本の記録(2024-09)

 今月はたまたま人様からいただいた小説『奈落で踊れ』を読み,たまたまネットで存在を知った太宰治の『お伽草紙』や谷崎潤一郎の『陰影礼賛』の3冊を読んで終わってしまった。本を読む時間の何と足りないことか。人生の時間の何と足りないことか!


 『奈落で踊れ』は,本来なら私が手に取ることの無い小説だが,せっかく頂いた本だったので読んでみた。官僚世界を舞台にしたエンターテイメント的小説だったが知らなすぎる世界の話だったので興味深く読めた。

 太宰の『お伽草紙』何故か最近「カチカチ山」について見聞きする機会が多かったことから辿り着いて知った本だったが,よく知る物語が「こうなるのか!」「こうだったんだ!?」みたいに作り込まれていて面白かった。

 谷崎の『陰影礼賛』は日本文化の美について考えたくて読み始めたが,他の作品も含め谷崎の感性が世界に新たな発見をもたらしてくれる感じだった。しかし何故そこまで「厠」に拘る!? どちらにしろまた読んでもいいなと思う随筆集だった。


9月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:741
ナイス数:17

奈落で踊れ (朝日文庫)奈落で踊れ (朝日文庫)感想
 1998年の大蔵省を舞台に,汚職事件の発覚から解決までを大蔵省若手官僚の目線で描く小説。現実に1998年(平成10年)に発覚した大蔵省接待汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ接待汚職)をモチーフとし,宮沢喜一・加藤紘一など実在の政治家の名前を用い,巧妙に虚構と現実が入れ混じっているため臨場感がある。官僚や政治家,ヤクザや総会屋などの世界には全く馴染みがなかったため,彼らの常識や考え方,行動原理など興味深かった。物語のラストは私としては少々物足りなく残念だった。
読了日:09月03日 著者:月村 了衛

お伽草紙お伽草紙感想
 誰もが子供の頃に聞いたであろうお伽話を,防空壕で父が娘に語っている体を装いつつ,太宰風に肉付けし語り直した御伽草子。

 四国の阿波,剣山のふもとに住んでいた瘤取り爺さん。瘤取り爺さんは,できた嫁と息子に恵まれているが酒飲みだ。瘤はちょっと気に入っていた。そしてある日,剣山の隠者とも称すべき温和な鬼達とお酒を飲んで瘤を取られた。瘤を孫のように思っていた爺さんは寂しかった。一方,同じ村の別の爺さんは,村でも一目置かれる存在で,やはり頬に瘤を持っていた。そして彼は瘤を嫌っていた。瘤が無くなった爺さんの噂を聞いて鬼のもとへ出かけた彼だが,鬼との対話に失敗し,先の爺さんの瘤までもらうことになってしまった。太宰はこれを「性格の悲喜劇」とまとめる。誰も悪くない。けれど誰も悪くなくても残念なことは起こるのだ。

 浦島太郎が住んでいたのは丹後の水江。父も母も弟も妹もいる旧家の長男で,風流を愛する男だった。浦島を竜宮城へ連れて行った亀の種類を検討した太宰は,赤海亀であろうと結論づける。浦島と亀の会話が終始面白い。亀はなかなか奥深い思考の持ち主なのだ。最後の玉手箱の意味づけが太宰による仕上げとなる。こんな酷い手土産では日本のお伽話はギリシヤ神話より残酷で救いがなさ過ぎるということになる。それではいけない!と考えた太宰。彼は三百歳になった浦島は別に不幸ではなかった,年月と忘却は人間の救いなのだと結論づけた。なるほど考えたものである。

 カチカチ山の舞台は甲州の河口湖畔。甲州の人情は荒っぽく,物語も荒っぽくできていると太宰は書いている。兎の仕返しがあまりにも残酷すぎるし理不尽すぎる物語だが,太宰は兎を16歳の美しい処女と決める。世の中で一番残酷なのはアルテミスのような美しい処女なのだという。そして狸を37歳の風采上がらぬ大食野暮天男なのだと結論づける。まぁしかし,太宰が書く二人の行動はちょっと頷けてしまうのだ。「女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいている。」という最後,現代ならフェミニストの方々に酷く攻撃されて面倒くさそうだと思ったが一縷の真実味が宿っていないとは言い切れない。

 舌切り雀の舞台は仙台とのことだ。太宰によると,仙台は『かごめかごめ』の籠の中の鳥も籠の中の雀と歌われる土地柄で,昔から雀が多かったという。そうなのか?? おじいさんと雀,おじいさんとおばあさんの会話が子供向けのお伽話ではなく大人が読む物語なところがお伽話を現実的に見せる。
 なお,「日本一」の旗を持っている男,桃太郎の話だけは,とても描写できる筈がないと,太宰は手をつけないことにしたそうだ。

読了日:09月10日 著者:太宰 治

陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)感想
 表題の「陰影礼賛」が書かれたのは1933年。白壁に大きな硝子窓をしつらえた室内明るい住宅が日本に建ち始めたのは1930年代からだったとのこと。日本の家屋が如何に闇と共にあり,日本人が食す味噌汁も羊羹も薄暗い光の下で最も美しく見える,そんな話がこれでもかというほど書き連ねられている。他の随筆も,猫の尻尾を切実に欲する「客ぎらい」や猫の素晴らしさを書き尽くす「ねこ」,大阪人の半袖文化について考察する「半袖ものがたり」,昭和初期のトイレ事情を詳細に綴る「厠のいろいろ」などなど,軽快な文体で面白く読んだ。
 実のところ『春琴抄』も『痴人の愛』も読んだことないのだが,読んでみてもいいかもしれないと思った。

