月夜のでんしんばしら

本の概要(青空文庫)

 月夜,恭一という男の子が線路の横を歩いていた時の物語。
 恭一は電信柱の列が行進するのを見かけ,電信柱たちを制御する電気総長に出会う。彼らの進軍は汽車が来ない時にひっそりと行われる。
 幻想的で不思議な物語で,線路や電信柱の風景は『シグナルとシグナレス』とも繋がっていくように思える。1924年に出版された童話集『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』に収録された9作品の一つ。

 以下,理解できなかったところを中心に考察しておく。引用は青空文庫から。


窓から棒を出した汽車

 ある晩、恭一はぞうりをはいて、すたすた鉄道線路の横の平らなところをあるいてりました。
 たしかにこれは罰金ばっきんです。おまけにもし汽車がきて、窓から長い棒などが出ていたら、一ぺんになぐり殺されてしまったでしょう。
 ところがその晩は、線路見まわりの工夫もこず、窓から棒の出た汽車にもあいませんでした。

 物語の冒頭部分だ。
 恭一は本来立ち入り禁止の線路のすぐ横を歩いているようだ。夜に何のために歩いていたのか不明だが,九日の月が明るく照らす夜なので,そんなに遅い時間帯ではなかったようだ。
 ともかく線路の横を歩くのは違法行為で危険な行為だったようだ。見つかったら罰金ものらしいから。

 しかしこの夜は,見回りの人も棒の出た汽車も来ない静かな夜だった。月明かりの下の静寂さが際立っていた。

 そこまではよくわかるが,「窓から棒の出た汽車」とは?
 この書き方だと,窓から棒の出た汽車が通る機会は意外と頻繁にあるもののようだ。しかも線路脇にいる人を殴り殺せるほど長い。普通の客車ではなく,おそらくは保線作業や点検をするための車両のことだろう。
 では,そういう作業車両は窓から棒を突き出してどんな作業を行っていたのだろうか?

 ・電線・送電設備:架線のたるみ・碍子の異常・電線のたるみ等を棒や器具で確認
 ・信号・分岐器:信号レバーや分岐器(ポイント)を棒で操作

 当時汽車の窓から突き出していたかどうかは分からないが,高所にある碍子に触れて劣化を確認するための絶縁棒というものがあり,これは現在でも使われているようだ。


お城のように見える駅

恭一はすたすたあるいて、もう向うに停車場
ていしゃば
のあかりがきれいに見えるとこまできました。ぽつんとしたまっ赤なあかりや、硫黄
いおう
のほのおのようにぼうとした
むらさき
いろのあかりやらで、
をほそくしてみると、まるで大きなお城があるようにおもわれるのでした。

 「まっ赤」と「ぼうとした紫いろ」の2種類のあかりは何を指しているのだろうか。
 この「赤」と「紫」については加島篤氏による下記URLの論文に詳しい考察がなされていた。

童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察 加島 篤
(北九州工業高等専門学校研究報告第44号(2011年1月))

 加島氏によると,「赤」は場内信号機の停止信号,「紫」は転轍機(ポイント)の定位を示す淡紫色の灯りであるとのことだ。遠方からの確認が必要な信号機の灯は指向性が高いのに対し,その必要がない転轍機の灯は拡散して「ぼう」と見えることまで考察されている。
 非常に納得がいく説明だと思う。

 ところで,硫黄の炎色反応は一般的に「青」と表現されるようだ。
 画像検索をすると少し紫色っぽい青なのかもしれない。硫黄を燃焼させると有毒な二酸化硫黄が発生するため学校の炎色反応の実験で用いられる可能性は非常に低く,実際に見る機会はそうそうないと思われる。
 紫色の炎色反応といえばまず「カリウム」が思い浮かぶのではと考えるが,賢治さんは何故硫黄にしたのだろうか。硫黄を選んだ理由があるのだろうか。単にカリウムより硫黄が好みだったのだろうか。


シグナルばしら

とつぜん、右手のシグナルばしらが、がたんとからだをゆすぶって、上の白い横木をななめに下の方へぶらさげました。これはべつだん不思議でもなんでもありません。

腕木式信号機
腕木式信号機

 この「シグナルばしら」は『シグナルとシグナレス』と同じ機械式の腕木式信号機で,昼間は腕木の動き,夜はランプの色付きレンズを切り替える信号機だ。

 この物語は夜なので,腕木ではなく色付きレンズを通した光で信号を送っていたのではないか?という疑問が生じた。が,腕木の位置と色レンズは一体型の機械式だった。
 ゆえに夜であっても腕木が動き,連動して正しい色のレンズが光を通したのだ。

 「横木が斜めに下がった」ということは,信号は「進行(青)」ということ。
 恭一は行く手に駅を見ているので,この信号機はおそらく駅の構内に入る直前にある場内信号機であろう。「進行」ということは,次の汽車に「この先の駅へ入っても良い」と告げているはず。

 だが,ここで動き出したのは電信柱たちだった。


 つまりシグナルがさがったというだけのことです。一晩に十四じゅうし回もあることなのです。

 上記の加島氏の考察によると,「一晩に十四回」でこの線路が東北本線であることがわかるそうだ。
 一つの腕木式信号機が14回作動するには同方向の列車が14回通過せねばならず,夜間にそれほどの数の列車が通るのは東北本線であろうとのこと。


電信柱の構造

 さっきから線路の左がわで、ぐゎあん、ぐゎあんとうなっていたでんしんばしらの列が大威張
おおいば
りで一ぺんに北のほうへ歩きだしました。みんな
つの瀬戸
せと
もののエボレットを
かざ
り、てっぺんにはりがねの
やり
をつけた亜鉛
とたん
のしゃっぽをかぶって、片脚
かたあし
でひょいひょいやって行くのです。

