三鷹市 山本有三記念館

三鷹市 山本有三記念館(地図はクリックすると拡大して見られます。)

JR三鷹駅南口から徒歩12分。
玉川上水の南、風の散歩道沿いに建つ山本有三記念館。
近くには太宰碑もあり、
文学散歩をしつつゆっくりできる施設だ。

風の散歩道

門前にはみたかシティバスのバス停があり、
大きく案内板も出ているのでわかりやすい。

建物への入館は300円だが、
北側庭園と建物南の有三記念公園の散策だけなら
散歩ついでに無料で十分に楽しめる。

三鷹市 山本有三記念館
三鷹市 山本有三記念館

1926(大正15)年に建てられた洋風の建物で、
1994(平成6)年に三鷹市有形文化財に指定されている。

三鷹市 山本有三記念館
三鷹市 山本有三記念館
三鷹市 山本有三記念館

関東大震災以降、郊外への住宅移転が盛んになった頃、
実業家の清田龍之助によって建てられた。
清田が実業界を退いた後の1931(昭和6)年、
建物は競売にかけられ、山本有三によって購入された。

山本有三は1936(昭和11)年~1946(昭和21)年まで
家族とともにここに住み、
『路傍の石』『米百俵』などの代表作を執筆している。

三鷹市 山本有三記念館

建物は5回に及ぶ空襲から逃れて残ったが、
戦後、進駐軍に接収され、
接収が解除された後も山本が戻ることはなかった。

建物は1951(昭和26)年の接収解除以降、
下記のような変遷をたどって今に至る。

1953(昭和28)年まで国立語学研究所三鷹分室
1956(昭和31)年に山本から東京都へ寄贈
1958(昭和33)年から東京都立教育研究所三鷹分室「有三青少年文庫」
1985(昭和60)年に三鷹市へ移管
1996(平成8)年から「三鷹市山本有三記念館」

三鷹市 山本有三記念館
三鷹市 山本有三記念館
三鷹市 山本有三記念館

   三鷹市指定文化財
   三鷹市山本有三記念館(山本有三氏旧宅)
 種   別  重宝
 年   代  大正15年(1926)頃
 指定年月日  平成6年7月14日
 所 在 地  三鷹市下連雀二丁目12番27号
 著名な文学者で三鷹市名誉市民でもあり山本有三氏(明治20年~昭和49年)が、昭和11年から21年まで居住された建物である。同氏はここで代表作「路傍の石」を執筆したが、進駐軍に接収され転居した。その後、昭和31年に土地とともに東京都に寄贈され、昭和60年には三鷹市に移管された。平成8年11月に、有三氏の業績を顕彰するとともに、貴重な文化財としての保存を目的として、三鷹市山本有三記念館が開館した。
 この建物は、当時導入された海外の近代的様式の折衷的表現を試みており、特色のあるデザインを示す洋風建築である。特に外部の暖炉煙突の石積みは、日本にはめずらしい表現である。
  平成10年(1998)3月31日   三鷹市教育委員会

三鷹市教育委員会 山本有三記念館
三鷹市 山本有三記念館
有三記念公園

   有三記念公園
 少年、少女に心の糧を与え、育成しようとした故山本有三の意思を受け継ぎ、情操を高めるための公園として、昭和62年7月22日に開園した。
 建物の前庭から芝生のある自然空間がひろがり、有三が愛した築山の竹林、故郷栃木から運ばれた石で造った池が園路で区分された、有三の好んだ読書と休息の庭である。
 「・・・私は、昔から竹が好きです。前のうちでも、今の住まいでも、私は庭や入り口に竹を植えております。」・・・「「雪もちの竹」より
   総面積:1305.20m^2

有三記念公園
有三記念公園

門の前には『路傍の石』の石が鎮座している。

路傍の石
路傍の石
路傍の石

 名作を記念する“路傍の石”
 小説「路傍の石」執筆当時の昭和12年、有三は中野旧陸軍電信隊付近の道ばたでこの大きな石を見つけ、この家の裏庭に運び込んだと伝えられています。この石は、作品の名に因み、いつしか“路傍の石”と呼ばれ親しまれるようになり、その後、東京都に寄附された山本邸が昭和33年有三青少年文庫として開設されるときに現在の位置に移されました。
 山本有三記念館の開館にあたり、有三の名作「路傍の石」を記念するものとして、この石の由来を記します。
   三鷹市 平成8年11月3日

