玉川上水を歩く (26) 岩崎橋から牟礼橋

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

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1日目の2019年2月18日、四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで歩いた。

3日目の2019年3月24日は、
前回の終点、岩崎橋を出発し、
三鷹駅前の三鷹橋までを歩いた。

この記事で歩いた部分を地図上で赤く示した

この記事では岩崎橋から
杉並区と三鷹市の境界にある牟礼橋(むればし)まで。
杉並区内の玉川上水西端の写真を載せた。

岩崎橋

京王井の頭線久我山駅で下車し、
南へ歩いて出発点の岩崎橋へ向かった。
橋の上から4日前に見たばかりの烏山村分水口跡を確認。

岩崎橋から見た玉川上水と烏山村分水口跡

岩崎橋で起点の写真を撮り、
玉川上水の北側の緑道を歩いて西へ向かった。

玉川上水緑道(杉並区久我山)

3月も下旬で桜が咲き始めており、
玉川上水の土手にはスズランも咲いていた。

玉川上水緑道の桜
玉川上水土手のスズラン

車道と切り離された緑道は安全な散歩道だ。

玉川上水緑道

ところどころに案内地図の看板がある。
看板の周辺は兵庫橋公園で近くに兵庫橋があったようだが、
気づかずに通り過ぎてしまったらしい。
玉川上水の北を歩いたので気づかなかったが、
南側には水難者慰霊碑というものもあったようだ。

玉川上水緑道の案内マップ

何の説明もなかったが、
このあたりに旧久我山水衛所があったようなので、
その名残の設備だろうか。

旧久我山水衛所あたり
旧久我山水衛所あたり

ほどなく牟礼橋(むればし)へ到着したが、
このあたりは大々的な工事中だった。

牟礼橋(むればし)

牟礼橋はもともと人見街道の橋だったが、
この交差点で交わっている
東八道路および放射5号線を合わせて道路の整備中。
橋の架け替え工事中だったようだ。

牟礼橋と大ケヤキ
牟礼橋(むればし)

牟礼橋の近くには大きなケヤキの木があり、
その下には庚申塚があった。
古くから地元の人々の目印になってきた木なのだろう。

人見街道の大ケヤキ

道路工事で非常に複雑になっている牟礼橋を通り過ぎ、
杉並区を後にし、三鷹市へ入った。

大ケヤキと庚申塚

参考サイト:
人見街道「牟礼橋」架け替え完了 : 俺の居場所2
東八道路の東側「高井戸~三鷹間」開通!区部と多摩地域が直結!開通時の様子や詳細など : 俺の居場所2

玉川上水を歩く (25) 岩崎橋と烏山村分水口跡

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

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1日目の2019年2月18日、四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2回目2019年3月20日は前回の終点、
笹塚「南ドンドン橋」を出発。

南西方向へ歩いて環七横断地下道を通り抜け、
その後は北西へ向かい、
代田橋駅前で甲州街道に入って
暗渠の上を西へ歩いた。

杉並区内の玉川上水暗渠の上には
3つの公園と1つの緑地が作られている。
下流から玉川上水公園・玉川上水永泉寺緑地、
そして玉川上水第三公園・玉川上水第二公園。
全長約2,000メートルの散歩道だ。

これらの緑道を通り抜け,その後しばらく
中央道&首都高4号線の高架下の甲州街道を歩き、
久我山で再び暗渠となった玉川上水の水面を見ながら
久我山から三鷹駅前の三鷹橋まで続く、
都立玉川上水緑道に入った。