「もうつかれてあるけない。あしさきが
くさ
り出したんだ。長靴
ながぐつ
のタールもなにももうめちゃくちゃになってるんだ。」

電信柱
電信柱

 シグナルが下がり,青信号の合図と共に,電信柱たちは一斉に北へ向かって歩き始めた。
 物語では線路が何線なのかも恭一がどちらの方角へ向かっているかも書かれていないが,電信柱の進軍方角だけは「北」と明記されている。

 電信柱の構造物に独特の名前がつけられているが,当時の電信柱に詳しくない身の上としては少々戸惑う。
 図に描いてみることにした。

 「童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察」様の解説を参考に構造物について上から順にメモしておく。

  • 針金の槍:地線(ground wire)。雷撃を大地へ逃がすための亜鉛メッキの鉄線。
     
  • 亜鉛のシャッポ:笠金(電柱笠)。亜鉛メッキの鋼板でできた笠で,雨水による木柱の腐蝕を防いでいる。「しゃっぽ」は帽子の方言で,正しく帽子の役割を担っている。
    「しゃっぽ」は南山形の方言だが,「シャッポを脱ぐ」という慣用句があるため,比較的標準語でも認識されていると思う。
     
  • 6つの瀬戸物のエポレット:碍子。長石磁器で作られており,電線と電柱の間に絶縁を確保し,電線から電柱へ電気が漏れるのを防いでいる。電力を安全かつ安定的に供給するための必須部品だ。
    エポレットはフランス語の肩章(épaulette)で,軍服の装飾の一つ。「電信柱の軍隊」に相応しい装飾品ということになる。
     
  • 片脚:電柱は1本柱なので片脚。
     
  • 長靴のタール:木柱はそのままでは8年程度で腐朽する。防腐剤を木柱に注入する方法が開発されたが,それ以前は木柱を根焼きし地表付近までコールタールを塗っていた。防腐技術が確立する以前の,根元から腐る電柱に悩まされた技術者たちの叫びを電柱が代弁しているようだ。

電信柱の種類:工兵・竜騎兵・てき弾兵

二本うで木の工兵隊
六本うで木の竜騎兵

 電信柱の軍隊は兵科に分かれた規律ある軍隊だった。
 だが兵科の知識も電柱の知識も持っていないため物語を読んでもピンとこない。どういった兵がどういった柱として登場しているか,加島氏の『童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察』を参考にまとめておく。


工兵

工兵:陸軍で戦闘支援をする技術兵科で,築城・架橋・鉄道敷設・爆破・測量などを担当する。歩兵・砲兵・騎兵に並ぶ四大兵科の一つ。

 電信柱の工兵:二本うで木。六つの瀬戸物のエポレットを飾り,天辺に針金の槍をつけた亜鉛のしゃっぽをかぶっている。低圧の電線路で碍子は白色。

 信号機や駅舎に電力を送る配電線の電柱で,電気設備の維持を担っている。このため兵站整備を任務とする工兵に例えられている。

竜騎兵

竜騎兵:近世ヨーロッパの兵科の一つで,火器で武装した騎兵。

六本うで木の二十二の瀬戸もののエボレットをつけたでんしんばしらの列が、やはりいっしょに軍歌をうたって進んで行きます。

 電信柱の竜騎兵:六本腕木で二十二の瀬戸物のエボレット。低圧の電線路で碍子は白色。碍子の数の多さ(電線の数多さ)から鉄道通信線の電柱と考えられる。

 通信して情報を伝える役目を負う電柱なので,情報収集を行って攻撃や偵察を任務とする竜騎兵に例えられている。

鉄道通信線の電柱と高圧送電線の電柱
鉄道通信線の電柱と高圧送電線の電柱

擲弾兵

擲弾兵:近世ヨーロッパの歩兵連隊で,擲弾(手榴弾)の投擲を任務とする兵士。重い擲弾を遠くへ投擲するため精神的肉体的に優れた兵士が選ばれ,歩兵の精鋭部隊とされていた。

ところが
おど
ろいたことは、六本うで木のまた向うに、三本うで木のまっ赤なエボレットをつけた兵隊があるいていることです。

 電信柱の擲弾兵:三本腕木のまっ赤なエボレット。赤い碍子は高圧送電線。

 高圧送電の強烈なイメージが擲弾と重なり擲弾兵に例えられている。
 また,線路脇の配電線(工兵)や通信線(竜騎兵)は鉄道省管理だが,高圧送電線は電力会社管理なので,異なる軍歌を歌っている。

電信柱の数と距離

「ドッテテドッテテ、ドッテテド、
 タールをれるなが靴の
 歩はばは三百六十尺。」

 「360尺=109.091m」である。
 歩幅についても「童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察」様で明快に考察されており参考になった。「歩はば」は歩行の1周期を表す複歩の幅(径間の2倍)と考えられる。
 英米の鉄道電信線路の径間は60ヤード(54.9m)が標準で,日本もそれに準拠していたと考えれば,54.9×2=109.8。ほぼ360尺となる。

 いちれつ一万五千人
 はりがねかたくむすびたり

 径間の平均を50mとして計算する。

50m×15000本=750000m=750km

 大正4年(1915年)の東北本線(上野ー青森)は735.3kmだそうで,これに東京ー上野の3.6kmを加えると 738.9kmだ。

 15000本の電信柱は,東京ー青森の電信柱の列だと分かる。


 「360尺」も「15000本」もきちんと意味がある数字であり,この短い童話は細部の細部まで作り込まれた世界なのだ。

 『月夜のでんしんばしら』を含む『注文の多い料理店』という童話集について,「『注文の多い料理店』新刊案内」で下記のように説明されている。

この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。
(略)
これらは決して偽でも架空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分析とはあっても、たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。

