夏目漱石旧居跡(猫の家)―文京区

解剖坂を上り詰め、右へ曲がってすぐのところ。
夏目漱石旧居跡、通称「猫の家」がある。

夏目漱石 猫の家の猫

所在地は
東京都文京区向丘2-20-7 日本医科大学同窓会館
(当時 千駄木町五十七番地)

夏目漱石旧居跡 説明板

夏目漱石(1867~1916年/慶応3年~大正5年)は、
1900年~1902年(明治33年~35年)のイギリス留学から帰国した後、
1903年(明治36年)から3年と10ヶ月ここに住んだ。

夏目漱石旧居跡 説明板(文京区教育委員会)

夏目漱石はここに住んでいる間、
東京大学英文科の講師として生計を立て、
一方で、ここにあった家を舞台に
処女作の『吾輩は猫である』を執筆。
1905年(明治38年)1月に『吾輩は猫である』を発表した。

ここ千駄木町は、漱石文学発祥の地なのだ。

夏目漱石猫の家の猫

漱石が住んだ家は現在は愛知県の明治村へ移築され、
そちらで観ることができる。

夏目漱石 猫の家の周辺

漱石はここに住む間、精力的に作家活動を行い、
ロンドン塔を訪れた際の随筆『倫敦塔』(1905年1月)
無鉄砲な新任教師の物語『坊っちゃん』(1906年4月)
熊本の温泉を舞台に非人情を描く『草枕』(1906年9月)
などの作品を次々に発表した。

夏目漱石 猫の家の猫

塀の上を歩く猫の像は臨場感に溢れ、今にも動き出しそう。
とても存在感があるので、
私は最初、知らずにここを通りかかって気がついた。

近くには文京区立森鴎外記念館や、
東京十社に数えられる根津神社もあり、
静かな散歩にお勧めの地域だと思う。

解剖坂(かいぼうざか)―文京区

台地と低地が入り交じる東京の都心部は、
美しい坂道や階段の宝庫。
散歩しながら見かけた階段や坂道の記憶を残していく。

解剖坂(千駄木)

本郷台地の上を通る中山道と、根津の谷を通る不忍通り。
その中間の本郷台地中腹を通るのが、
団子坂上交差点と根津神社の裏門あたりを繋ぐ藪下通りだ。
森鴎外の散歩道だったという由緒ある藪下通りだが、
ここから本郷台地へ上る長い坂道が「解剖坂」だ。

解剖坂横の上千駄木町会の掲示板

風情ある素敵な階段坂道なのにおどろおどろしい名がついているのは、
坂の横が日本医科大学で、
実際に解剖学の教室がすぐ横にあったかららしい。

東京の坂道にはだいたい説明看板が立っているが
ここには坂の名前や由来を書いた看板がない。
穏やかではない名前であるための配慮ではとのことだ。

解剖坂の下から

坂の途中には民家もあり、人通りが絶えない。
誰もいない写真を撮るには随分と待たなければならなかった。

解剖坂の下からアップで

坂を途中まで上って見下ろしてみる。
向こうに見えている高いマンションは不忍通りだ。

解剖坂の中腹から

夕刻の比較的人通りが少ない時間帯に撮ったが、
朝は大学関係者が頻繁に行き来して大変活気がある。

解剖坂の上からアップで

坂を上りきったところには夏目漱石旧居跡
通称「猫の家」があるので、
解剖坂とセットで散歩コースに加えるのがお勧め。