“路傍の石” 三鷹市

玉川上水を歩く (30) 風の散歩道

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目の2019年2月18日、四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで歩いた。

3日目の2019年3月24日は、
前回の終点、岩崎橋を出発し、
三鷹駅前の三鷹橋までを歩いた。

この記事で歩いた部分を地図上に青線で示した。 地図はクリックで拡大する。

この記事では吉祥寺通りと玉川上水の交差点から
三鷹駅前にある三鷹橋までの写真を載せた。
この区間の玉川上水沿いの道は上水の南北で一方通行。
道には各々名前が付いており、
上水の北は東向きで「御殿山通り」。
上水の南は西向きで「風の散歩道」。
史跡が集中する風の散歩道の方を歩いた。

風の散歩道
玉川上水の北の御殿山通りを行くみたかシティバス

みたかシティバスのバス停は随分と可愛らしい。

みたかシティバス バス停

山本有三記念館は風の散歩道沿いにあって、
バス停もあり大きく看板も出ていてわかりやすい。
建物に入らず庭を散歩するだけなら無料なので
ぜひ立ち寄って見学しておきたい。

三鷹市山本有三記念館

1926年(大正15年)に建てられた建物で、
山本有三はここに1936(昭和11)年~1946(昭和21)年まで住んだ。
建物は5回に及ぶ空襲から逃れて残ったが、
戦後、進駐軍に接収された。

三鷹市山本有三記念館
三鷹市山本有三記念館

門前には「路傍の石」が鎮座している。

なお、山本有三記念館の写真は別記事にまとめた。
 → 三鷹市 山本有三記念館

路傍の石

山本有三記念館から少し西へ歩いたところに「むらさき橋」。

むらさき橋

武蔵野市と三鷹市を結ぶむらさき橋は、
1955年に架けられ、1998年に架け替えられている。

橋の名は、公募から両市の市長が審査し決めたとのこと。
古今和歌集で詠まれた武蔵野の紫草と、
紫草で染めた「むらさき染」が名前の由来で、
橋の袂にそれを記した案内板がある。

むらさき橋

むらさき橋から少し西へ歩いた歩道脇に
玉鹿石(ぎょっかせき)と書かれた石がある。

玉鹿石

青森県北津軽郡金木町産
1996年(平成8年)6月

玉鹿石(ぎょっかせき)
玉鹿石(ぎょっかせき)

歩道の脇に意味ありげに置かれているが、
書いてあるのはたったこれだけ。
普通ならよく分からずに通り過ぎてしまうだろう。
だが、この石は太宰治の故郷から運ばれてきたもので、
このあたりの玉川上水で太宰治は入水自殺を図ったのだ。
玉鹿石のすぐ西に、太宰碑がある。

太宰碑
太宰碑
太宰碑

太宰治が自殺を図ったのは、
1948(昭和23)年6月13日。
愛人の山崎富栄と共に玉川上水に入水した。
2人の遺体が発見されたのは、
太宰の誕生日でもある6月19日。
6月19日は太宰が死の直前に書いた短編にちなんで
「桜桃忌」と名付けられている。

太宰碑があるあたりの歩道
太宰が入水したあたりの玉川上水
太宰治が入水したあたりの玉川上水

それにしても上水で自殺を図るとは
随分と人の迷惑を考えない行為ではないか…。
太宰碑も、玉鹿石と同様、
気をつけて歩いていないと見逃してしまいそうだ。

太宰碑

玉川上水の土手には
植物たちの春の息吹が満ちあふれて、
大変美しかった。

玉川上水土手の楓の木

三鷹橋の近くまで歩くと上水脇の生垣がなくなって、
玉川上水の水面がよく見えた。
太宰が入水した頃は蕩々と流れていたであろう上水は、
今は入水自殺など困難な、大人しい流れになっている。

三鷹橋近くの玉川上水