悲しみよこんにちは

本の概要

  • 出版社:新潮社
  • 発売日:2008/12/20
  • 著者:フランソワーズ・サガン 訳:河野万里子
  • 文庫:197ページ
  • ISBN-10:4102118284
  • ISBN-13:978-4102118283
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セシルと同世代だった頃

 高校生の頃に一度読んだことがあった。
 当時の書店や図書館に並んでいたのは,朝吹登水子訳の1955年版。一度は読んでおくべき作品のように思われていた本だったので手に取ったが,高校生の私はこの作品の良さを少しも理解できなかった。

 恋愛と自分勝手な欲望に浮ついて過ごす父と娘。何と自堕落でバカっぽくて下らない!
 南仏の海岸で過ごすバカンスも,登場人物たちの世界も,死という現実も,全くもって当時の自分の想像の範疇を超えており,共感することはできなかったのだった。

 思えば,「○○さんが○○をした」以外の部分に含まれる膨大な情報を,その頃の私は全く読み取れていなかったのだと思う。


ある日ラジオでの再会

 この作品を思い出すこともない人生を過ごし40年ほどが経過したある日,たまたまラジオ番組「朗読の世界」で『悲しみよこんにちは』を聞いた。
 それは,第二部,レイモンとアンヌとセシルが,レイモンの友人に会う他面いサン・ラファエルの「ソレイユ」というバーへ行く場面の朗読だった。
 たった1回分聞いただけ。たったそれだけの短い場面だったのに,南仏の別荘地の生活が目に浮かぶようで,各々の背景を持った登場人物たちの表情が見えるようで,感動した。

 これほどの人間描写を18歳で書くなんてサガンは天才ではないか!?
 昔一度読んだけれど,心の機微を生活の機微を風景を,こんなにえぐるように美しく書かれた作品だったっけ?

 どうしてもこの作品をもう一度読んでみたくなって,すぐさま買って読み始めたのだった。

 昔読んだ朝吹登水子訳の新潮文庫は既に絶版になっているようで,あの懐かしい表紙の本はAmazonの中古にもなく,購入したのは現在の発売されている新潮文庫の河野万里子訳(2008年)。「朗読の世界」で読まれていたのもこれだった。


アンヌより年上になって

 セシルとレイモンが刹那的に楽しく生きる人達で,この人たちの生き方は理解できないと思う気持ちは昔読んだ時と同じだが,しかしそれはそれとして,そんな彼らの感情描写には読み継がれてきた作品が持つ迫力があった。

 相反する感情を同時に抱いて引き裂かれるセシル。そこには自分自身も,きっと他の人達も持っていたであろう若さが持つエネルギーが感じられた。

 規律正しく自分を保って生きてきたアンヌ。40代の成功した女性になって愛,今,愛する人達と理想の家庭を築こうとしている彼女の強さと弱さ。

 訳者あとがきで河野万里子氏が書いておられる下記の一言は,何と的確な表現だろうか。


エルザとアンヌの心理描写など、ところどころ、もしも原文を切ったらまっ赤な血が噴き出すのではないかという気さえする。

『悲しみよこんにちは』(新潮文庫)p.181

 最後のセシルの「悲しみよこんにちは」が,とてもリアルに思えた。
 夏とともに胸にこみ上げるアンヌの思い出は,セシルにとって既に遠く,心地よくすら感じられる痛みになっているように見え,その残酷さにリアリティを感じたのだった。


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高瀬舟と高瀬舟縁起

『高瀬舟』概要

  • 著者 森鴎外(1862-1922)
  • 発表 1916年(大正5年)1月『中央公論』

『高瀬舟縁起』概要

  • 著者 森鴎外(1862-1922)
  • 発表 1916年(大正5年)1月『心の花 第二十巻第一号』

あらすじ

 舞台は江戸時代。
 松平定信が政権を取っていた寛政(1789-1801年)の頃で,知恩院の桜が散る頃の春の夕べだった。

 京都の罪人が流刑を申し渡されると,まず高瀬舟で大阪へ護送されることになっていた。
 護送を行う役人であった庄兵衛は多くの流刑人を見送ってきたが,この日護送することになった喜助に心を引かれる。庄兵衛が今まで護送してきた罪人たちが総じて悲しがっていたのと異なり,付添の親戚もなく一人で舟に乗った彼は晴れ晴れとした顔をしていた。
 喜助は弟を殺した罪人だったが,殺人を犯した悪人にも見えない。
 庄兵衛は喜助に流刑になった理由を訊ね,喜助が果たして本当に罪人なのか,幸福とは何であろうかと考え込むのだった。

