のエポレットを飾り,天辺に針金の槍をつけた亜鉛のしゃっぽをかぶっている。低圧の電線路で碍子は白色。

 信号機や駅舎に電力を送る配電線の電柱で,電気設備の維持を担っている。このため兵站整備を任務とする工兵に例えられている。

竜騎兵

竜騎兵:近世ヨーロッパの兵科の一つで,火器で武装した騎兵。

六本うで木の二十二の瀬戸もののエボレットをつけたでんしんばしらの列が、やはりいっしょに軍歌をうたって進んで行きます。

 電信柱の竜騎兵:六本腕木で二十二の瀬戸物のエボレット。低圧の電線路で碍子は白色。碍子の数の多さ(電線の数多さ)から鉄道通信線の電柱と考えられる。

 通信して情報を伝える役目を負う電柱なので,情報収集を行って攻撃や偵察を任務とする竜騎兵に例えられている。

鉄道通信線の電柱と高圧送電線の電柱
鉄道通信線の電柱と高圧送電線の電柱

擲弾兵

擲弾兵:近世ヨーロッパの歩兵連隊で,擲弾(手榴弾)の投擲を任務とする兵士。重い擲弾を遠くへ投擲するため精神的肉体的に優れた兵士が選ばれ,歩兵の精鋭部隊とされていた。

ところが
おど
ろいたことは、六本うで木のまた向うに、三本うで木のまっ赤なエボレットをつけた兵隊があるいていることです。

 電信柱の擲弾兵:三本腕木のまっ赤なエボレット。赤い碍子は高圧送電線。

 高圧送電の強烈なイメージが擲弾と重なり擲弾兵に例えられている。
 また,線路脇の配電線(工兵)や通信線(竜騎兵)は鉄道省管理だが,高圧送電線は電力会社管理なので,異なる軍歌を歌っている。

電信柱の数と距離

「ドッテテドッテテ、ドッテテド、
 タールをれるなが靴の
 歩はばは三百六十尺。」

 「360尺=109.091m」である。
 歩幅についても「童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察」様で明快に考察されており参考になった。「歩はば」は歩行の1周期を表す複歩の幅(径間の2倍)と考えられる。
 英米の鉄道電信線路の径間は60ヤード(54.9m)が標準で,日本もそれに準拠していたと考えれば,54.9×2=109.8。ほぼ360尺となる。

 いちれつ一万五千人
 はりがねかたくむすびたり

 径間の平均を50mとして計算する。

50m×15000本=750000m=750km

 大正4年(1915年)の東北本線(上野ー青森)は735.3kmだそうで,これに東京ー上野の3.6kmを加えると 738.9kmだ。

 15000本の電信柱は,東京ー青森の電信柱の列だと分かる。


 「360尺」も「15000本」もきちんと意味がある数字であり,この短い童話は細部の細部まで作り込まれた世界なのだ。

 『月夜のでんしんばしら』を含む『注文の多い料理店』という童話集について,「『注文の多い料理店』新刊案内」で下記のように説明されている。

この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。
(略)
これらは決して偽でも架空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分析とはあっても、たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。

 架空ではないのだ。
 賢治さんは月夜の電信柱の行進を見て彼らの軍歌を聞いたのかもしれない。


疲れる恭一のこと

 恭一は九日の月が照らす線路の脇を歩いていただけだった。
 ところがシグナルの合図とともに電信柱の行進という変てこな事態が発生した。電信柱は工兵や竜騎兵や擲弾兵になって,軍歌を歌いながら北へ向かって進んでいく。しかも「大威張り」なのだ。

でんしんばしらの列が大威張
おおいば
りで一ぺんに北のほうへ歩きだしました。

 それだけでも十分に圧倒される光景である。
 その上,通り過ぎて行く電信柱たちは何故か恭一を意識し威嚇し続ける。


そしていかにも恭一をばかにしたように、じろじろ横めでみて通りすぎます。

でんしんばしらはもうみんな、非常なご機嫌
きげん
です。恭一の前に来ると、わざと肩をそびやかしたり、横めでわらったりして過ぎるのでした。

どんどんどんどんやって行き、恭一は見ているのさえ少しつかれてぼんやりなりました。
でんしんばしらは、まるで川の水のように、次から次とやって来ます。みんな恭一のことを見て行くのですけれども、恭一はもう頭が痛くなってだまって下を見ていました。


 このような非現実的な光景が次々と過ぎていくのを目の当たりにし,しかも威嚇され続けたら,どれほど精神的に消耗し疲れるだろうか。

 精神攻撃を受けて疲れていく恭一は,さながら次々と生み出される新技術によって加速して変わり続ける社会に翻弄されて疲れる現代人のようではないか?!


