狛猫さん

 特に目的もなくふらふらと散歩していたら,広々とした美しい神社に辿り着いた。
 真新しい拝殿が眩しい。

東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
東京駒込 妙義神社(2023-04-27)

 境内を歩き回っていると,何と狛猫を発見!
 存在するという話は聞いたことがあったが,本物の狛猫を見るのは初めてだ。

狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)

 一般的狛犬同様,阿吽の対で,吽の子は仔猫を抱いている。

狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)

 妙義神社という神社だった。

東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
東京駒込 妙義神社(2023-04-27)

 如何にも新築な拝殿を見て新しい神社かと思ったが,1300年もの歴史があり,実は豊島区で一番古い神社であるらしい。

 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が蝦夷を討つために東征した際にこの地に陣営を構えたことに由来し,日本武尊が白鳥に生まれ変わって飛び立ったという伝説から白雉(はくち)2年(651年)5月12日に白鳥社と号したのが始まりとのことだ。

東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
東京駒込 妙義神社(2023-04-27)

 狛猫がいる小さな祠は,妙義神社境内にある末社で「太田道灌霊社(おおたどうかんれいしゃ)」。
 太田道灌公が祀られている。

 太田道灌(1432〜1486)は,上杉家の重臣で江戸城を築いた人物として知られる。
 上杉家の策謀で主君により暗殺され悲劇の武将と呼ばれる彼は,ここ妙義神社の大神様を終生の守護神として崇めていたとのことだ。

 「勝負の神様」「戦勝の宮(みや)」として信仰を集めていたこの神社に,道灌は出陣前には戦勝を祈願,凱旋したらお礼参りをしたのだった。

太田道灌霊社@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
太田道灌霊社@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)

 太田道灌と猫の関係は?
 下記サイト様に詳しく書かれていたが,次のような概要だった。

 戦いの最中に道に迷った道灌は,黒猫の招きによって無事本軍に合流し戦勝できた。
 その黒猫を江戸城に連れ帰って可愛がり,猫が亡くなると石像を作って猫寺として知られる自性院に奉納した。

駒込妙義神社 / 東京都豊島区 | 御朱印・神社メモ

狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
狛猫@東京駒込 妙義神社(2023-04-27)

 訪れたのは4月の終わりで,鳥居の前に鯉幟が踊っていた。

東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
東京駒込 妙義神社(2023-04-27)
地図:東京駒込 妙義神社
地図:東京駒込 妙義神社
OpenStreetMap

妙義神社 – 東京駒込妙義神社公式サイト|勝負の神様 戦勝の宮

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銀河 〜昭和の硝子

 今年で築58年になる実家の窓硝子。
 この硝子窓は58年前のものではない。最初の窓は木枠で波板模様だったと思う。

 この「銀河」と呼ばれる模様のついたアルミサッシの硝子窓は,その後の改築,おそらく1976年頃,47年くらい前にはめ込まれたものだ。
 アルミサッシは当時テレビコマーシャルでも宣伝されていて,モダンな家の象徴だった。木枠の窓に比べると開け閉めも鍵かけも格段に便利! 窓に輝く星は誇らしげだった。

 なのに,時の流れは残酷なものだ。
 今ではそのアルミサッシ,低い断熱効果でやり玉に挙がっている。

 確かに夏は熱くて触りたくない。気をつけないと火傷してしまう。
 冬は冷え切った窓枠が窓全体を冷やし,露点に達した窓硝子には露がびっしり。細かな硝子細工の模様の中に水滴がたまり黒い黴が蔓延ってしまう。衛生的にもいかがなものかという感じだ。

昭和の硝子:銀河
昭和の硝子:銀河

 こういったレトロ硝子は今では作られなくなって希少だと聞く。
 あんなにどの家の窓にもはめ込まれていた硝子なのに…。寂しく残念に思う。

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