アニメの概要
アニメ『アルプスの少女ハイジ』が放映されたのは1974年。
世界名作劇場の6作目で、
「カルピスまんが劇場」と称した最初の作品群の最後の作品だ。
・どろろと百鬼丸 (1969年4月~9月 全26話)
・ムーミン (1969年10月~1970年12月 全65話)
・アンデルセン物語 (1971年1月~12月 全52話)
・ムーミン(新)(1972年1月~12月 全52話)
・山ねずみロッキーチャック (1973年1月~12月 全52話)
・アルプスの少女ハイジ (1974年1~12月 全52話)
全52話。
作品企画は瑞鷹エンタープライズ。
「アルプスの少女ハイジ」のほか
当時の人気アニメ「小さなバイキングビッケ」や
「みつばちマーヤの冒険」などを手がけた会社だ。
場面設定・画面構成に宮崎駿氏が名を連ねている。
視聴の経緯
私はハイジを小学生の頃にリアルタイムで見た。
おそらくこの作品が好きだったのだろう。
中学生になってヨハンナ・スピリの原作を新潮文庫で読んだ。
だが今改めて考えてみると、物語の内容をよく覚えていない。
今の私はハイジが好きだろうか?
子供の頃に親しんだ作品を大人になって読むと
視点が変わり、感想が悉く変わって興味深いものだ。
今の私はロッテンマイヤーさんをどう思うだろう。
おじいさんをどう思うだろう。
そういう興味を抱いて見てみることにした。
幸い、オンデマンドで全話配信されている。
昔のアニメを見るのも楽になってありがたいことだ。
アニメの全体的な印象
街と自然の描写
さて、見終わっての感想だ。
スイスの街,マイエンフェルトやデルフリ村の風景は
取材してしっかりと描かれていたと思う。
街の広場や窓辺のゼラニウム、
山の動植物の姿もリアルに描き込まれている。
有名な?チーズが乗った黒パンは本当に美味しそう!
アニメを見ていた小学生の私は、
きっと19世紀のスイスの田舎生活に
すんなりと入って行けたことだろう。
山と自然を愛する孤高のおじいさんは
詩人のような感性を持っている。
この山小屋は王様の住むお城なのだ。
アルプスの少女ハイジ 第2話
風は悪戯坊主で窓をガタガタ叩くが、
あれは城の王へのご挨拶だ。
慣れるとけっこういい話し相手になる。
雨の日はしんみり物を考えるにはもってこい。
人間そんな日が必要なのだ。
夕陽に染まるアルプスの山々は燃えるようなオレンジ色に染まり、
やがて薔薇色に変わり、色を失う。
「どうして?」と尋ねるハイジにおじいさんは答える。
太陽は山々にお休みを言う時には、
アルプスの少女ハイジ 第3話
また明日来るまで忘れてもらわないようにと思って,
自分の一番美しい光を投げてやるのだ。
子供に自然の美しさを啓蒙するには素晴らしいアニメだ。
ペーターの言う「大角の旦那」はシュタインボックで、
アルプスの高山にしかいない野生のヤギ。
「かわいいの」はアルプスマーモットで、
体長50cmほどの大型のジリスだ。
美しさばかりではない、山の厳しさも描かれている。
雪崩や嵐の描写にも感心させられた。
人物への感想
だが、物語が進むにつれ、
おじいさんはデルフリ村の人々の評価通り偏屈者で、
嫌われて当然な態度で村人に接していることがわかる。
ハイジがおじいさん同様に酷い頑固者だということも。
ハイジは周囲の迷惑など全く考慮せず、
思ったことは何が何でも実行しようとする。
基本的におじいさん以外の人の言うことは聞かないので、
ペーターはハイジに振り回されっぱなし。
それでもハイジに優しいペーターは心の広い子供に思えた。
どうしても見過ごせなかったのは、
おじいさんがハイジに非常に甘いこと。
仲良しの子ヤギのユキちゃんが売られると知ったハイジは、
他所の家のヤギであるユキちゃんを勝手に自分の家に匿う。
それって窃盗行為ではないか!?
