洋学校教師館(ジェーンズ邸)

 洋学校教師館ジェーンズ邸は熊本県に現存する最古の洋風建築で,1970年に熊本市指定有形文化財に,1971年に熊本県指定重要文化財に指定されている。

ジェーンズ邸(2023-10-25)
ジェーンズ邸(2023-10-25)

熊本洋学校のこと

 明治4(1871)年に建てられた当初は,熊本城内(現在の第一高等学校)にあった。
 熊本藩知事だった細川護久氏が,新時代を担う熊本の少年達に西洋文化を取り入れた学問を施そうと考え,洋学校をつくってジェーンズ氏を招いたのだった。

 リロイ・ランシング・ジェーンズ氏(1837-1909)は熊本洋学校教師として明治4年8月に熊本へやってきて,明治9年に洋学校が閉校になるまでここに住んだ。彼は熊本の若者たちの指導にあたり,また熊本の人達の食生活の改善にも尽力した。
 熊本近代化の父とも言われ,また教え子達を通じて日本の近代に大きな足跡を残した人だった。


転々としたジェーンズ邸の運命

 ジェーンズ氏と家族の邸宅として使用された後,この建物は西南戦争で政府軍本営として使用され,征討大総督の有栖川宮熾仁親王の御宿所に充てられた。
 有栖川宮熾仁親王がここで博愛社(後の日本赤十字社)の設立を許可したことから,日本赤十字社発祥の地としても知られることとなった。

 ジェーンズ邸は明治半ばには当時の熊本県庁の一角に移築され,昭和初期には日赤が譲り受け日赤病院の敷地内に移築。更に1968年に熊本市へ譲渡され,水前寺の動物園跡に移築された。

 流転の歴史をたどったものの,熊本市によって水前寺の地で一般公開され,ジェーンズ邸の運命もようやく落ち着いたように見えた。
 けれど近年は老朽化による傷みが大きな問題となっていた。そんな時に発生したのが2016年の熊本地震。前震で大きなダメージを受けたところに本震が発生し,美しかったジェーンズ邸は,見る影も無いほど完全に倒壊してしまったのだった。

熊本洋学校教師ジェーンズ邸パンフレット
熊本洋学校教師ジェーンズ邸パンフレット

 ネットで全壊したジェーンズ邸の写真を見かけたときの凍り付いたような悲しさは今も忘れない。この惨状ではもうどうにもならない。あの美しい洋館はもう二度と見られないのだと思った。

 だがジェーンズ邸を惜しむ有志たちは,すぐさま行動を起こしていた。
 全壊したジェーンズ邸の残骸をブルーシートで覆って守り,1500点以上の資材を救出。再建に向けて活動を開始されたとのことだ。


熊本地震前のジェーンズ邸

ジェーンズ邸・日赤記念館(2002-11-10)
ジェーンズ邸・日赤記念館(2002-11-10)

 水前寺動物園跡にあった頃のジェーンズ邸。
 ここに掲げられている「日赤記念館」「ジェーンズ邸」の看板は,全壊した瓦礫の中から救出され,再建されたジェーンズ邸で展示されている。

 この書棚の上にあった水差しや,硝子ケースの中に展示されていたティーカップなどはおそらく地震で消失してしまったのだろう。

 2階の廊下の扉にはめられたステンドグラスは,再建後のジェーンズ邸でも同じように再現されていた。


2023年に再建されたジェーンズ邸

ジェーンズ邸(2023-10-25)
ジェーンズ邸(2023-10-25)

 再建されたジェーンズ邸の1階に,再利用できなかった旧ジェーンズ邸を造っていた建材が説明と共に展示されている。
 見覚えのある品々の無残な姿は痛々しい。そして,一つ一つ瓦礫の中から救出しクリーニングされたのだと思うと,地道な作業とそれを続けた努力と愛情に頭が下がる想いだった。

 新しいジェーンズ邸は,以前のジェーンズ邸とは随分と雰囲気が異なる。
 再建にあたり建築間もない頃のジェーンズ邸の写真を参考に外観の色を復元。屋根瓦の配置や鎧戸も建築当初の姿に近づけたとのことだ。

ジェーンズ邸(2023-10-25)
ジェーンズ邸(2023-10-25)
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清少納言パパを訪ねて —藤崎八旛宮

 藤崎八旛宮は熊本市域の総鎮守だ。
 国道3号線沿いに大きな石柱と石灯籠があり,楼門まで長い参道を歩く。

 清原元輔の歌碑は,楼門から本殿の方へ入らず,本殿を取り囲んだ赤い塀の外にある。
 幾つも並んだ摂社末社,石碑などの前を通り過ぎ,白川沿いに近い一番奥まで歩くと,ようやく歌碑があった。

藤崎八旛宮 清原元輔歌碑(2023-05-19)
藤崎八旛宮 清原元輔歌碑(2023-05-19)

清原元輔歌碑
元輔は寛和二年(九八六)京都から従五位上肥後守として着任し、永祚二年(九九〇)まで肥後の国府(現熊本市西区二本木)で政務を執った。ある年の正月、現在の藤崎台球場の地にあった藤崎宮で「子の日の松」の行事を催し、詠んだ歌にちなんで明治三十年、この歌碑が建てられた。元輔は三十六歌仙の一人で平安中期を代表する歌人であり、枕草子の作者、清少納言の父である。元輔を祀った清原神社は熊本市西区春日にある。書は藤崎宮社司 吉永千秋である。

藤崎の軒の巌に生ふる松
いま幾千代か子の日過ぐさむ

清原元輔歌碑の説明版

 「子日の松」は,正月の「子の日の遊び」の際に,長寿を祈って引き抜いて庭に植えたりする小松のこと。「子の日の遊び」は正月の最初の子日に,野に出て若菜摘みをしたり小松を引き抜いたり,歌を詠む宴を開いて長寿を祝ったりした行事だ。
 今の時代には縁遠くなってしまった行事だが,『源氏物語』などにも出てくる行事で,当時は普通に行われていたようだ。

藤崎八旛宮と清原元輔歌碑の地図
藤崎八旛宮と清原元輔歌碑の地図

藤崎八旛宮:熊本市の総鎮守と言われる藤崎八旛宮公式サイト

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