 架空ではないのだ。
 賢治さんは月夜の電信柱の行進を見て彼らの軍歌を聞いたのかもしれない。


疲れる恭一のこと

 恭一は九日の月が照らす線路の脇を歩いていただけだった。
 ところがシグナルの合図とともに電信柱の行進という変てこな事態が発生した。電信柱は工兵や竜騎兵や擲弾兵になって,軍歌を歌いながら北へ向かって進んでいく。しかも「大威張り」なのだ。

でんしんばしらの列が大威張
おおいば
りで一ぺんに北のほうへ歩きだしました。

 それだけでも十分に圧倒される光景である。
 その上,通り過ぎて行く電信柱たちは何故か恭一を意識し威嚇し続ける。


そしていかにも恭一をばかにしたように、じろじろ横めでみて通りすぎます。

でんしんばしらはもうみんな、非常なご機嫌
きげん
です。恭一の前に来ると、わざと肩をそびやかしたり、横めでわらったりして過ぎるのでした。

どんどんどんどんやって行き、恭一は見ているのさえ少しつかれてぼんやりなりました。
でんしんばしらは、まるで川の水のように、次から次とやって来ます。みんな恭一のことを見て行くのですけれども、恭一はもう頭が痛くなってだまって下を見ていました。


 このような非現実的な光景が次々と過ぎていくのを目の当たりにし,しかも威嚇され続けたら,どれほど精神的に消耗し疲れるだろうか。

 精神攻撃を受けて疲れていく恭一は,さながら次々と生み出される新技術によって加速して変わり続ける社会に翻弄されて疲れる現代人のようではないか?!


列車の赤い火

そのとき、線路の遠くに、小さな赤い二つの火が見えました。

 「小さな二つの火」は機関車の前面についている標識灯のことらしい。
 加島氏の『童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察』によると,赤い標識灯は「単線区間を走行する臨時列車の前部標識灯」と解釈できるとのこと。
 賢治さんがこの物語の舞台にしたであろう1909年~1920年(明治42年~大正9年)の東北本線は単線で,その頃の鉄道信号規程では下記のように決められていたそうだ。

 ・単線区間は「赤」(対向列車に停止を示す)・複線区間は「緑」
 ・通常列車は「緩衝梁の右側に一個」・臨時列車は「緩衝梁の両側に各一個」

 ゆえに2つの赤い燈を点灯した列車は,単線区間の臨時列車と断定できるのだ。


電気総長

 電気総長は「せいの低い顔の黄いろなじいさん」で,「まるでぼろぼろの鼠いろの外套を着て」号令をかけながら線路の横を歩いてくる。
 じいさんに見つめられた電信柱たちは「木のように堅くなって」「足をしゃちほこばらせ」脇目も振らず歩いて行く。どう見ても電信柱たちの親分的存在で偉そうだ。

 じいさんは恭一に見られていたことを知ると「仕方ない。ともだちになろう」と握手を求めるが,握手で恭一を感電させ「わしとも少し強く握手すればまあ黒焦げだね」と威嚇する。
 可愛そうな恭一はすっかり怯え,流石に気の毒に思ったじいさんは,自らを「電気総長」だと名乗り,少しばかり打ち解けた様子で電線にまつわる外国の物語を恭一に話して聞かせる。

「有名なはなしをおまえは知ってるだろう。そら、むすこが、エングランド、ロンドンにいて、おやじがスコットランド、カルクシャイヤにいた。むすこがおやじに電報をかけた、おれはちゃんと手帳へ書いておいたがね、」

 「カルクシャイヤ」がスコットランドのどこなのか調べてみたが,架空の地名である可能性が高そうだ。だが,具体的な場所はこの逸話では二の次であろう。
 ロンドンにいた息子がスコットランドに住む父親に「Send my boots, instantly」と電報を打ったが,父親は電信柱の針金に長靴をぶら下げたというのだ。電気のことを理解していなかった父親は,電線が長靴を運んでくれると勘違いしていたのだ。

 また別の逸話では,「灯を消してこい」と上官に言われた新兵が,電燈に息を吹きかけて消そうとしたという。つまり,新兵はランプの火を消すように電燈を消そうとしたのだ。
 似たような話として,電気会社では毎月どれほどの油を使うのだろうと人々が話していたことも語られている。

 電気総長が語る新しい技術に戸惑う人たちの話は,電信柱の行進を見て疲れを感じていた恭一に通じるものがある。

 『童話「月夜のでんしんばしら」の工学的考察』様によると,電気総長は発電機の擬人化と考えられるとのことだ。
 電気総長は,最後は車内灯が消えている客車の下へ飛び込んで消えるが,これについても解説されている。機関車に牽引された客車は架線から電力を得ることができないため,床下に発電機と蓄電器が仕込まれていた。総長はこの発電機に身を転じ客車に灯りを灯したのである。

 電気総長が指揮する電信柱の軍隊が北を目指していたのは,北の地の先端まで電気を通そうとする当時の時代の流れであると思われた。


九日の月

 『『注文の多い料理店』広告文』に『月夜のでんしんばしら』についてはこのように書かれている。

うろこぐもと鉛色の月光、九月のイーハトヴの鉄道線路の内想です。

 作中に季節を限定する言葉はないが,この一文より物語の舞台が9月であるとわかる。
 現在の太陽暦が採用されたのは明治5年(※)なので,『月夜のでんしんばしら』が掲載された童話集『注文の多い料理店』が発行された1924年(大正13年)は,現在と同じ暦が使われていた。故に,宮沢賢治が言う「九月」は現在の9月と同じ季節のことである。

※ 明治改暦:明治5年(1872年)12月3日を明治6年(1873年)1月1日とした。


 九日の月は,半月より大きく満月より小さい。
 九日の月は九夜月(くやづき)と呼ばれ,新月から数えて9日目。上弦の月齢が7〜8なので,左の図のように上弦より少し大きめの月となる。

