ソラリス

本の概要

  • 著者:スタニスワフ・レム (ポーランド/1921-2006)
  • 翻訳:沼野 充義 
  • ASIN:B00YGIKEI0
  • 出版社:早川書房 (2015/4/15)
  • 発売‏日:2015/4/15
  • ファイルサイズ:1066KB
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旧訳・新訳・コミック化

 本作の発表は1961年。
 テレビ映画『ソラリス』(1968/ソ連),劇場映画『惑星ソラリス』(1972/ソ連)・『ソラリス』(2002/米)などの映像作品が製作され有名な作品だ。

 このほどハヤカワ文庫の新レーベル「ハヤコミ」において,『そして誰もいなくなった』(アガサ・クリスティー)及び『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬)と共に最初の作品に選ばれたことを知り,かねてより買ってあった本書を読むことにした。

 『ソラリス Solaris 』は,1977年にハヤカワ文庫より『ソラリスの陽のもとに』(飯田規和訳)の名で出版されていた。けれどこれはロシア語版からの重訳だったため,ロシア語版を出版する際に削除された内容が欠落していた。
 ロシア語版で内容が削除された経緯については,本書の後書きで翻訳者の沼野氏が詳しく解説している。
 沼野氏によると,「怪物たち」「思想家たち」「夢」の三章に渡って原稿用紙40枚分近くが削除されており,削除された部分は「この作品の豊かなイメージと思想的視野の広さを感じさせる重要な箇所」であるとのことだ。

 この三章は物語の中でも特に難解な箇所(と私は感じた)なので,おそらく旧訳『ソラリスの陽のもとに』(旧訳)は『ソラリス』(新訳)より気楽に読めるエンターテイメント的な作品に仕上がっていたのではないかと思う。
 けれどこの三章がなければ,確かにソラリスの海への考察が薄っぺらいものになってしまう。そのためコンタクトという物語の主題がぼやけ,代わりにケルヴィンとハリーの関係が際だってしまう気もする。

 本書,新訳『ソラリス』は,その難解な箇所の全てを含む原作全文が,ポーランド語オリジナルから忠実に翻訳された初めて日本語版『ソラリス』となる。本書の登場により,『ソラリス』が持つ思想的な深みに日本語で触れる準備がようやく整ったのだ。


映画と原作

 『ソラリス』は劇場映画が過去2回も制作されており,手っ取り早く楽しむためには映画が役に立つかもしれない。
 だが,それらの映画が必ずしも原作者の世界を表現できているとは言えないことが,本書の後書きで翻訳者の沼野氏によって詳しく書かれている。

 例えば映画『惑星ソラリス』ではラストが原作とは異なっている。
 映画では主人公のクリスは異質な他者との対峙を止めて懐かしい世界に回帰しようとし,原作のクリスは最後まで揺るぎなく異質な他者と向き合おうとする。
 原作者のレムは,映画に原作にはない主人公の地上の家族や母なる大地に繋がる母親までを登場させたことが酷く気に入らなかったという。


しかし、ここから立ち去ることは、未来が秘めている可能性を——たとえその可能性がはかなく、想像の中にしか存在しないものであっても——抹消してしまうことを意味した。
(略)
それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。

『ソラリス』—古いミモイド 沼野充義 訳

レム独自の認識論スタンスは、「欠陥を持った神」が戯れる宇宙を前にして、「残酷な奇跡」から目をそむけようとはせずに、違和感に身を貫かれながらも、あくまでも未知の他者に対して開かれた姿勢をとり続けることだった。

『ソラリス』—愛を超えて—訳者解説

 小説は曖昧さと想像の余地が残る結末だったが,ケルヴィンは想像を絶した体験に苦しみながらも,嫌気を起こし懐かしい地球へ帰ろうとはしていなかった。
 例え遭遇したのがソラリスのように思いもよらないコンタクトであったとしても,人類はただ宇宙に嫌気をおこし地球に回帰して終わることはない。それが,レムが描いたソラリスとのコンタクトだった。


ステレオタイプから脱したコンタクト

 レムよると,SFが描くコンタクトには3つのステレオタイプができあがっているという。

1.意思疎通がある場合
2.人間が彼らを征服する場合
3.彼らが人間を征服する場合

 これは地球上での経験をそのまま宇宙に持っていっただけの図式的拡大解釈でしかないという。レムはこのように言っている。


宇宙がたんに「銀河系の規模に拡大された地球」だと思うのは間違っている。宇宙は、私たちがいまだ知らない新奇な性質を備えているのではないだろうか。地球人と地球外生物とのあいだに相互理解が成り立つと考えるのは、似ているところがあると想定しているからだが、もし似たところがなかったらどうなるだろうか。

ソラリス—ファンタスティックな物語 スタニスワフ・レム

スナウトの言葉

 作中人物のスナウトは,困難の中でも冷静さを保とうと努力し,同僚を思いやる心を忘れぬ好人物だ。彼は主人公のケルヴィンの尖った若さを受け止め,時に諫め,時に見守る。私にはスナウトはレムの代弁者のように見えた。

 そのスナウトの台詞は,コンタクトについての示唆に満ちていたと思う。

われわれは宇宙を征服したいわけでは全然なく、ただ、宇宙の果てまで地球を押し広げたいだけなんだ。
(略)
人間は人間以外の誰も求めてはいないんだ。われわれは他の世界なんて必要としていない。われわれに必要なのは、鏡なんだ。他の世界なんて、どうしたらいいのかわからない。
(略)
いまやまさにそのコンタクトを体験しているんだ! その結果、まるで顕微鏡で見るように拡大されてしまったんだ、おれたち自身の怪物のような醜さ、おれたちの馬鹿さかげん、破廉恥さが!!!

