明治150年記念 日本を変えた千の技術博 (2)

卓上電話機

National Museum of Nature and Science,Tokyo

 前記事の続きです。
 上野の国立科学博物館へ、特別展「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」を見に行ってきました。

新幹線1号試験台車のプレート

 東海道新幹線の開通は、前回の東京オリンピック直前1964年(昭和39年)10月1日。

 藤岡市助(1857年生)が高速電気鉄道の許可を求めてから57年。
 1939年(昭和14年)に弾丸列車計画が始まってから25年。
 新幹線の実現には、多くの技術開発が必要でした。

 交流電化にパワーエレクトロニクス。
 車体のエアロダイナミクスと軽量化。
 高速時の振動理論に 高速に耐える架線。
 自動列車制御などなど。

 まさに「夢の超特急」だったのですね。

セルロイドの石鹸箱

 セルロイドの石鹸箱、独特の輝きがとても綺麗ですね!
 お人形やお面、筆箱に洗面器、グリーティングカードなどなど、
 昔懐かしいセルロイドの製品たち。

 セルロイドは1868年にアメリカで発明された、世界初の熱可塑性(ねつかそせい)合成樹脂。植物繊維のセルロースが原料です。
 日本では20世紀初頭から製造が始まり、1937年(昭和12年)には世界一のセルロイド生産国でした。
 今でも高級メガネフレームやギターのピックなどに使用されているそうです。

 昭和の時代、よくベビーベッドの上に吊されていた玩具、中に小鳥が住んでいる鳥籠だったことに初めて気がつきました。この玩具の正式名称を知らなかったのですが、「天井吊り下げメリー・ガラガラモービル」と言うみたいですね?

セルロイドの天井吊り下げメリー・ガラガラモービル

 合成樹脂の時代と共に、合成繊維の時代も始まりました。
 レーヨンは1916年(大正5年)に初めて工業化、1926年(大正15年)に製造開始されました。そして1930年代には、日本は世界トップクラスのレーヨン製造国なったそうです。

レーヨンの工業化について

 次は農業の発展です「。
 古来から動植物と共に暮らしてきた日本人は、長い年月をかけ、経験と努力でイネとカイコの品種改良を行ってきました。

繭標本
右上:1813年~1843年  右下:1886年~1889年
左上:昭和期~現代   左下:大正前期

 カイコ(家蚕)は明治初期には欧州へ大量に輸出されるようになり、明治中期から昭和初頭にかけてイタリアやフランスから多くの品種が輸入され、在来種との交配により品種改良が進みました。
 江戸時代からの繭標本が残っていることには驚きましたが、繭の大きさが現代は江戸時代の4倍くらいに大きくなっていることにも驚きました。

現代のお米の祖先 陸羽132号

 「陸羽132号なくして皆のご飯なし!」だそうです。
 稲作の歴史は冷害との闘い。
 1921年に誕生した陸羽132号は冷害に強く、多くの日本人を救いました。

栽培米の系統図
耐震技術のコーナー

 1923年の関東大震災の後、耐震研究が進みました。
 このコーナーには、建造物の地震に対する応答の解析を行った最古の地震振動装置(1929年)や、耐震技術の結晶だった霞が関ビルディング(1968年)の模型などが展示されていました。

卓上電話機

 向かって左の黒い電話機は1933年(昭和8年)製造で、以降の電話機の原型になったモデル。
 薄緑色の電話機は1952年(昭和27年)製造。現代の回線でも使用可能だそうです。

日本最初期の肩掛型テープ録音機 PT1(M-1)型,1951年(昭和26年)製

 PT1(M-1)型は、東京通信工業1951年(昭和26年)製。
 放送局で愛用されたテープレコーダーで、録音機を呼ぶ「デンスケ」という愛称の始まりの製品だそうです。

 このコーナーには磁気テープの手作りを実演するビデオがあり、大変興味深く視聴しました。

 以上、2回に分けて展示の一部を紹介してみました。
 展示の開催期間は 2019年3月3日(日)まで。

 大変見応えのある展覧会です。
 科学技術に興味がある方はきっと楽しめると思います!