九日の月
九日の月

 月の出や南中時刻は季節や場所によって少しずつ異なるが,秋の岩手県では,九日月の動きは下記のようになる。

 月の出:14時頃
 南中:19時頃
 月の入り:0時半頃

 作中の下記の表現から,月は比較的高い位置にあって線路を照らしている印象を受ける。舞台は南中前後,宵の早い時間帯,19時前後のことであろう。

月がうろこ雲からぱっと出て、あたりはにわかに明るくなりました。

 三日月や上弦,満月のように天文に興味がない人でもすぐに思い付くような月齢ではなく「九日の月」にしたことには何か理由があるのだろうか?
 賢治さんに詳しくないので考察はできないが,具体的な月齢が書かれているため,日暮れが早くなった秋の夜の早い時間帯で,恭一という少年が一人で歩いていることにもそれほど違和感を感じずに読める。

 また,上弦を過ぎた明るい月であるため,月明かりが鱗雲を突き抜けて見えていること,雲から出た月が明るく辺りを照らしたことにも納得がいく。

うろこぐもはみんな、もう月のひかりがはらわたの底までもしみとおってよろよろするというふうでした。

 月が雲から出て来ると,電信柱たちは非常なご機嫌となった。
 また,電気総長は月や雲の具合を確認していた。
 そしてシグナルが上がると同時に月は雲に隠れ,行進も終わる。

 この物語が含まれる童話集『注文の多い料理店』の序文に下記のように書かれている。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
にじ
や月あかりからもらってきたのです。

 『月夜のでんしんばしら』は,「鉄道線路で月からもらってきた」物語なのだ。月が雲を通して,或いは雲から顔を出して見ていた秋の夜の鉄道線路に起こったひとときの風景を,賢治さんが月からもらって書いたのだ。
 月光が醸し出す幻想的なイメージが,時代を貫く新しい科学技術と見事に調和している。
 何度読んでも発見がある魅力的な童話だと思う。


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楢ノ木大学士の野宿

本の概要(青空文庫)

 宝石学を専門とする楢ノ木大学士が,貝の火兄弟商会の支配人の依頼でグリーンランドの成金が求めている上等の蛋白石(オパール)を探しに出かける。出かけた先で3晩野宿をし,不思議な夢を見る。
 地学的エッセンスがぎゅっと詰め込まれた物語で,それゆえ地学的な知識に興味や関心が全くない人には面白さが理解しにくいのではないかと思う。

 「石っこ賢さん」と呼ばれた賢治さんの鉱物や地質に関する豊富な知識が自在に取り込まれている上,それらの名称は現代一般的に使われているものとは異なる和名だったり,英名をもじった愛称だったりするから,理解のために要求されるレベルは高い。
 地学愛好者なら,じっくり読み解けば面白い内容だと思う。


楢ノ木大学士 仕事を請ける

 冒頭で,貝の火兄弟(けんてい)商会の赤鼻の支配人がやってきて,上等の蛋白石を探して欲しいと大学士に依頼する。楢ノ木大学士は仕事を受けて上野から出発する。

貝の火

 宮沢賢治の初期の作品に正に『貝の火』というタイトルの童話があるが,「貝の火」とは蛋白石(オパール)のことである。鶏卵の白身に似ていることから蛋白石と呼ばれる。
 また,オパールは角度によって多色の色彩を放つ遊色効果を有し,その妖艶な輝きは貝殻に光を当てると見られる虹色の輝きにも通じている。「貝の火」という異名はこの遊色効果から来ているのだろう。特にメキシコの山岳地帯で産出する「ファイアオパール / Fire Opal」は正に炎のような輝きらしい。
 「貝の火兄弟商会」はオパールの取引を専門とする会社だろうか。

雲母

 大学士の家の天井には雲母紙が張ってある。
 雲母紙(きららがみ)は,紙面に雲母を塗って筆の走りをよくしたり,雲母で装飾を施したりした紙のこと。現代の家でも襖などによく雲母が張られている。

流紋玻璃

蛋白石のいいのなら、流紋玻璃を探せばいい。(楢ノ木大学士の野宿)

 流紋玻璃とは流紋岩のこと。流紋岩を探せばオパールが見つかるだろうと大学士は言っているのだ。
 流紋岩は石英や長石を主成分とし,黒雲母や角閃石を含む火成岩。マグマが地表付近で急冷し固まったもので,マグマの流動による流れ模様が見られることが多く,流紋岩という名前がついた。

 流紋岩からオパールが見つかるかというと,メキシコ産のカンテラ・オパール(母岩つきオパール)がその例らしい。
 カンテラ・オパールは流紋岩質の母岩に埋め込まれているオパールで,カンテラ(cantera)はスペイン語で採石場を意味し,メキシコでは柔らかい火山岩(多くは流紋岩)を指す言葉になるとのことだ。


野宿第一夜

 野宿の1日目は4月20日。
 楢ノ木大学士は蛋白石を探しに岩手県まで行ったらしい。葛丸川の西岸の河原を上ったところで野宿をする。葛丸川は,奥羽山脈を水源として花巻市を流れている渓流だ。

岩頸の講義

 石の上に寝転がると黒く立つ岩頸の山々が見え,楢ノ木大学士は思わず空に向かって岩頸の講義を始める。楢ノ木大学士の岩頸の講義は名文だ。ここまで愛と情熱に溢れて語られた岩頸の解説は他に存在しないのではないだろうか。
 各所で引用されている箇所だが,ここでも引用しておこう。