赤線で囲んだ部分が岩崎橋と烏山村分水口跡

この記事では2日目の終点となった
玉川上水緑道の岩崎橋と、
岩崎橋から見える烏山村分水口跡、
そして岩崎橋横の玉川上水説明版の写真を紹介する。

岩崎橋と玉川上水の説明版
岩崎橋横の玉川上水の説明板

   玉川上水(たまがわじょうすい)
 玉川上水は、多摩川の水を江戸市中に供給するため、承応(じょうおう)二(一六五三)年、庄右衛門・清右衛門兄弟(後の玉川兄弟)が江戸幕府から下命(かめい)され開削(かいさく)した上水路です。
 西多摩郡羽村(羽村市)から四谷大木戸(新宿区内藤町)まで約四十三キロメートルを開水路で導水し、そこから先は石管や木管によって江戸市内に給水しました。杉並区内の流れは、牟礼橋(むればし)から代田橋(だいたばし)に至る約六キロメートルです。工事はわずか一年有余といういおどろくべき早さで完成しました。江戸市内への都市生活用水の供給というい本来の目的を果たす以外に、水の乏しかった武蔵野台地の村々に分水することで、飲料水・潅漑用水・水車の動力として新田開発をうながし、武蔵野台地の原野を畑作地帯へと変化させました。
 玉川上水の分水口(ぶんすいこう)の数は、『上水記』によると、最古の野火止用水(のびどめようすい)をはじめ最盛期には総数三十三ヶ所にものぼり、杉並区内には、下高井戸村分水・烏山村分水・上北沢村分水の取水口がありました。この説明版の前方にみえるのが烏山分水口跡で、上北沢村分水口跡(現在地より下流へ約四十メートル)とともに貴重な遺構です。このうち上北沢村分水には途中に三左衛門水車が設置され、近郷近在の人々に親しまれ、「車堀(くるまぼり)」と呼ばれました。
 江戸の人々の暮らしを支えた玉川上水は、明治三十一(一八九八)年、東京に近代水道が完成したため、同三十四(一九〇一)年に廃止されましたが、水路は大部分がそのまま淀橋浄水場(よどばしじょうすいじょう)への導水路として使用されていました。新宿副都心計画にともない、昭和四十(一九六五)年に淀橋浄水場が廃止されると、流路はさらに短縮され、現在では小平監視所(小平市中島町)から上流域のみを水道導水路とし、中流域は東京都の清流復活事業により、水再生センターの高度処理水が導水されています。
 玉川上水は、平成十五(二〇〇三)年八月、江戸・東京の発展を支えた歴史的価値を有する土木施設・遺構として、国の史跡に指定されました。
 説明版の右手にある「岩崎橋(いわさきばし)」は、明治の中頃まで通称「庄ちゃん橋」と呼ばれ、農作業用に使用されていました。その後「樋口橋(ひぐちばし)」と名を変えますが、昭和十四(一九三九)年、現在の烏山に工場を建設した「岩崎通信機株式会社」の名をとって、現在に至っています。
   杉並区教育委員会

杉並区教育委員会の説明版(岩崎橋横)
玉川上水説明版の地図とかつての写真

玉川上水の周辺にはよく玉川上水の説明版があるが
岩崎橋横の看板は非常に気合いが入った立派なものだ。
周辺の昔の写真まで載っていて興味深い。

玉川上水説明版
玉川上水説明版の上北沢村分水口跡の写真
玉川上水説明版の烏山村分水口跡の写真
玉川上水説明版の大正末期~昭和初期の分水口の写真
玉川上水説明版の昭和18年当時の岩崎橋の写真
玉川上水説明版の平成27年当時の岩崎橋の写真
玉川上水説明版の岩崎橋周辺の地図

もちろん、説明版だけでなく禁止看板もあった。

岩崎橋横の禁止看板

明治までは「庄ちゃん橋」、
その後「樋口橋」に名を変え、
「岩崎橋」となったのは昭和14年。

岩崎橋

現在の岩崎橋は2016年に架けられたもの。

岩崎橋
岩崎橋

岩崎橋の上から下流を眺めると
烏山村分水口跡がよく見える。

烏山村分水口跡

烏山分水口から取水された水は、
烏山用水を経由し、
烏山川の流量を増やすために用いられた。
玉川上水からの分水は、
昭和初期まで行われていたようだ。

烏山村分水口跡

世田谷区を流れていた烏山川は、目黒川の支流。
世田谷区北烏山の高源院弁財天堂の池などが源流だった。
現在は暗渠化され、見ることはできない。
烏山川の暗渠の上は緑道として整備が進み、
烏山川緑道になっているとのことだ。

岩崎橋から見た玉川上水と烏山村分水口跡

岩崎橋から北へ歩くとほどなく神田川で、
神田川を渡ると京王電鉄井の頭線の久我山駅がある。