ターミナル駅に降り立ったら,決まって線路の終端を確認したくなる。
「ターミナル駅」という名詞が持つ漠然としたイメージが旅情を誘い浪漫をかきたてる…ような気がする。そして終着駅にしかない線路の終端こそが,その浪漫を具現化した存在である…ということなのだろうか。
終わりなのにわくわくするとは摩訶不思議だが,終わりは始まりだからわくわくするのかもしれない。
ささやかな今日を。
そぼろ雨降る土曜日の昼下がり。
少し小降りになってくれないかと,しばらく駅で雨宿り。
そもそも降りた人も少なくて,あっというまに駅から人気がなくなった。
閑散とした構内だが,長い年月をかけて多くの人が行き来した駅独特の気配がある。天井や床,改札に入った年季に,かつて通り過ぎた多くの人が残した微かな痕跡のようなものが積もっている気がしてシャッターを切った。
こういう,人が残した気配がヴェールのように堆積し醸し出す空気って何なのだろう。廃墟などに感じる切なさや愛おしさもこれに通じていると思う。年月が残した記憶の欠片が宿っているようだ。
この駅の前には所謂「マンモス団地」がある。
数多の人たちの人生が昔も今もこの駅に繋がっているのだ。