「諸君、手っ取り早く
ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸
ちょっと
くび
を出した太い岩石の棒である。その頸がすなはち一つの山である。えゝ。一つの山である。ふん。どうしてそんな変なものができたといふなら、そいつは
けだ
し簡単だ。えゝ、こゝに一つの火山がある。熔岩
ようがん
を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうとう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になってゐる。それが岩頸だ。ははあ、面白いぞ、つまりそのこれは夢の中のもやだ、もや、もや、もや、もや。そこでそのつまり、
ねずみ
いろの岩頸だがな、その鼠いろの岩頸が、きちんと並んで、お互に顔を見合せたり、ひとりで空うそぶいたりしてゐるのは、大変おもしろい。ふふん。」
(楢ノ木大学士の野宿)


ラクシャン兄弟

向こうの黒い四つの峯は、
四人兄弟の岩頸で、
だんだん地面からせり上がって来た。
(略)
ははあ、こいつらはラクシャンの四人兄弟だな。
(楢ノ木大学士の野宿)

 楢ノ木大学士が「ラクシャンの四人兄弟」と名付けた山は,賢治さんが愛した南昌山およびこれと合わせて「志波三山」と呼ばれる東根山・箱ヶ森・赤林山ではないだろうか。

 花巻市にある葛丸川から紫波町(しわちょう)や矢巾町(やはばちょう)にあるこれらの山々が直接見える可能性はかなり低そうだ。しかし夢の中ならあり得るだろう。
 賢治童話は「心象スケッチ」であり,賢治さんが心で見たり感じたりしたものを書き留めたのだと考えれば,もしかしたら,共感覚を持っていそうな彼が実際に見聞きしたことかもしれないと思えたりもする。

 一番右が第一子,右から二番目が第二子,次が第三子,一番左が第四子。彼らのお父さんは九つの氷河を持ってきたという。

 ラクシャン四兄弟ではないかと私が想像する山々の,実際の高さは下記の通りだ。

  • 東根山(あずまねさん) 927.9m
    山頂は鮮新世の花崗閃緑斑岩で構成される岩頸。
  • 箱ヶ森(はこがもり) 865.5m
    山頂は鮮新世の安山岩で構成される岩頸。
  • 赤林山(あかばやしやま) 855m
    山頂は鮮新世の安山岩で構成される岩頸。
  • 南昌山(なんしょうざん) 848m
    山頂付近は鮮新世の石英斑岩で構成される岩頸。

ラクシャンの名前の由来は?

 気になるのは「ラクシャン」という名前だ。
 だが,Web検索したりAIに尋ねたりして言及を発見できたのは下記サイト様だけ。このサイト様ではラクシャンは「インドの民話によくでてくる大女のこと」と書かれている。

「楢ノ木大学士の野宿」と地学(その二)|sgk

 「ラクシャン」で調べても分からなかったが,古代インド神話の叙事詩でヒンドゥ教の聖典の一つでもある『ラーマーヤナ』に,「タタカ(Tatakā)」という巨大な女性が登場することがわかった。彼女は「ヤクシャ族(Yaksha)」の王女でありながら悪魔に変わり,森に住んで旅人を襲った。
 この「ヤクシャ」は「ラクシャン」と語感が似ている気がする。関係があるのかもしれない。

 「ヤクシャ(Yakṣa)」は,そもそもインド神話や仏教,ジャイナ教に登場する自然精霊らしい。守護神であり,時には邪悪な存在としても描かれる。
 性別があり,女性が「ヤクシー(Yakṣī)」。「ヤクシー」は、豊穣や美しさと結びつけられ,地域によっては恐ろしい存在として扱われる。

 また,ヒンドゥーの富・繁栄・幸福・美の女神である「ラクシュミー(Lakṣmī)」も「ラクシャン」と語感が似ており,ヒントになっているのかもしれない。

ヒームカ

 「ヒームカ」は,ラクシャン兄弟の第四子が好きな女の子の山だ。
 近くに「ヒームカのおっかさん」もいる。

 ヒームカは,まばゆく新しく碧い蛇紋岩の着物を着ている。
 蛇紋岩は地下深部でカンラン岩に水が加わって変化した変成岩。色は緑色で,含水鉱物であるため風化しやすく脆い。

 ラクシャン兄弟にとって火から生まれた山は血統が良いらしく,第一子は水が加わってできたヒームカのことを「青ざめた水の中で生まれた」と評し,第三子は「ヒームカさんは血統はいいのですよ。火から生まれたのですよ。立派なカンランガンですよ」と弁護する。

 だが第一子は,ヒームカのことを「地面まで騰って来る途中で、もう疲れてやめてしまったんだ。今こそ地殻ののろのろのぼりや風や空気のおかげで、おれたちと肩をならべているが、元来おれたちとはまるで生まれ付きがちがうんだ。」とあくまでこき下ろす。
 ラクシャン兄弟は岩頸なので,自らの力でしっかり地面まで出てきたマグマなのだ。
 そして,火山の本分は,いざというときには地殻の底の物質をとってきて,引き裂いて地面の外へ飛び散らすことにあるのだと思っているのだ。

 Wikipediaの「イーハトーブ」によると,ヒームカの元ネタは姫神山が定説だが,姫神山は蛇紋岩ではなく花崗岩なので疑問視もされているらしい。

イーハトーブ – Wikipedia

野宿第二夜

 楢ノ木大学士は平らな熊出街道を歩いて辿り着いた石切り場の小屋で休むことにする。
 熊出街道がどの道なのかは判らない。石切り場につくと楢ノ木大学士は「ここも角閃花崗岩」とつぶやく。蛋白石が眠る流紋岩ではなかったのでがっかりしているのだろう。

 角閃花崗岩は,花崗岩中に黒色の角閃石が含まれた岩石だ。
 花崗岩は地下深くでマグマがゆっくり固まってできる深成岩だが,流紋岩は地表地殻でマグマが急激に固まってできる火山岩である。楢ノ木大学士が探す流紋岩とは成り立ちが根本的に異なるのだ。

