玉川上水を歩く (44) 小川水衛所跡から久右衛門橋

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市の鷹の台まで歩いた。

この記事で歩いた部分を青線で示した。地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事には、小川水衛所跡を出発し、
玉川上水と府中街道(都道17号)が交差する
久右衛門橋までの写真を載せた。

玉川上水緑道

小川水衛所跡の周辺は、玉川上水の北は玉川上水緑道、
玉川上水の南は一方通行の玉川上水通り。
北側の緑道を歩いて上流へ向かった。

小松橋

小川水衛所跡から歩き始めてすぐのところに
歩道と作業スペースが隣り合った小松橋。
平成に入ってから架橋された新しい橋だ。

小松橋
小松橋

小松橋の先にスズメバチに注意を促す看板があった。

スズメバチ注意看板

小松橋からしばらく玉川上水を遡ると
鎌倉街道に続く鎌倉橋がかかっている。
小平を通る鎌倉街道は、
鎌倉から町田・府中・狭山を経て高崎や長野方面へ向かう道で、
歴史と文化の散歩道にもなっているようだ。

鎌倉橋を北から見る
鎌倉橋

歴史と文化の散歩道「22.府中国分寺コース」
(4)小平新田散歩(国分寺駅-新小平駅5.1Km)
小平の街は,青梅・五日市街道沿いの
新田開発から生まれたことからこの名前がついているとのことだ。

小平新田散歩の案内版

新堀用水の碑も設置されていた。
玉川上水緑道を挟んで玉川上水の北を流れる新堀用水は、
玉川上水から取水し、明治3(1870)年に開削されている。

新堀用水 鎌倉橋エリアの碑
新堀用水 鎌倉橋エリアの碑

野鳥用の巣箱が設置されていたり,
草木が植えられていたりして,このあたりの緑道は自然豊か。
散歩していても大変気持ちの良い道だ。

鎌倉橋付近
鎌倉橋付近
鎌倉橋付近

新堀用水に度々かかる小さな橋は住宅地に続き、
緑道が日常的に住民に使われていることがわかる。
また橋の向こうは下り坂になっていて、
玉川上水が尾根筋を流れていることもよくわかる。

新堀用水から住宅地へ向かう道

鎌倉橋の少し上流に水道施設があった。
このすぐ近くを武蔵野線が走っている。

鎌倉橋近くの水道施設
鎌倉橋付近の水道施設

緑道にベンチがあったので一休み。

鎌倉橋近くのベンチ

高尾山などでもよく見かける自然観察用の説明板があった。

光と下草の関係
つる植物のいろいろ

程なく辿り着いた久右衛門橋は、
玉川上水と府中街道(都道17号)の交差点。
車通りが多く、橋は車道と歩道に分かれ、
信号もある大きな交差点だった。

久右衛門橋交差点
久右衛門橋の親柱
久右衛門橋と玉川上水緑道

橋の親柱には、玉川上水橋梁群整備の
立派な記念銘板がはめ込まれている。

久右衛門橋の下流側親柱
玉川上水橋梁群精美のメダル

また、橋の説明板も立派な石造りで整備されていた。

久右衛門橋 説明板

久右衛門橋(きうえもんばし)
 現在の久右衛門橋は、本橋については昭和7年3月、人通橋については昭和48年3月にそれぞれ架けられました。
 久右衛門橋の橋名は、名主久右衛門の名前に由来していると言われています。
 江戸亨保年間に、徳川幕府第8代将軍吉宗により新田開発が奨励され、新田開発が盛んになりました。これにより玉川上水の南側の新田開発が行われ、この開発に伴って、ここに初めて橋が架けられたものと思われます。
 東京都では、平成3年度に行った久右衛門橋整備工事において、まわりの環境に留意し、現橋のイメージを大切にしながら、本橋と人道橋を一体化し、鋳鉄と石を用いてアカデミックな橋とするべく、親柱や高欄,歩道舗装の改善などをおこないました。
 本橋部
 ・橋長 6.60m
 ・幅員 8.45m
 ・構造形式 レンガアーチ橋
       RC床版橋
 ・架設年次 昭和7年3月

久右衛門橋の説明板
久右衛門橋 説明板の橋の図
久右衛門橋の上流側親柱
府中街道と久右衛門橋
久右衛門橋と下流方面の玉川上水通り
久右衛門橋から見た上流側の玉川上水
久右衛門橋脇の「ふれあい下水道館」の案内看板

久右衛門橋から府中街道を少し南下したところに、
小平市の「ふれあい下水道館」がある。
本物の下水道を見られる珍しい施設だ。

小平市のマンホール

入場料は無料なので気軽に見学できる。
玉川上水で水道に親しんだついでに、下水道にも親しんでみよう。
下水道館では小平市のマンホールカードも配布されている。

玉川上水を歩く (43) 小川水衛所跡

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目は2019年2月18日。四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2日目の2019年3月20日は、前回の終点、
新宿区笹塚「南ドンドン橋」を出発。
杉並区久我山の「岩崎橋」まで。

