長閑の庭

久々に、何度も読み返したい恋愛コミックに出会った。

ドイツ文学を専攻する大学院生の元子が、
皆に恐れられる64歳の教授に恋をする物語。
全7巻で完結済。

☆☆☆

地味な内面と外見から、ドイツ語で黒を意味する“シュバルツ”さんと呼ばれる大学院生・元子(23歳)。憧れのドイツ文学教授・榊(64歳)に告白するも、勘違いと断言され…。これは“嗜好”か“恋”か。「恋の定義」を模索する、年の差 恋愛未満ストーリー。

Amazon内容紹介より

☆☆☆

表紙が如何にも古き良き少女漫画っぽく、
部屋に飾っておきたくなる美しさ。
しかも登場人物隊が成人ということもあり
しっとりと落ち着いた佇まい。

大人しそうな外見の主人公が
その辛そうな恋愛をどう乗り越えていくのだろうと興味が沸き
1巻と2巻がKindle無料だったのを機会に読んでみた。

2巻を読み終わった時点で
続きを読まない選択肢はなかった。

主な登場人物は5人。

  • 朝比奈元子 主人公。自分は可愛くないと思っている。成績優秀で真面目。実は可愛くてメルヘンな世界が大好き。
  • 榊郁夫 元子が憧れる教授。興味を持ったら徹底的にのめり込む性格。優しく誠実な故に厳しい。
  • 田中蓮 元子や榊教授と同じ研究室の助手で34歳。不器用で情熱的で教授も元子も大好き。
  • 富岡樹里 元子の同級生の院生で、可愛く明るく友人も多く元子の憧れ。努力家。
  • 朝霧翠 榊の元妻。作家でドイツ舞踊研究家。明るくパワフルで美しい59歳。今でも郁夫が好き。

元子はこんなことを言う女性だ。

…私は人に囲まれるより本に囲まれる方が好きです
言葉に宿った魂達が
私が求める以外は口を閉ざし
私に期待せず押しつけず
ただまってくれる

2巻

そして、榊教授はこんな考え方をする。

まっさらな美しい心だけ持つなど
理想だけ詰め込んだロボットと一緒だ
嫉妬心を常に抱えながら生きていくのが人間ではないのかね
そして嫉妬心があるからこそ人間は向上していく
嫉妬心を向上心に変えられないのは醜いことだが
向上心に変えられる人間は美しいと思う

2巻

樹里はこれを実践できる女性。

自信がないなら
努力すればいいだけでしょ

5巻

明るく軽そうな言動が多い田中だが、こんな言葉を語る。

とり返しのつかないことってさ
たいがい小さなキッカケが引き金になるんだよね
だましだまし動かしてた歯車がとうとう動かなくなった時
もう元に戻せない
あとのまつり―――

5巻

誰が見てもパワフルで明るい翠も、努力し傷ついている。

“種の保存”を考えるだけの生物だったらどんなに楽だったか知れないわね

4巻
Kindle版

5人各々の世界が
長所も短所も細やかに描かれる物語運び。
想いとは裏腹に小さな切っ掛けで擦れ違ったり、
ほんの一瞬の仕草や表情で世界が変わったり。
それが生きていくことであり人間関係だ。

どんな人にも幾つもの顔があり、
どれもその人自身なのだ。

「女の子っぽい」ことは自分らしくないと避けてきた元子も、
自分を肯定することを恐る恐る考え始める。

そういう人生の機微がたくさん詰め込まれている。

榊教授の凜とした雰囲気がとても美しく、
年を取っても背筋を伸ばし、
筋の通った自分をきちんと保ち、
日々の自分を律しながら生きる教授を見倣いたいと思った。

腕時計に関する榊教授の意見が
教授らしくて印象的。

“ただの時を刻む道具”
――くらいの潔いものが好きだ

7巻

読み終わった後ずっと、教授の仕事風景が頭から離れず、
思わず背筋を伸ばした生活になっている。
コミックといえば若い人が主人公が大半なので、
年配の人が持つ心の動きや悩みなど、
こんなにしっかり描いた作品も初めて読んだ気がする。

田中さんには幸せになって欲しいな…。

コミック版

武蔵野(国木田独歩)

『武蔵野』は国木田独歩による有名な随筆。
青空文庫などで無料で読むことができる。

国木田独歩は1871年(明治4年)生まれ。
千葉県に生まれるが、役人だった父親の転任先を転々とし、
山口県や広島県で少年時代を過ごした。
1887年に上京し、早稲田大学の前身、東京専門学校に入学。

1896年(明治29年)に渋谷村(現在の渋谷区)に住み始め、
『武蔵野』は、その2年後の1898年に、
『今の武蔵野』という表題で発表された。

独歩は『武蔵野』の中で武蔵野の範囲を定義しているが
その定義によると渋谷は武蔵野に位置している。

そこで僕は武蔵野はまず 雑司谷 から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。

『武蔵野』国木田独歩

独歩の定義によると、
多摩川が流れていない八王子は武蔵野でなく、
武蔵野台地の上であっても
大名屋敷跡などがある東京中心部も武蔵野に含まれない。

『広辞苑』による武蔵野の定義は
埼玉県の川越と東京都の府中市の間に広がる地域ということで、
独歩の定義とは少し異なっているかもしれない。
「武蔵野」の定義は様々で、正解というものはないのだろう。

山口や広島など中国地方で育った独歩は、
楢の木によって形作られた武蔵野の風景に魅了され、
武蔵野の自然の美しさを事細かに語る。

さまざまの光景を 呈するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。

『武蔵野』国木田独歩

また、武蔵野を歩く楽しさを情熱的に訴える。

武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。

『武蔵野』国木田独歩

詩人としても活躍した独歩の観察力と語彙力は、
120年前の武蔵野の風景や人々の生活を、
まるで映像でも見るように生き生きと描き出す。

武蔵野地方を吹き抜ける強風も、
独歩の手にかかると、こんな具合だ。

風が今にも梢から月を吹き落としそうである。

『武蔵野』国木田独歩

小金井市の玉川上水に架かる桜橋には独歩の碑があり、
また、桜橋のすぐ近くには独歩橋なる名を持つ橋もある。
『武蔵野』の中で、
独歩は夏の日の友人との散歩の思い出をこう語っているのだ。

自分はある友と市中の 寓居 を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ 真直 に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の 掛茶屋 がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。

『武蔵野』国木田独歩

なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。

『武蔵野』国木田独歩
桜橋の近くにある国木田独歩の文学碑
『武蔵野』に登場する小金井の桜橋
桜橋にある説明版。独歩の『武蔵野』にも言及されている。
玉川上水にかかる小金井市の独歩橋

独歩がどれほど武蔵野を愛し
武蔵野の自然に溶け込んでいたかが感じられる。

「田舎」とか「都会」という言葉が指し示す状態に
時代の差こそあれ、
独歩の時代も現代も、
武蔵野という地域の魅力は
独歩が下のように書いたそのままなのではないだろうか。

大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ちあって、緩やかにうずを巻いているようにも思われる。

『武蔵野』国木田独歩

武蔵野という地域を知っているのなら、
行ったことがあるのなら、
行ってみたいと思うのなら、
国木田独歩の『武蔵野』は
120年経っても一読に値する名著であると思う。

青空文庫を元にしたKindle本なら0円で読むことができる。