 楢ノ木大学士が小屋の中で焚き火をして暖まり,藁の上に横になってうとうとしていると頭の下あたりで言い合う声が聞こえてきた。
 彼らは十万二千年昔のことや,千五百万年昔のことで言い争っている。実に記憶の良い奴らだった。


登場鉱物

 楢ノ木大学士の夢の中に登場するのは擬人化された鉱物達だ。
 しかし読者に与えられた情報は,その会話が聞こえてくるのが大学士の「頭の下あたり」であるということだけ。一度読んだだけでは意味不明すぎる。
 そもそも岩石の中の鉱物たちが互いに話をしているという発想自体が荒唐無稽で予想外過ぎるため,よほどの石マニアでない限りすぐさまピンと来るのは難しく,鉱物の特性を存分に発揮させた会話内容も把握しづらいと思う。

 誰がどの鉱物で名前の由来は何であるか「楢ノ木大学士の野宿 – Wikipedia」をはじめとして各所解説サイト様で解説されている。

 夢の中の登場人物たちは全員,楢ノ木大学士の近くにあった御影石(花崗岩)に含まれている鉱物たちだ。花崗岩はこれらの鉱物が地下深くでゆっくり固まって出来上がる。花崗岩として完成するまでの間には,鉱物たちのストーリーがあるのだ。

 以下,登場鉱物たちの概略をまとめておく。

暗い色の鉱物

  • ホンブレン 普通角閃石,ホルンブレンド(hornblende)。火成岩(花崗岩)や変成岩に含まれる角閃石で,黒色または暗緑色。カルシウム・マグネシウム・鉄のケイ酸塩を含む。
    ここでは楢ノ木大学士に最初に特定された鉱物。
  • バイオタ 黒雲母,バイオタイト(biotite)。火成岩(花崗岩・安山岩)や変成岩(片麻岩)に含まれる鉄分が多い雲母。
    窮屈だとホンブレンに文句を言う。やがてお腹が痛くて泣き出す。
  • ジッコ 磁鉄鉱(じてっこう/magnetite)。鉄の酸化物(Fe3O4)。火成岩や変成岩に普通に含まれる造岩鉱物。花崗岩にはごく少量,1%以下〜数%程度含まれる。
    ここでは最初に生まれ,バイオタに場所を空けてあげたりした。

明るい色の鉱物

  • オーソクレ 正長石,オーソクレース(orthoclase)。長石族のケイ酸塩鉱物で,火成岩や変成岩に普通に含まれる造岩鉱物。化学組成はKAlSi3O8。正長石は双晶(2つの結晶が結合して1つに見える状態)を形成しやすい。
    ここでは,角閃石と黒雲母の仲裁に入る双子。
  • プラジョ 斜長石,プラジオクレース(plagioclase)。長石族のケイ酸塩鉱物の固溶体。曹長石(Na主成分)〜灰長石(Ca主成分)の間で連続的に変わって固溶体系列を形成する。地殻の主要な構成成分。
    ここでは医者。楢ノ木大学士は青白いから医者なのだろうと推測する。
  • クォーツ 石英(quartz)。二酸化ケイ素 (SiO2) が結晶化した鉱物。六角柱状の綺麗な結晶となることが多い。無色透明なものは水晶と呼ばれ,古くは玻璃(はり)とも呼ばれた。火成岩の中では他の鉱物の結晶ができた後で隙間に成長するため,六角柱の結晶にはなれず塊状になり,これを石英と呼ぶ。肉眼で確認できる大きさで六角柱状の自形結晶のものは不透明であっても水晶と呼ぶ。地殻を構成する一般的な鉱物で,長石に次いでよく見られ,火成岩・変成岩・堆積岩のいずれにも含まれる。

その他

  • コングロメレート 礫岩(れきがん/ conglomerate)。砕屑岩(さいせつがん)の1種。 礫が続成作用により固結してできた岩石。 多くは堆積岩として形成される。昔,この鉱物達が入っている御影石(花崗岩)と会話したことがある。太陽や空の色を話してくれた。

ボーエンの反応系列

 花崗岩の中の鉱物は,ゆっくりとマグマが冷えていく中で,ボーエンの反応系列に従って温度に応じて順番に結晶化する。

  1. 1000〜800℃で磁鉄鉱が結晶化。鉄は高温でも安定して固まれる。
  2. 900〜700℃で黒っぽい鉱物,まず角閃石が,次に黒雲母が結晶化。
  3. 700〜600℃で斜長石(Naが多いものから)が結晶化し,次に正長石が結晶化。
  4. 最後に,マグマの中で最も溶けにくい石英が結晶化。

 「ボーエンの反応系列」は,ノーマン・ボーエンによって1928年に提案された,マグマの冷却と結晶作用によって火成岩が生成される過程を表す概念である。
 『楢ノ木大学士の野宿』は宮沢賢治が亡くなった翌年の1934年に発表されており,最初の原稿が書き始められたのはボーエンの反応系列が世に出る以前(1922年頃?)だったようだ。

 鉱物たちの会話を読む限り,賢治さんはボーエンの反応系列を知っていたとしか思えない。「ボーエンの反応系列」を知って感動し,この第二夜の着想を得たのではないかと思える。
 とはいえ当時は,今のように簡単に最新の研究成果にアクセスできる時代ではなかった。賢治さんにこの学説を知る機会があったとは考えにくい。だが彼は丸善で洋書を注文し読んでいたらしい。取り寄せるなどして学説を知る機会を得たのだろうか。
 このような疑問は,おそらく宮沢賢治研究者の方がとっくに調査し明らかになっていそうなものだが,どうなのだろう。