なのにおじいさんはそんなハイジを叱らなかった。
ユキを迎えに来たユキの主人に対しても、
謝るどころか上から目線で馬鹿者呼ばわり。
あまりにも不条理では? 子供の躾としてどうなの?
これを見て小学生の私は
ハイジとおじいさんを酷いと思わなかったのだろうか?
正統な権利を行使しているだけのユキの主人を
気の毒に思わなかったのだろうか?
制作者はこの場面で何を伝えたかったのだろう。
ユキを想う優しいハイジとおじいさん?
非常に胸くそ悪いエピソードだった。
ハイジのこと「優しい子」と呼び
心の支えのように可愛がるペーターのおばあさん。
小学生の私はこのおばあさんに同情していたのかもしれない。
が、今回の視聴で私はこのおばあさんが嫌いだった。
「ハイジを連れていかないでおくれ」って、そればかり。
彼女は、可愛いハイジが
自分を訪ねてくれなくなることだけが心配なのだ。
何て利己的なのだろう。
ゼーゼマン家の人々に対しては比較的好印象だった。
クララはキチンと躾けられており、良い子だ。
お金持ちの我が儘お嬢様ではない。
ハイジが山へ帰ってしまうことを恐れていたが
彼女の生い立ちを思えば当然だろう。
しかしそれも受け入れる。
子供達の嫌われ者ロッテンマイヤーさん。
確かにハイジには異常に厳しく、杓子定規で融通が利かない性格だ。
だが、彼女は心からクララを愛している。
クララを連れてアルムの山へやってきた彼女が、
慣れない山道を毎日歩いて山小屋へ通う姿には心打たれる。
アニメでは山への認識が甘い彼女をコミカルに描いていたが、
彼女のその行動には並々ならぬ精神力が要った筈だ。
なかなかできることではない。
全てはクララお嬢様を思うが故なのだ。
このような大人の心は小学生の頃には理解できなかった。
最終回、フランクフルトのゼーゼマン家で。
クララの歩行練習に付き沿うロッテンマイヤーさんの
愛情溢れた優しい瞳に、思わず目頭が熱くなった。
ゼーゼマン氏は非常に話のわかる優しい紳士だし、
ゼーゼマンのおばあさまも教養があり
年配者として尊敬されるだけの人格を備えている。
召使いのセバスチャンは優しく親しみの持てるおじさんだ。
最後まで利己的だったハイジ
この物語でもっとも感動的シーンとして有名なのは、
クララが初めて立って歩く場面だろう。
きっと子供の頃の私は、感動を持って見たのだと思う。
しかし、今回は今ひとつスッキリしない気分だった。
まずハイジの態度が酷い。
自分の願望をクララに押しつけ癇癪を起こす。
ハイジの辛抱のなさと思いやりのなさに
見ていて大変ストレスだった。
子供の頃の私は、
これをハイジの優しさだと思って見ていたのだろうか。
ハイジが言うように
クララのことを「意気地無し」と思ったのだろうか?
ハイジの言動は目に余るが、
クララに対するおじいさんの態度は優しく真摯だ。
偏屈者と悪評高く、
デリフリ村の人達に横柄な態度で接する人には見えない。
おじいさんがいなければ、
クララが歩くことはなかっただろう。
最終的な私のハイジへの評価は、
自分の願望に支配された利己的な少女。
可愛らしいとは思えなかったのだった。
ハイジの名前
ハイジはロッテンマイヤーさんに「アーデルハイド」と呼ばれる。
正式名=洗礼名できちんと呼ぶのが良家の作法なのだろう。
アーデルハイド(アーデルハイト)はドイツ語圏の女性の名。
「Adelheid」と書き、「adel=高貴な」「heit=姿形」を意味する。
後半の「ハイト」の部分が「ハイジ」という愛称になる。
ドイツ語では「ハイジ」より「ハイディ」に近い音になるようだ。
総括
そういうわけで、予想通り。
小学生の私が好きだった「アルプスの少女ハイジ」は 、
大人の私には「ウザくて躾が悪いガキに我慢するアニメ」だった。
昔も今も私にとって同じようにすんなり受け入れられたのは
アルプスの自然と街の風景、
そして、とろりチーズの黒パンが美味しそうなことだった。