さようなら58654 – SL人吉

 展示されたり修理されて現役復帰したり引退したり,また復帰したり…。熊本県民に長い間愛されて走ってきた大正11(1922)年生まれの機関車,58654(国鉄8620形蒸気機関車)SL人吉が,2024年3月23日で運行終了が決まった。

 今度こそ,きっと本当にお仕舞いだろう。

SL人吉(2011-03-24)
SL人吉(2011-03-24)

 58654は,もともと人吉で展示されていたが,1988年に「SLあそBOY」として営業運転を開始した。阿蘇を走る傍ら,たまに「SL人吉号」としても走っており大活躍だった。
 「阿蘇で遊ぼう」という可愛らしい愛称で県民に親しまれていたが,修理不能となって2005年8月28日をもって廃止。

SLあそBOY(2005-08-07)
SLあそBOY(2005-08-07)

 しかし,不可能と言われた修復を実現させ,肥薩線開業100周年記念して2009年4月25日から,今度は熊本ー人吉間で「SL人吉」として運行開始したのだ。それから15年も走り続けた58654だったが,部品調達や技術者確保が困難になり,今年とうとうラストランを迎えることになったのだ。
 本当に長い間頑張ってくれた機関車,ありがとう!

 丁度13年前に肥薩線白石駅で撮ったSL人吉の勇姿を載せておこう。
 肥薩線は球磨川沿いの狭い土手を走る単線なので,列車は駅で離合する。SL人吉は白石駅で普通列車を待って5分ほど停車し,八代方面へと出発した。

(写真はクリックで拡大)

 こういう観光列車は,乗っている方も見送る方も楽しい気持ちでその場限りの時間を共有する。ホームでカメラを構える私たちへたっぷりの煙をサービスしてくれた機関士さんも,乗客たちも,みんな手を振って出て行った。
 心和むひとときだった。

 ホームには58654を見送る活動をされている方がいらして,旗を持ってSL人吉を迎えて見送っておられた。

 肥薩線白石駅は,明治41年の開業当時の木造駅舎が趣深く素敵だった。

JR九州肥薩線 白石駅(2011-03-24)
JR九州肥薩線 白石駅(2011-03-24)

 SL人吉を見送った後に球磨川沿いを下っていくと,次の駅に停車しているSL人吉を見かけた。長閑な素敵な風景だった。
 58654号よ,本当に長い間お疲れ様でした。

瀬戸石駅に停車するSL人吉(2011-03-24)
瀬戸石駅に停車するSL人吉(2011-03-24)
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洋学校教師館(ジェーンズ邸)

 洋学校教師館ジェーンズ邸は熊本県に現存する最古の洋風建築で,1970年に熊本市指定有形文化財に,1971年に熊本県指定重要文化財に指定されている。

ジェーンズ邸(2023-10-25)
ジェーンズ邸(2023-10-25)

熊本洋学校のこと

 明治4(1871)年に建てられた当初は,熊本城内(現在の第一高等学校)にあった。
 熊本藩知事だった細川護久氏が,新時代を担う熊本の少年達に西洋文化を取り入れた学問を施そうと考え,洋学校をつくってジェーンズ氏を招いたのだった。

 リロイ・ランシング・ジェーンズ氏(1837-1909)は熊本洋学校教師として明治4年8月に熊本へやってきて,明治9年に洋学校が閉校になるまでここに住んだ。彼は熊本の若者たちの指導にあたり,また熊本の人達の食生活の改善にも尽力した。
 熊本近代化の父とも言われ,また教え子達を通じて日本の近代に大きな足跡を残した人だった。


転々としたジェーンズ邸の運命

 ジェーンズ氏と家族の邸宅として使用された後,この建物は西南戦争で政府軍本営として使用され,征討大総督の有栖川宮熾仁親王の御宿所に充てられた。
 有栖川宮熾仁親王がここで博愛社(後の日本赤十字社)の設立を許可したことから,日本赤十字社発祥の地としても知られることとなった。

 ジェーンズ邸は明治半ばには当時の熊本県庁の一角に移築され,昭和初期には日赤が譲り受け日赤病院の敷地内に移築。更に1968年に熊本市へ譲渡され,水前寺の動物園跡に移築された。

 流転の歴史をたどったものの,熊本市によって水前寺の地で一般公開され,ジェーンズ邸の運命もようやく落ち着いたように見えた。
 けれど近年は老朽化による傷みが大きな問題となっていた。そんな時に発生したのが2016年の熊本地震。前震で大きなダメージを受けたところに本震が発生し,美しかったジェーンズ邸は,見る影も無いほど完全に倒壊してしまったのだった。

熊本洋学校教師ジェーンズ邸パンフレット
熊本洋学校教師ジェーンズ邸パンフレット

 ネットで全壊したジェーンズ邸の写真を見かけたときの凍り付いたような悲しさは今も忘れない。この惨状ではもうどうにもならない。あの美しい洋館はもう二度と見られないのだと思った。

 だがジェーンズ邸を惜しむ有志たちは,すぐさま行動を起こしていた。
 全壊したジェーンズ邸の残骸をブルーシートで覆って守り,1500点以上の資材を救出。再建に向けて活動を開始されたとのことだ。


熊本地震前のジェーンズ邸

ジェーンズ邸・日赤記念館(2002-11-10)
ジェーンズ邸・日赤記念館(2002-11-10)

 水前寺動物園跡にあった頃のジェーンズ邸。
 ここに掲げられている「日赤記念館」「ジェーンズ邸」の看板は,全壊した瓦礫の中から救出され,再建されたジェーンズ邸で展示されている。

 この書棚の上にあった水差しや,硝子ケースの中に展示されていたティーカップなどはおそらく地震で消失してしまったのだろう。

 2階の廊下の扉にはめられたステンドグラスは,再建後のジェーンズ邸でも同じように再現されていた。


2023年に再建されたジェーンズ邸

ジェーンズ邸(2023-10-25)
ジェーンズ邸(2023-10-25)

 再建されたジェーンズ邸の1階に,再利用できなかった旧ジェーンズ邸を造っていた建材が説明と共に展示されている。
 見覚えのある品々の無残な姿は痛々しい。そして,一つ一つ瓦礫の中から救出しクリーニングされたのだと思うと,地道な作業とそれを続けた努力と愛情に頭が下がる想いだった。

 新しいジェーンズ邸は,以前のジェーンズ邸とは随分と雰囲気が異なる。
 再建にあたり建築間もない頃のジェーンズ邸の写真を参考に外観の色を復元。屋根瓦の配置や鎧戸も建築当初の姿に近づけたとのことだ。

ジェーンズ邸(2023-10-25)
ジェーンズ邸(2023-10-25)
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