風化という鉱物の病

 バイオタが腹痛で気絶し,医者のプラジョが診察に来る。
 「風邪を引く=風化」であると楢ノ木大学士は推測する。風化を鉱物の病とするところが成る程と思わされ面白い。


 バイオタは第十八劈開予備面が痛いと訴え,プラジョは「大地の底にいた頃からの慢性緑泥病で大分軟化しており回復の見込みは無い」と診断する。緑泥石は,変成岩や火成岩の変質産物として見られる緑色のケイ酸塩鉱物。そして病名は初期の蛭石病で,命は一万年持たないという。
 蛭石は,バーミキュライト(Vermiculite)の別名で黒雲母が風化したもの。多量の水を含んでおり,熱を加えるとヒルが伸びるように膨張するためこの名がついた。園芸用土として用いられる。


 医者のプラジョオーソクレカオリン病に罹っていた。
 カオリンはカオリナイトを主成分とする,長石を含む岩石の風化によってできた白色の粘土鉱物で,陶磁器の材料になる。
 同じ長石族の正長石と斜長石は,風化して同じ鉱物へ変化するのだ。


 ホンブレンについては,「ホンブレンもバイオタと同病」と医者のプラジョが言っているが,ホルンブレンド(普通角閃石)は風化しても蛭石にはならない。「同病」と言っているのは緑泥病(緑泥石)のことだろう。
 普通角閃石は,風化によって緑泥石やカオリン等の粘土鉱物など様々な形態に変化する。


 クォーツはクウショウ中の瓦斯(ガス)で風化する。
 この「クウショウ」という用語が分からず困ったが,下記サイト様にて「空晶」と言う言葉を発見した。

 「空晶」で検索しても得られる情報は少なく,一般的な用語ではなさそうだ。
 空晶とは,岩石や鉱物の内部に空洞(晶洞)が形成され,その空洞中に鉱物や結晶が充填される現象とのこと。石英が空洞で結晶化すると,特に美しい六角柱状になることがあるらしい。
 『楢ノ木大学士の野宿』における

クォーツさんもお気の毒ですがクウショウ中の瓦斯が病因です

 硬い石英であっても長い時間をかければ空晶のガスの影響を受けますよということだろうか。長い時間をかければ,どんな石でも風化していくのだ。

野道  山道: 岩石分類の 補足:岩石の変質


野宿第三夜

 立派な蛋白石を見つけ出せない楢ノ木大学士は,夕方になって,頁岩(けつがん)の波に洗われる人のいない海岸を歩いていた。崖の脚に波で削られた小さな洞穴を発見し,そこを野宿の場所に決める。

 夢の中の楢ノ木大学士は,何のために旅をしていたのだったか忘れ果て,博物館の依頼で白亜紀の大きな爬虫類骨格を探していたのだったと思い込む。
 幸いここは白亜紀の頁岩だ。博士は1mばかりの足跡を見つけて追いかける。そして熟した苹果のような酷く赤い太陽を見て怪訝に思ったりしているうちに,生きた雷竜に出くわしてしまう。


海岸

 楢ノ木大学士がやってきた「頁岩の波に洗われる海岸」はどこだろうか。
 『銀河鉄道の夜』のカムパネルラは幾人かの人物の合成イメージで作られたと言われているように,モデルになった実在の場所があったわけではなく,いくつかの場所のイメージを合成して作り出された場所である可能性が高そうだと思う。

候補1:追波湾

 第一夜が葛丸川なので,葛丸川が北上川に合流し太平洋に注ぐ石巻市の追波湾(おっぱわん)が候補の一つとして考えられそうだ。このあたりには頁岩を含む堆積岩類が分布している。
 また,産業技術総合研究所の地質調査にてジュラ紀・白亜紀の地層が分布していることも確認されているようだ。

候補2:イギリス海岸

 だが,宮沢賢治で海岸とくれば,まず思い浮かぶのはイギリス海岸だろう。
 イギリス海岸とは岩手県花巻市小舟渡の北上川西岸のことで,まさに『イギリス海岸』という名の宮沢賢治の著作に「猿ヶ石川の、北上川への落合から、少し下流の西岸」と書かれている。

 「イギリス海岸」の名は宮沢賢治がつけた愛称だ。実際には「海岸」ではなく「河岸」である。「いかにも海岸の風をした川の岸です」と『イギリス海岸』に書かれている。
 イギリスのドーバー海峡に面した第三紀の泥岩層が露出する風景を連想させることから,賢治さんはこういう渾名をつけたとのことだ。

宮沢賢治 イギリス海岸(青空文庫)

 イギリス海岸の地層は第四紀更新世前期で,約150万年前から190万年前。
 宮沢賢治はここを何度も訪れた。『銀河鉄道の夜』に登場する「プリオシン海岸」のモデルにもなっている。そして,賢治さんはここで「ハナイズミモリウシ」の足跡の化石と「オオバタクルミ」の化石を発見し,どちらの化石も『銀河鉄道の夜』に登場している。

 イギリス海岸は新生代の第四紀,ごく新しい地層であり,恐竜の化石が出る中生代とは一致しないが,「足跡の化石」というキーワードが『楢ノ木大学士の野宿』と一致する。

イギリス海岸
イギリス海岸

心象タイムスリップ

 第一夜のラクシャン兄弟の会話も如何にも賢治さんが心の中で実際に見聞きした会話のように思えたが,気がつくと中生代の恐竜の世界にいたのも賢治さんの心象体験のように感じた。