明治150年記念 日本を変えた千の技術博 (1) – かわゆら
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明治150年記念 日本を変えた千の技術博 (1)

Milburm電気自動車(Milburm Wagon Co./製)

National Museum of Nature and Science,Tokyo

 上野の国立科学博物館の特別展へ行ってきました。

入場チケット

時代が転換するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学・技術の成果が一堂に集まります。
日本各地の大学・研究機関や企業などから、600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!

http://meiji150.exhn.jp/exhibition/

 ってことで、本当に盛りだくさんの内容でした。
 ゆっくり見学したかったので平日の昼間に時間をとって行きましたが、あまりの展示の膨大さに途中で脚がつりそうになるほど。休憩して残りは端折って見ましたが、展示を見終わるのにほぼ4時間かかりました。
 興味がある分野だけ重点的に見るような見方をしても良いかもしれませんね。

 国立科学博物館はだいたい写真撮り放題で、特別展もフラッシュを使わなければ撮影OK。沢山撮ってきましたが、とても全部載せているわけにはいかないし、ピックアップして、それでも2回に分けて掲載していきたいと思います。

展示の案内役を担う 鬼龍子(きりゅうし)

 特別展のエントランスをくぐるとまず1対の狛犬のような彫像。
 鬼龍子(きりゅうし)と呼ばれる霊獣で、かつては江戸幕府が直轄した昌平坂学問所を見守っていました。しかし関東大震災で失われ、この展示のために復活!
 特別展全体の案内役を担い、要所要所で現れます。


奥羽追討陸軍病院(白河口)の病院旗と 奥羽追討陸軍病院(平潟口)の病院旗

 「病院」という言葉は戊辰戦争の頃から使われるようになったとのことです。
 両旗ともに1868年(慶応4年・明治元年)のレプリカ。

帯締め用組ひも機

 48本の糸を使用し、芯の周りを筒状に編んでいく。
 現代でも同様の技術でシールド電線、水道ホース、光ファイバーが作られ、人工血管への応用研究も進められているそうです。

ゴッドフリート・ワグネル作 旭焼

 化学遺産である、ゴッドフリート・ワグネル作の『旭焼 釉下彩雀図皿(ゆうかさいすずめずざら)』(1885年・明治18年)と『釉下彩鴛鴦図皿(ゆうかさいおしどりずざら)』(1893年・明治26年)。

明治時代の電気扇

 1933年(昭和8年)に宮内庁から下賜された機器の一つで、電池式の扇風機。

 家電の普及により生活改善が推奨されていた頃のポスター。何だか今の時代よりこのポスターの中の方が改善された優雅な世界に見えてしまうのですが…。

冷凍利用の恩恵
家庭の団らん

 生活改善の波は女性の美しさへも。

明色クリンシンクリーム

 桃谷順天館製の明色クリンシンクリーム。
 化粧を落とすための洗顔クリームで、「美人は夜つくられる」というラジオ広告が22時の時報と共に流されて一世を風靡したとのこと。

明色アストリンゼン

 桃谷順天館製の明色アストリンゼン(1936年・昭和11年発売)。
 弱酸性の化粧品の必要性を感じた桃谷幹次郎(東京帝国大学医科大学)によって開発された化粧水。
 女性の社会進出が進み職種も増え、化粧品の需要も高まり、 この後多くのアストリンゼント化粧水(収れん化粧水)が世に出たそうです。

Milburm電気自動車(Milburm Wagon Co./製)

 Milburm Wagon Companyは1915年頃から電気自動車を製造しており、日本にも輸入されていたとのこと。この自動車は1920年(大正9年)頃の製造で、20~40km/hの速度を出せるそうです。

電気自動車の時代再び

 初期の頃の自動車は電気だったとは知りませんでした。
 ガソリン車になったからこそ普及した自動車が、今再び電気の時代へ移り変わろうとしているなんて面白いですね!

 今日はここまで。残りの写真はまた後日アップします。
 開催期間は 2019年3月3日(日)まで!


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