藤崎八旛宮は熊本市域の総鎮守だ。
国道3号線沿いに大きな石柱と石灯籠があり,楼門まで長い参道を歩く。
清原元輔の歌碑は,楼門から本殿の方へ入らず,本殿を取り囲んだ赤い塀の外にある。
幾つも並んだ摂社末社,石碑などの前を通り過ぎ,白川沿いに近い一番奥まで歩くと,ようやく歌碑があった。
清原元輔歌碑
清原元輔歌碑の説明版
元輔は寛和二年(九八六)京都から従五位上肥後守として着任し、永祚二年(九九〇)まで肥後の国府(現熊本市西区二本木)で政務を執った。ある年の正月、現在の藤崎台球場の地にあった藤崎宮で「子の日の松」の行事を催し、詠んだ歌にちなんで明治三十年、この歌碑が建てられた。元輔は三十六歌仙の一人で平安中期を代表する歌人であり、枕草子の作者、清少納言の父である。元輔を祀った清原神社は熊本市西区春日にある。書は藤崎宮社司 吉永千秋である。
藤崎の軒の巌に生ふる松
いま幾千代か子の日過ぐさむ
「子日の松」は,正月の「子の日の遊び」の際に,長寿を祈って引き抜いて庭に植えたりする小松のこと。「子の日の遊び」は正月の最初の子日に,野に出て若菜摘みをしたり小松を引き抜いたり,歌を詠む宴を開いて長寿を祝ったりした行事だ。
今の時代には縁遠くなってしまった行事だが,『源氏物語』などにも出てくる行事で,当時は普通に行われていたようだ。