『ソラリス』—小アポクリファ 沼野充義 訳

 この作品には多くの要素がつぎ込まれている。
 ホラーであり恋愛小説であり精神分析や思考訓練の試みであり宗教寓話の一つでもあり,おかげで「メタ・サイエンスフィクション」という異名を持っている。

 だが,これらのあらゆる要素,ホラーも恋愛も歴史も登場人物たちの行動も,未知なるものの存在の可能性と未知なるものへのコンタクトの可能性を考察するための道具であるように思えた。


私が重要だと考えていたのは、ある具体的な文明を描いてみせるというより、むしろ「未知なるもの」をある種の物質的な現象として示すということだったのである。その物質的な現象は、高度に組織化されており、しかるべく出現するので、地球の人間はこういうふうに理解することができる—未知の形態を持った物質という以上に大きな何らかの存在が自分たちの目の前にある、自分たちが対峙しているのは、見方を変えれば生物学的現象とも、いや心理学現象とも思えないことはないが、予測したり推定したり期待したりできるようなものとはまったく異なっている、と。

ソラリス—ファンタスティックな物語 スタニスワフ・レム

 ソラリスの創造物であるハリーは,実際の人間であるかのように人間らしくケルヴィンとの関係に心から苦しむ。彼女はソラリスの創造物でありながら彼女でしかなかった。

 ハリーの存在から『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希を連想した。長門有希は,自らのことをこのように説明していた。


「この銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース、それがわたし。」

涼宮ハルヒの憂鬱

 ハリーがソラリスによる対人間コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスだったのかどうかは分からない。
 ハリーが何のために現れたのかは最後まで分からない。
 スナウトは「贈り物」だったのかもしれないとも考察する。

 人間の想像の範疇から逸脱した相手であるソラリスの海には,人間の脳の中でさえ透明なガラスのようなものなのだ。ソラリスの海は,まるで本のように人間の脳の中の情報を読み取る。だが読み取った情報の意味を理解しているわけではない。
 たとえソラリスの構造物と同じ物を人間が作ったところで,その作った物の意味を人間が解しないように。


雑感

 ソラリスの海は最後まで捉えどころがない。
 おかげで,未知の存在とのコンタクトを本書の中で体験することができた。クリスがソラリスに降り立つ場面はことに印象的だった。


 この生命形成体の芽吹き、成長、展開には、その一つ一つを個別に取ってみても、またその全部をいっしょに合わせてみても、なにやら—こう言ってよければ—用心深い、しかし臆病とは言えない無邪気さが現れていた。海は新しい形のものに思いがけず出会うと、我を忘れて急いでそれを知りたがり、把握しようと努力するのだが、謎めいた法則によって定められた一定の境界を越える恐れが出てくると途中で引きあげる羽目になるのだった。そのみのこなしのすばしこい好奇心は、水平線を見渡す限りの輝きの中に広がる巨体とはあまりにも対照的で、なんとも言い難い感じを与える。

『ソラリス』—古いミモイド 沼野充義 訳

 本書は原作に忠実なこともあって,途中のソラリス学の系譜が蕩々と語られる部分などかなり難解に感じた。あまりにも分からないので眠くなって読むのが大変だ。一度読んだくらいでは理解が足りなすぎて話にならない。
 続けて再読し,ようやく少しだけソラリス学が頭に入った感じだ。もっと何度も読み返せば理解も深まるのだろう。

 しかし,そんなにも難解で眠くなって大変だったけれど,興味深く魅力的な作品であるということは疑いなく言い切れる。少なくとも2回繰り返して読むほどだったのだ。
 理解できない異質な相手とのコンタクトとして示唆に溢れ,興味深かった。
 理解できない異質な相手は,実は宇宙の果てまで出かけなくとも,身のまわりに溢れている。我々はそれを自分の宇宙を押し広げて勝手な解釈をしているであろう。

 主題がコンタクトという概念的なものであるため,読書視点はメタになる。このため古くなっても少しも色褪せぬ作品であるとも思った。この先も読み継がれていく作品だろうと思う。

 難解SFの金字塔のような本作が,「ハヤコミ」のコミックでどのように解きほぐされるのか,理解しやすくなるのか楽しみだ。


登場人物と用語

  • クリス・ケルヴィン: 主人公。心理学者。
  • モッダード: プロメテウス号の乗組員でケルヴィンをソラリス・ステーションへ向けて発射させた。プロメテウス号は水瓶座α星を目指して飛んでいった。
  • スナウト: ギバリャンの補佐役を務めていたサイバネティクス学者。小柄で日に焼けた顔をしたやせぎすの男。
  • サルトリウス: 並外れて背の高いやせぎすの男で,頭は異様に細長い。物理学者。
  • ギバリャン: ケルヴィンの恩師であるソラリス学者。ケルヴィンは彼の助手だった。
  • ハリー: 10年前に19歳で自殺したケルヴィンの恋人。
  • ポリテリア: ソラリスの海の種名。ポリテリア種-シンキティアリア目-メタモルファ綱。
  • ギーゼ: 古典的金字塔とも言うべきソラリスについての全九巻の研究書や『星間料理人』『ソラリス研究の十年』などの著者。凡人でも天才でもない,几帳面で融通のきかない分類学者だった。
  • ギーゼの作ったソラリスの構造体を表す用語: 山樹・長物(ながもの)・キノコラシキ・擬態形成体(ミモイド)・対称体・非対称体・脊柱マガイ・速物(はやもの)

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本の記録(2024-07)

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 古典的SFは古典なので今更読むと大抵古くさく感じることが多いが,アシモフは特にそういう印象を受ける気がする。日常描写が多いせいかもしれない。それに比べると『ソラリス』は概念論が多く読む方もメタ視点になるためか,色褪せない作品なのでは思った。


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