読了日:09月20日 著者:谷崎 潤一郎

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お伽草紙 —太宰治

本の概要

  • 著者:太宰治
  • ASIN:B009IXAZJ6 (青空文庫)
  • 発売日:2012/9/27
  • 本の長さ:111ページ

「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する昭和初期の小説家、太宰治の短編小説。初出は「おとぎ草紙」[筑摩書房、1945(昭和20)年]。5歳の女の子のために絵本を読んで聞かせる父は、その胸中におのずから別個の物語が出現する。「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」といったお馴染みのおとぎ話が太宰流にアレンジされている。
(Amazon 紹介文より)


太宰版の人間くさいお伽話の概要と感想

 防空壕の中で父親が娘に絵本を読み聞かせるという形で始まる。
 娘へ読み聞かせつつ父親の頭の中で広がり肉付けされてゆくお伽話は,次第に独自の色を帯びてゆく。そして,かつてのお伽話の読者たちが考えてもみなかった登場人物たちの心の内がつまびらかになってゆくのだ。

 太宰は当初考えていたお伽話の中で『桃太郎』だけは書くのを止めたと途中で書いている。桃太郎は「日本一」の旗を持っている男であるゆえ,「日本一」を描写できるとはとても思えず手をつけないことにしたそうだ。

 それにしても,子供の頃には何度も聞いてよく知っていた筈のお伽話なのに,今では内容も朧気にしか記憶にないことに我ながら愕然としたのだった。

 以下,簡単なあらすじと感想。
 誰もが知るお伽話が下敷きだからネタバレは気にせず書くが,ネタバレが嫌いな方は読まないでほしい。

瘤取り

 舞台は四国の阿波。瘤取り爺さんは剣山のふもとに住んでいたそうな。
 働き者の良くできた嫁と優秀な息子に恵まれている爺さんだが,彼は酒飲みだ。そして酒飲みの常として孤独だった。ほっぺたの瘤は彼にとって孫のような存在で,親近感を抱いていた。

 ある日,剣山の隠者とも称すべき温和な鬼達と出会い,彼らとお酒を飲んだ爺さんだったが,可愛がっていた瘤を取られ寂しく帰宅した。嫁も息子も瘤については言及なし! やっぱり爺さんは孤独だったのだ。

 同じ村に,瘤に悩む別の爺さんがいた。彼は「先生」などと呼ばれ村でも一目置かれる存在だった。瘤が消えた爺さんを羨ましく思った彼は,鬼を訪ねたが対話に失敗してしまう。そして前の爺さんから奪った瘤をつけられ,瘤が二つになってしまった。

 どちらの爺さんも鬼も悪くない。誰も悪くない。
 太宰はこの物語を「性格の悲喜劇といふものです」とまとめる。誰も悪くなくても,各々の性格と状況の組み合わせが運命を左右し,残念な結果を招いてしまうことがあるのだ。
 …あぁ,まさに!

浦島さん

 浦島太郎が住んでいたのは丹後の水江。

 浦島には父も母も弟も妹もあり,彼は旧家の長男だった。長男にありがちな風流を愛する男だった。
 また,太宰は浦島を竜宮城へ連れて行った亀の種類について,生物学的実態に沿うよう検討を重ね,赤海亀であろうと結論づけている。

 物語は浦島と亀の会話が終始面白い。亀はなかなか奥深い思考の持ち主で,地上の生活のことも海の中の生活のことも心得ている。
 浦島が少しずつ海の世界を受け入れていく様子も興味深い。考えてみれば,言われるがままに簡単に亀の背に乗って海に入る人間などいるはずがない。子供の頃も多少疑問に思いはしたが,そこを掘り下げて考えてみようとは思わなかった。

 最後の玉手箱の意味づけこそが,太宰の心づくしの仕上げとなる。
 もてなされたあげくのお土産でいきなり孤独なおじいさんに変身してしまうなんて,こんな酷い手土産では日本のお伽話はギリシア神話のパンドラの箱より残酷で救いがなさ過ぎるということになってしまう! それではいけないと考えた太宰の結論は,三百歳になった浦島は不幸ではなかったというものだ。

 年月と忘却は人間の救い。考えたものである。

カチカチ山

 カチカチ山は甲州の河口湖畔で起こった事件だという。
 甲州の人情は荒っぽく,物語も荒っぽくできていると太宰は説く。

 兎の仕返しがあまりにも残酷すぎるし理不尽すぎることで定評があるこの物語だが,太宰の設定の奇抜さは「瘤取り」「浦島さん」と比較しても圧倒的だ。

 兎は16歳の美しい処女,狸は37歳の風采上がらぬ大食かつ野暮天な男だというのだ。
 世の中で一番残酷なのは,ギリシア神話のアルテミスのような美しい処女である。アルテミスは湯浴みを見られたくらいで人を鹿に変えてしまう残酷理不尽な女神だ。そんなアルテミスのような少女なら,気に入らない男に対してどれだけでも残酷になれるだろう。
 しかし,太宰が書く二人の言動を読んでいると思わず「ありなん!」と頷けてしまう。

 「女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいている。」という最後は,現代ならフェミニストの方々に酷く攻撃され炎上してしまうかも…。私にはなかなか風刺の効いた面白い話に仕上がっているように思えたが。

舌切り雀

 舌切り雀の舞台は仙台とのことだ。太宰によると,仙台では『かごめかごめ』の「籠の中の鳥」も「籠の中の雀」と歌われるほど昔から雀が多い土地柄だとか?

 他の3編の物語に比べるとインパクトに欠けたが,おじいさんと雀,おじいさんとおばあさんの会話が子供向けのお伽話というより大人が読む小説のようで,何だか世俗的だった。それでいながら雀のお宿とお土産などによって,おばあさんとおじいさんのその後の運命が分かれてゆくのだから,ちょっとしたダークファンタジーのような読後感を感じたのだった。

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