 喜助の身の上話はこうだった。

 幼い頃に両親を亡くした喜助は弟と二人暮らしをしていたが,弟は病で倒れ,喜助は懸命に働いて弟を養ってギリギリの生活をしていた。だが,ある日帰宅すると,弟が喉を剃刀で刺して血を流し倒れていた。弟は兄に楽をさせてやりたいと思い,また自分に未来がないことも知って自害しようとしたが,失敗し,喜助に「剃刀を抜いてくれ,そうすれば自分は死ねる」と懇願した。
 喜助は迷っていたが,苦しそうな弟の必死の頼みを受け入れて剃刀を抜いてやった。
 結果,弟は亡くなり,喜助は弟殺しの殺人者という判決を受けたのだ。

 だが喜助は,命を助けられて島に行かせてもらえる。その島だって鬼が住む場所でもない。今までいていい場所が無かったので,居場所を与えられてありがたいと言うのだった。

 青空文庫になっているため,Kindleで無料で読める。


足るを知る

 庄兵衛は「不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていること」と考える。
 流刑の地へ向かおうとしながら喜助は幸福そうなのに,自分はどうであろうかと。

 日々の生活の出納は合っているが手一杯で満足というほどではない。仕事を首になったらどうしよう,病になったらどうしよう等と常に不安がつきまとっている。


庄兵衛はただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だ

『高瀬舟』森鴎外

 物語は,朧月夜の黒い水の面を,沈黙した二人を乗せて舟がすべっていく描写で終わっている。喜助のやったことをどう考えるか,庄兵衛の想いをどう受け止めるかは読者に委ねられている。

 「足るを知る」ことが必ずしも良いこととは限らない。
 誰もが喜助のように自分の境遇に満足し幸福を感じていたら,おそらく世の中は停滞し発展は望めないであろう。もっと良くなろう,これでは足りない,そう思ってあがく人たちがいるから科学は進歩し社会は便利になってゆく。
 だが進歩し便利になることも,必ずしも良いとは限らない。それには際限が無い不安と努力がつきまとい,際限無いが故に時に人は疲れてしまうのだ。


安楽死

 森鴎外は,江戸時代の随筆集『翁草』の「流人の話」を元に,「罪人の財産に対する態度」「安楽死問題」の2点に興味を抱いてこの物語を書いたとのことだ。
 鴎外がこれを書いて100年以上が経過したが,日本では未だ安楽死や尊厳死についての法整備はなされておらず,人は自分の死を選ぶ権利を持たないし,他人の心からの死への願いを助ける権利も持っていない。

 江戸時代,おそらくそれ以前からあったのではと思われる安楽死の是非は令和の時代になっても冷静な議論すら難しい印象だが,多様性だのダイバーシティーだの言うのであれば,安楽死についても,もっと逃げない議論がなされても良いのではないかと思う。


年を取ると過去が近くなる

 『高瀬舟』は,たぶん小学校6年生の国語の教科書で読んだと思う。
 短い物語であるし『舞姫』のような雅文体でもない。子どもでもすぐに読み終わる物語ではあったが,小学生の私には,未だこの物語の機微を感じ取る感性が育っていなかった。

 小学生の私にとって,『高瀬舟』の舞台である江戸時代は大昔。自分とは無関係な世界の辛気くさい物語だとしか思えなかった。しかも夜の暗い川面を下っていく弟殺しの罪人の話だと思うと,おどろおどろしい気がして,積極的に物語の中へ入っていく気にはなれなかった。

 小学生の頃と言えば,祖父母どころか両親が子どもだった時代でさえ大昔に思えたのだ。両親なんてたった四半世紀しか年齢が違わないのに。
 年を取るとは不思議なもので,過去を把握する奥行きが広がる。
 それから何十年もの年月が過ぎ去り,その分だけ明治も江戸も更に遠く離れてしまったはずなのに,今では子どもの頃ほど大昔とは思わないし,親しみが持てる近い時代であるとすら感じられる。そこで生きていた人々も現代を生きる人々も,何も変わらぬ人間であり別世界などではないことを人生経験によって知ったからなのかもしれない。

 過去の時代に書かれた過去の物語も,今なら自分の世界の物語として血肉にすることができる。それを嬉しく思う。


 わかりやすい文体だし短い物語なのに現代語訳が必要なのか不思議だが,下記のような本は解説付きなので理解は深まるかもしれない。


高瀬舟縁起

 『高瀬舟縁起』は森鴎外が『高瀬舟』を書いた理由を記した随筆。

 『高瀬舟』は,江戸時代の随筆集『翁草』から題材を得て書かれている。
 鴎外はこの話に二つの問題を見出した。

 一つは財産について。もう一つは安楽死について。
 罪人として高瀬舟に乗った男が二百文を喜んだことをおもしろいと思い,また死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を死なせてやるということの是非が問われているところをおもしろいと考え,『高瀬舟』を書いたとのことだ。

 京都の高瀬川の歴史や曳舟についても書かれている。
 元来「たかせ」は舟の名なので,その舟の通う川を高瀬川と呼び,同名の川は諸国にあるとのことだ。

 短くすぐに読み終わる随筆なので,『高瀬舟』と合わせて読めば理解が深まり良いと思う。

高瀬舟縁起
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