玉川上水を歩く (64) 五丁橋から福生橋

福生橋から見た玉川上水

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index


1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

7日目の2019年5月3日は、
見影橋を出発、拝島駅駅前の平和橋まで歩いた。

8日目の2019年5月5日は、
平和橋を出発、玉川上水の起点である
羽村取水口まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事では、
8日目、水喰土公園の近くの五丁橋から
新奥多摩街道(都道29号)が玉川上水を渡る
福生橋までの写真を載せた。

水食土公園を出て青梅線の線路沿いを歩き,
最初の踏切を背に玉川上水の橋の方へ右折する。
玉川上水に架かっているのは五丁橋。

五丁橋

橋を渡って武蔵野台地へ上ったところに
かつて「五丁山」という山林があり、
それが橋の名の由来になっているそうだ。

この日は気づかなかったが、
橋のほとりに「三界万霊塔」と刻まれた慰霊塔があり、
かつて「念仏橋」とも呼ばれていたとのこと。
昔から架かる橋で村に管理されていたが、
昭和39年3月に現在の橋に架け替えられている。

五丁橋の足元にあった案内板

五丁橋の上流は玉川上水沿いが住宅地になっていて
長らく続いていた玉川上水緑道がない。
橋を渡ってすぐに左折し、住宅地の中を歩く。

多摩川の河岸段丘で
住宅地には大きな段差と坂道がある。
坂道を下りると青梅線の線路沿いの道に出た。

青梅線沿いをしばらく歩き、
踏切を渡って、山王橋通りを南下。
玉川上水の山王橋へ向かう。

山王橋交差点

昔,わらつけ街道の東の方にあった「山王塚」という池に,
福生院の住職が建てた石塔「山王大権現」があり,
寺と塚を結ぶ道に架けられたこの橋は「山王橋」と呼ばれた。

石塔は,現在は地主の森田家邸内に移され祀られているとのこと。

かつては木橋だったが、昭和37年に架け替えられ,
平成12年度には下流側に歩行者用の山王橋が新設されている。

山王橋歩道橋

山王橋の上流側には大きな水道管が通っていた。

山王橋の北詰から玉川上水の横の道を上流へ向かって歩く。

山王橋の北詰から続く玉川上水沿いの道

しばらく玉川上水沿いに歩いたあと、
住宅地の入り組んだ道を通り、
福生橋が架かる都道29号(奥多摩街道)を目指す。

福生橋は新奥多摩街道に架かる。

新奥多摩街道と福生橋
福生橋

橋の名は,
「福生町広報」昭和33年1月号にて募集され,
「福生橋」と命名されたそうだ。

福生橋付近も玉川上水のほとりは住宅地となっており、
横を歩ける緑道は整備されていない。
このため、橋を見た後は
新奥多摩街道(都道29号)を歩いて上流方面へ向かった。

参考:
ふっさの「橋」|東京都福生市公式ホームページ

玉川上水を歩く (63) 日光橋公園と水喰土公園

水喰土堀跡

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index


1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市鷹の台駅近くの鷹の橋まで。

6日目の2019年4月21日は、
鷹の橋を出発、立川市武蔵砂川駅近くの見影橋まで歩いた。

7日目の2019年5月3日は、
見影橋を出発、拝島駅駅前の平和橋まで歩いた。

8日目の2019年5月5日は、
平和橋を出発、玉川上水の起点である
羽村取水口まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事では、
8日目、武蔵野橋の袂の日光橋公園と、
玉川上水開削の難関だった水喰土公園の写真を載せた。

武蔵野の雑木林と玉川上水が楽しめる日光市公園と
その少し上流にある水喰土公園を合わせると、
敷地は約1万6000平方メートル。

敷地の2/3に武蔵野の雑木林が残され、
貴重な植物や野鳥が観察される。

日光橋公園の緑道を歩き、JR八高線の高架を潜る。

前方に八高線の高架が見えてきた。

八高線の高架より少し上流へ歩くと、
緑道は斜面を上り、水喰土公園の中へ入っていく。
公園内は、夜間は通行禁止なのだろうか?

八高線と青梅線の線路に挟まれるように水喰土公園がある。
水喰土公園に入ると水喰土堀跡の案内板があり、
案内板の足元あたりに黄色い花が目に付いた。

ラン菌がいるところでしか育たない
珍しい「キンラン」という花なのだそうだ。
白い花は同じく「ギンラン」だとのこと。
運良く、丁度キンランとギンランの季節に訪れたのだった。

 キンランはラン菌が無いと育成しない植物で、ラン菌ができる環境が必要です。
 この場所がそれに適しているので、群生するように見守ってください。
    福生市施設公園課
    みずくらいど公園 ボランティア

水喰土公園の立て看板
水喰土公園

水喰土公園は、ほとんど山の中の小径といった風情だ。
雑木林の中を歩いて水喰土堀跡へ向かう。

 市指定史跡 玉川上水開削工事跡

 所 在 地 福生市大字熊川一三五九番地一
       福生市都市公園「みずくらいど公園」内の一部
 指定年月日 平成二年十一月一日

 玉川上水開削工事跡は、江戸幕府が承応二年(一六五三)に江戸市中の飲料水の確保を目的として、多摩川より引水し、江戸市中へ配水するために行った開削工事の跡です。
 開削工事の跡は、この「みずくらいど」公園に残っていますが、この遺跡は工事が失敗し、新しい堀を北側に掘り直したため当初計画した堀跡が残されたものです。
 この付近の土地は、古くから「みずくらいど」と呼びならわされてきました。これは、玉川上水開削のおり、この付近で水が地中に吸い込まれ、工事が失敗した土地であるとの故事により発生したといわれます。事実、承応二年以後に作成された古文書や古地図には「水喰戸」、「水喰ノ上」の文字が現れます。
 開削工事の跡は、「みずくらいど公園」の北にある玉川上水五丁橋付近より立川段丘崖線に沿って南へ延び、武蔵野橋公園付近で東へ方向を変え、西武鉄道拝島駅前の玉川上水平和橋の付近まで、約一キロメートルにわたって残存していたと伝えられます。しかし、現在は、みずくらいど公園内及び付近に開削工事の跡が残るのみです。
 この玉川上水開削工事跡は、近世前期の大規模な土木工事の遺構として、歴史的学術的に大変貴重です。
    福生市教育委員会

市指定史跡 玉川上水開削工事跡の説明板
「これから」(平成2年度設置 作者:林宏)

公園内を出入り口の方へ歩いて行くと、彫像があった。

   これから
ひざを抱えて 空を見上げてる女性像です
彼女は 空の雲や星を見ながら
自分の「これから」について
考えているものと思われます
   平成2年度設置 作者名 林 宏

水喰土公園の彫像「これから」の説明板

どんぐり橋の近くにあった「いぶき」と同じく、
福生市の都市景観事業で設置された環境彫像だとのこと。

アートのある街|東京都福生市公式ホームページ

出入り口の正面に青梅線の線路が見え、
ここから公園の外に出た。

水喰土公園の出入り口と青梅線の線路

公園の出入り口には福生市の公式キャラクター
「たっけー☆☆」の看板が並ぶ。

「たっけー☆☆」は,2004年に誕生したキャラクターで、
福生七夕まつりに因んだ竹(飾り)の妖精なのだそうだ。

福生市の玉川上水散策コースの地図看板

水喰土公園の出入り口前にあった地図看板。
3種類の玉川上水散策コースが紹介されている。

青梅線の線路と水喰土公園の案内板

青梅線の線路に沿って玉川上水の五丁橋へ向かった。