染井吉野桜記念公園―豊島区

桜の代名詞とも言えるソメイヨシノ。
日本産の園芸品種で、
江戸の染井村の植木屋によって作られた。

染井村は現在の豊島区駒込あたりに位置し、
そこに染井吉野を記念する公園がある。

豊島区立 染井吉野桜記念公園
豊島区立 染井吉野桜記念公園

ソメイヨシノ=桜と聞けば、
有名な奈良県の吉野山が思い浮かぶかもしれない。
しかし、こちらの桜はヤマザクラ。
ソメイヨシノとは別品種だ。

ソメイヨシノは
エドヒガンとオオシマザクラから生まれた1本の木のクローン。
クローンだから、みな同じ。一斉に咲く。
明治時代から日本中で多数植えられたため、
ソメイヨシノが一斉に咲く様は日本の春の代表的風景となった。
一斉に咲き比較に適するため、気象庁の標準木にもなった。

染井吉野桜記念公園(豊島区)
染井吉野桜記念公園(豊島区)

染井吉野桜記念公園内で、ソメイヨシノの原種
エドヒガンザクラとオオシマザクラを見ることができる。

染井吉野の由来を示す説明版。
江戸の染井村(駒込の一部)は、
巣鴨と共に花卉(かき)・植木の一大生産地だった。

染井吉野桜記念公園の説明版
染井吉野桜記念公園の説明版
染井吉野桜記念公園の説明版
染井吉野桜記念公園の説明版

『絵本江戸桜』に収録された染井之植木屋の絵(1803年)。
花を愛でる大勢の人で賑わっている。

『絵本江戸桜』に収録された染井之植木屋の絵(1803年)
染井之植木屋の絵(1803年)
染井吉野桜記念公園の(豊島区)
染井吉野桜記念公園の(豊島区)

桜公園の名にふさわしく、
園内は桜色の舗装で小径が作られている。

染井吉野桜記念公園(豊島区)
染井吉野桜記念公園(豊島区)

2019年4月1日、咲き誇る満開の桜。

染井吉野桜記念公園の桜
染井吉野桜記念公園の桜

園内からは隣接する東京メトロ南北線駒込駅の入り口が見える。

染井吉野桜記念公園(豊島区)
染井吉野桜記念公園(豊島区)
染井吉野桜記念公園から見たメトロ入り口
染井吉野桜記念公園から見たメトロ入り口

染井よしの桜まつりのポスターが
園内や駒込駅の構内などに貼られていた。

第20回 駒込染井よしの桜まつりのポスター
駒込染井よしの桜まつりのポスター

園内から見たJR駒込駅。
桜をあしらったポストが印象的だ。

染井吉野桜記念公園から見たJR駒込駅と桜のポスト

券売機の前にあるこの桜のポストはとても目立つ。
この駅を訪れた人はみなすぐに気がつくだろうと思う。

JR駒込駅にある桜のポスト

JR山手線の上を通る駒込橋の欄干には
桜の花があしらわれている。

桜があしらわれた駒込橋の欄干

駒込駅南口のバスターミナル周辺の桜も見事。

駒込駅 南口
駒込駅 南口

JR駒込駅の発車メロディーは「さくらさくら」。
駒込は全面的に桜推しな街なのである。

駒込駅 南口

夏目漱石旧居跡(猫の家)―文京区

解剖坂を上り詰め、右へ曲がってすぐのところ。
夏目漱石旧居跡、通称「猫の家」がある。

夏目漱石 猫の家の猫

所在地は
東京都文京区向丘2-20-7 日本医科大学同窓会館
(当時 千駄木町五十七番地)

夏目漱石旧居跡 説明板

夏目漱石(1867~1916年/慶応3年~大正5年)は、
1900年~1902年(明治33年~35年)のイギリス留学から帰国した後、
1903年(明治36年)から3年と10ヶ月ここに住んだ。

夏目漱石旧居跡 説明板(文京区教育委員会)

夏目漱石はここに住んでいる間、
東京大学英文科の講師として生計を立て、
一方で、ここにあった家を舞台に
処女作の『吾輩は猫である』を執筆。
1905年(明治38年)1月に『吾輩は猫である』を発表した。

ここ千駄木町は、漱石文学発祥の地なのだ。

夏目漱石猫の家の猫

漱石が住んだ家は現在は愛知県の明治村へ移築され、
そちらで観ることができる。

夏目漱石 猫の家の周辺

漱石はここに住む間、精力的に作家活動を行い、
ロンドン塔を訪れた際の随筆『倫敦塔』(1905年1月)
無鉄砲な新任教師の物語『坊っちゃん』(1906年4月)
熊本の温泉を舞台に非人情を描く『草枕』(1906年9月)
などの作品を次々に発表した。

夏目漱石 猫の家の猫

塀の上を歩く猫の像は臨場感に溢れ、今にも動き出しそう。
とても存在感があるので、
私は最初、知らずにここを通りかかって気がついた。

近くには文京区立森鴎外記念館や、
東京十社に数えられる根津神社もあり、
静かな散歩にお勧めの地域だと思う。