 下記サイト様にて,1922年の心象スケッチ『春の修羅』と『楢ノ木大学士の野宿』について,「実際の夢体験に基づくものなのかどうかは定かではない」と言及されていた。

自閉スペクトラム症の特徴の一つとされるタイムスリップ現象,賢治も体験したか – 宮沢賢治と橄欖の森

 賢治さんの白亜紀体験が,夢だったのか現実の何かの機会の心象なのかはわからない。
 しかし,「白亜の真っ暗な森」「爬虫」「地質時代の林の底」などというキーワードは,そのまま楢ノ木大学士の「中生代に来てしまったのか。中生代がこっちの方へやって来たのか。」という言葉と繋がっているように思える。
 少なくとも私にはそのように感じられ,ライムスリップにSF以上のリアリティを覚えたのだった。

いま日を横ぎる黒雲は
侏羅じゆらや白堊のまつくらな森林のなか
爬虫はちゆうがけはしく歯を鳴らして飛ぶ
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
水は濁つてどんどんながれた
いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
(『春と修羅』 小岩井農場 パート四)

一体これはどうしたのだ。中生代に来てしまったのか。中生代がこっちの方へやって来たのか。ああ、どっちでもおんなじことだ。とにかくあすこに雷竜
らいりゅう
が居て、こっちさへ見ればかけて来る。
(『楢ノ木大学士の野宿』 野宿第三夜)


雷竜

 雷竜は,現代で言うアパトサウルス(学名:Apatosaurus)のこと。
 中生代ジュラ紀後期(約1億5200万 〜 約1億5000万年前)の北米大陸に棲息していたディプロドクス科の大型草食性恐竜だ。しかしブロントサウルスの異名があり,日本では長らくブロントサウルス=雷竜とされていた。この経緯を鑑みると,この物語に登場する雷竜はブロントサウルスのことであると考えて良さそうだ。
 「アパトサウルス」と「ブロントサウルス」は別属であるという研究発表は,賢治さんの時代から遙かな時を経た2015年のことである。

 どちらにしろ,雷竜は草食性。
 体は大きいが,長く薄い首と小さな頭は植物食に適応したものだ。楢ノ木大学士を見つけたところで襲ってくることはなかったのでは?

 また,物語の中で楢ノ木大学士が白亜紀の地層にいるのが不思議に思える。ブロントサウルスにしろアパトサウルスにしろジュラ紀の恐竜なのに?
 賢治さんの時代は雷竜が生息したのは白亜紀だと思われていたのだろうか?

 調べてみたところ,下記の論文に詳細に書かれていた。この論文によると,日本では1918〜1950年にかけて,雷竜などを産出した北アメリカのモリソン層は白亜紀だとされていたらしい。やはり,賢治さんの時代,雷竜は白亜紀の地層ということで辻褄が合う。

化石 107, 21-26, 2020
楢ノ木大学士はどうして白亜紀の海岸で雷竜と出会ったのか――明治期後期
~昭和期前半の日本における地史学的新情報受容の一事例――
佐野晋一 富山大学学術研究部都市デザイン学系


本当にあった恐竜化石

 宮沢賢治さんが逝って45年後,岩手県は日本初の恐竜化石が見つかった県となった。

 1978年(昭和53年)に岩泉町(いわいずみちょう)茂師(もし)海岸の,前期白亜紀に形成された宮古層群田野畑層で大型の恐竜化石が発見され,モシリュウと名付けられたのだ。

 賢治さんの頃には知られていなかったが,岩手県の海岸には本当に白亜紀の恐竜の化石,しかも雷竜を彷彿とさせる大型の草食恐竜の化石が眠っていたのだ。
 勝手ながら運命の糸ようなものを感じてしまう。


気の毒な赤鼻の支配人

 東京に帰った楢ノ木大学士のところへ「貝の火兄弟紹介」の赤鼻の支配人がやって来る。

すべての宝石はみな僕をしたってあつまって来る

 貴蛋白石(プレシアスオーパル)の素晴らしい蛋白石が飛びついてきて離れなかったなどと言いつつ,楢ノ木大学士が出したのは下等な玻璃蛋白石だった。そして大学士は逆ギレして旅費を突き返し,赤鼻の支配人を追い返す。

「先生困ります。あんまりです。」

 何度も「あんまりです」と言う赤鼻の支配人に私はいたく同情した。本当に「あんまり」ではないか。旅費を返せば良いという問題ではないだろう。酷く難儀をしても上等な蛋白石が採れなかったのに,貴蛋白石がざらざら飛びついてきたなんて嘘を言わなくても良いではないか。
 物語がいきなり破綻してしまったような残念な気持ちになった。

 この作品は宮沢賢治が亡くなった後で出版されているものだ。
 宮沢賢治の作品のことを,賢治さん自身は「mental sketch」(心象スケッチ)と呼んでおり,中でも『春と修羅』序文・『青い槍の葉』・『原体剣舞連』・『銀河鉄道の夜』の4作品は「mental sketch modified」と書かれている。「modified」の意味については様々な議論があるらしいが,『宮沢賢治論』の著者である恩田逸夫氏が主張する「再構成された」「修整された」という意味であるとするならば,「modified」がついていないこの作品などはまだ再構成されていない心象スケッチそのままなのだとも考えられるのではないだろうか。

 例えば『銀河鉄道の夜』は第4次稿まであることが知られている。このように何度も推敲と修整を重ねていくのが賢治流作品の育て方だとすれば,この作品はまだまだ道半ばの段階だったのかもしれない。

 第一夜の岩頸兄弟や第二夜の花崗岩中の鉱物の成り立ちと風化が主題になった物語は,類い希な地質学を主題とする科学に基づいた物語だと思う。それだけに急失速したように感じるエンディングに納得し難い気持ちになった。

 賢治さんの心象スケッチそのままを味わうのも良い。でも,この作品が育てられ「modified」になっていたらどんな結末になったのだろうかと思う。賢治さんにこの作品を育てる時間が無かったことを,とても残念に思った。


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