3日目の2019年3月24日は、
岩崎橋を出発、三鷹駅前の三鷹橋まで。

4日目の2019年3月31日は、
三鷹駅を出発、桜を見ながら小金井橋まで。

5日目の2019年4月6日は、
小金井橋を出発、小平市の鷹の台まで歩いた。

地図はクリックすると拡大して見られる。

この記事には、
小川水衛所跡とその周辺の写真を載せた。

小川水衛所跡の周辺は,
玉川上水の北側が玉川上水緑道として整備されており,
玉川上水の南側は玉川上水通りという名の細い道と
五日市街道(都道7号)が走っている。

名勝境界の碑

国指定名勝「小金井(サクラ)」の起点として
境橋と小川水衛所跡の岸にある境界石。

境橋の境界石の写真は → 玉川上水を歩く (35) 桜橋から境橋

名勝境界の碑

小川水衛所跡周辺は、
ちょっとした公園のような雰囲気に整備されている。

小川水衛所跡
小川水衛所跡
小川水衛所跡
小川水衛所跡から見た玉川上水
小川水衛所跡から見た玉川上水

小川水衛所跡の南側に設けられた東屋の前に,
玉川上水や水衛所についての説明板があった。

小川水衛所跡の説明板

小川水衛所跡について
水衛所:すいえいじょ(水番所:みずばんしょ)とは
 水衛所とは、江戸市中への水を確保するため、水番人(みずばんにん)と呼ばれる人が常駐していた場所です。水番人は、玉川上水に流れる水量の確認や周辺の巡回、流れてくる落ち葉の掃除などを行っていました。水衛所は、江戸時代には奉行の支配下におかれ、「水番所」と呼ばれていました。

小川水衛所について
 小川水衛所跡は、明治維新後、東京市水道部(現在の東京都水道局)が管理することになったことから、明治27年に水番所を水衛所と名前を変え、引き続き職員(水衛)が常駐し、玉川上水の点検や清掃などを行っていました。その後、淀橋浄水場の廃止に伴い玉川上水への通水を停止したことから、小川水衛所は昭和55年3月に廃止されました。水道局では、史跡である玉川上水をより身近に感じていただくため、水衛所跡地を散策路として、平成24年度に整備しました。

東京都水道局 小川水衛所跡について
玉川上水の説明板

国指定史跡 玉川上水
江戸・東京の水道に果たした役割
 玉川上水は、羽村取水口から四谷大木戸までの約43kmにわたる水路で、承応3(1654)年に完成しました。これにより、多摩川の水が江戸市中の広い範囲に供給されることとなり、江戸が大きく発展することができました。
 その後、明治31(1898)年に完成した淀橋浄水場(今の新宿区)への水路として、昭和40(1965)年に同浄水場が廃止されるまで、利用されていました。
 現在も羽村取水口から小平監視所までは、現役の水道用の水路として、都民の生活を支えています。

貴重な土木施設・遺構としての歴史的価値
 玉川上水は、約43kmの区間を約92mの標高差(100mでわずか21cmの高低差)を利用して、水を流すように設計された長大な土木施設・遺構です。
 特に、小平監視所から浅間橋までの中流部には、開削当時の素掘りの水路・法面(のりめん)が多く残され、往時の姿を今日に伝えています。
 玉川上水は、近世の水利技術を知る上で重要な土木施設・遺構であることから、平成15(2003)年8月、開渠(かいきょ)区間約30kmが国の史跡に指定されました。

国指定名勝「小金井(サクラ)」の起点
 元文2(1737)年、江戸八代将軍徳川吉宗の時代に、玉川上水の両岸に奈良県の吉野山や茨城県の櫻川から多品種のヤマザクラの移植が開始され、関東随一の桜の名所として賑わいました。
 ヤマザクラはその後も植え継がれ、大正13(1924)年、現在地の小川水衛所跡から境橋までの約6kmにわたるサクラ並木が、国の名勝に指定されました。
 写真は、その起点を示す境界石の一つです。境界石は小川水衛所跡及び境橋の両岸にあります。

 昭和61(1986)年からは、東京都の清流復活事業により、小平監視所から浅間橋までの区間に下水高度処理水が流され、水辺空間が復活しています。
 玉川上水に関する情報は https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/ でご覧いただけます。

東京都水道局 玉川上水説明板
小川水衛所跡と説明板
玉川上水通りと玉川上水説明板
玉川上水通り
玉川上水通り
五日市街道
五日市街道

五日市街道を少し歩いて玉川上水の方へ戻ろうとすると、
五日市街道と玉川上水に挟まれるように
小さなお寺、上鈴木不動尊があった。

上鈴木不動尊

小さいが美しく整備されている。
古い石碑や仏像が並んでいて、
古くからこの地で信仰されていたことを感じさせられる。

上鈴木不動尊
上鈴木不動尊
小川水衛所跡と玉川上水緑道
こだいら名木百選の札
小川水衛所跡から見た玉川上水

小川水衛所跡の周辺を一回り散策し、
玉川上水の北側の緑道へ戻って上流方面へ移動を再開した。