列車の赤い火

そのとき、線路の遠くに、小さな赤い二つの火が見えました。

 「小さな二つの火」は機関車の前面についている標識灯のことらしい。
 加島氏の『童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察』によると,赤い標識灯は「単線区間を走行する臨時列車の前部標識灯」と解釈できるとのこと。
 賢治さんがこの物語の舞台にしたであろう1909年~1920年(明治42年~大正9年)の東北本線は単線で,その頃の鉄道信号規程では下記のように決められていたそうだ。

 ・単線区間は「赤」(対向列車に停止を示す)・複線区間は「緑」
 ・通常列車は「緩衝梁の右側に一個」・臨時列車は「緩衝梁の両側に各一個」

 ゆえに2つの赤い燈を点灯した列車は,単線区間の臨時列車と断定できるのだ。


電気総長

 電気総長は「せいの低い顔の黄いろなじいさん」で,「まるでぼろぼろの鼠いろの外套を着て」号令をかけながら線路の横を歩いてくる。
 じいさんに見つめられた電信柱たちは「木のように堅くなって」「足をしゃちほこばらせ」脇目も振らず歩いて行く。どう見ても電信柱たちの親分的存在で偉そうだ。

 じいさんは恭一に見られていたことを知ると「仕方ない。ともだちになろう」と握手を求めるが,握手で恭一を感電させ「わしとも少し強く握手すればまあ黒焦げだね」と威嚇する。
 可愛そうな恭一はすっかり怯え,流石に気の毒に思ったじいさんは,自らを「電気総長」だと名乗り,少しばかり打ち解けた様子で電線にまつわる外国の物語を恭一に話して聞かせる。

「有名なはなしをおまえは知ってるだろう。そら、むすこが、エングランド、ロンドンにいて、おやじがスコットランド、カルクシャイヤにいた。むすこがおやじに電報をかけた、おれはちゃんと手帳へ書いておいたがね、」

 「カルクシャイヤ」がスコットランドのどこなのか調べてみたが,架空の地名である可能性が高そうだ。だが,具体的な場所はこの逸話では二の次であろう。
 ロンドンにいた息子がスコットランドに住む父親に「Send my boots, instantly」と電報を打ったが,父親は電信柱の針金に長靴をぶら下げたというのだ。電気のことを理解していなかった父親は,電線が長靴を運んでくれると勘違いしていたのだ。

 また別の逸話では,「灯を消してこい」と上官に言われた新兵が,電燈に息を吹きかけて消そうとしたという。つまり,新兵はランプの火を消すように電燈を消そうとしたのだ。
 似たような話として,電気会社では毎月どれほどの油を使うのだろうと人々が話していたことも語られている。

 電気総長が語る新しい技術に戸惑う人たちの話は,電信柱の行進を見て疲れを感じていた恭一に通じるものがある。

 『童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察』様によると,電気総長は発電機の擬人化と考えられるとのことだ。
 電気総長は,最後は車内灯が消えている客車の下へ飛び込んで消えるが,これについても解説されている。機関車に牽引された客車は架線から電力を得ることができないため,床下に発電機と蓄電器が仕込まれていた。総長はこの発電機に身を転じ客車に灯りを灯したのである。

 電気総長が指揮する電信柱の軍隊が北を目指していたのは,北の地の先端まで電気を通そうとする当時の時代の流れであると思われた。


九日の月

 『『注文の多い料理店』広告文』に『月夜のでんしんばしら』についてはこのように書かれている。

うろこぐもと鉛色の月光、九月のイーハトヴの鉄道線路の内想です。

 作中に季節を限定する言葉はないが,この一文より物語の舞台が9月であるとわかる。
 現在の太陽暦が採用されたのは明治5年(※)なので,『月夜のでんしんばしら』が掲載された童話集『注文の多い料理店』が発行された1924年(大正13年)は,現在と同じ暦が使われていた。故に,宮沢賢治が言う「九月」は現在の9月と同じ季節のことである。

※ 明治改暦:明治5年(1872年)12月3日を明治6年(1873年)1月1日とした。


 九日の月は,半月より大きく満月より小さい。
 九日の月は九夜月(くやづき)と呼ばれ,新月から数えて9日目。上弦の月齢が7〜8なので,左の図のように上弦より少し大きめの月となる。

九日の月
九日の月

 月の出や南中時刻は季節や場所によって少しずつ異なるが,秋の岩手県では,九日月の動きは下記のようになる。

 月の出:14時頃
 南中:19時頃
 月の入り:0時半頃

 作中の下記の表現から,月は比較的高い位置にあって線路を照らしている印象を受ける。舞台は南中前後,宵の早い時間帯,19時前後のことであろう。

月がうろこ雲からぱっと出て、あたりはにわかに明るくなりました。

 三日月や上弦,満月のように天文に興味がない人でもすぐに思い付くような月齢ではなく「九日の月」にしたことには何か理由があるのだろうか?
 賢治さんに詳しくないので考察はできないが,具体的な月齢が書かれているため,日暮れが早くなった秋の夜の早い時間帯で,恭一という少年が一人で歩いていることにもそれほど違和感を感じずに読める。

 また,上弦を過ぎた明るい月であるため,月明かりが鱗雲を突き抜けて見えていること,雲から出た月が明るく辺りを照らしたことにも納得がいく。

うろこぐもはみんな、もう月のひかりがはらわたの底までもしみとおってよろよろするというふうでした。

 月が雲から出て来ると,電信柱たちは非常なご機嫌となった。
 また,電気総長は月や雲の具合を確認していた。
 そしてシグナルが上がると同時に月は雲に隠れ,行進も終わる。

 この物語が含まれる童話集『注文の多い料理店』の序文に下記のように書かれている。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
にじ
や月あかりからもらってきたのです。

 『月夜のでんしんばしら』は,「鉄道線路で月からもらってきた」物語なのだ。月が雲を通して,或いは雲から顔を出して見ていた秋の夜の鉄道線路に起こったひとときの風景を,賢治さんが月からもらって書いたのだ。
 月光が醸し出す幻想的なイメージが,時代を貫く新しい科学技術と見事に調和している。
 何度読んでも発見がある魅力的な童話だと思う。


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