電脳コイル

 12年前にNHK教育の夕方枠で放映されたアニメ作品。dアニメストアで視聴した。

  • 放映:2007年5月12日~12月1日
  • NHK教育 土曜日18時30分
  • 全26話

 電脳技術が普及した2020年代が舞台で、「電脳メガネ」をかけると現実世界と重ねて電脳情報が表示されるようになっている。小学生たちは「メガネ」が大好き。現実世界は日々変化し、電脳世界も新しく更新されていく。しかし消されずに残った古い情報がバグとなって子供達の興味と遊びの対象となっていく。おかげで出てくる子供達はみんな眼鏡っ子。メガネフェチの人にお勧め?

 2007年文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞・第7回東京アニメアワードTVアニメ部門優秀賞・第39回星雲賞メディア部門・第29回日本SF大賞などを受賞し、未だ業界の目標になっているような伝説のアニメだけあって色々と凄かった。決して忘れられないだろう。2007年と言えばまだスマホもなかった。ニコニコ動画が始まって初音ミクが生まれてワクワクしていた頃だ。その頃に作られた作品とは思えないほど正確に近未来が予想され描かれている。
 アニメの物語構成もよく練られている。26話をかけて丁寧に作られており、前半は登場人物たちと世界観をゆっくりと説明、途中から怒濤の展開で息もつけなくなる。夕方枠で小学生を対象に作られているはずだが、これを小学生の頃に見たら恐ろしくて夜トイレに行けなくなったのではないか?
 主人公が小学生だったり、作画が優しくノスタルジーだったりすることに騙されてはいけないハードSFだ。小学生に理解できるのかとも思うが、こういった先端分野は小学生の方が理解できるのかもしれない。

 理解が足りない部分が多々あったので続けて2周目を見ようかと思ったが、画質がイマイチだったのでBlu-rayBOXを買って2周目はそちらで視聴する予定で現在到着待ち。
 綺麗に終わるラストだったが、ヤサコとハラケンよりヤサコとイサコの関係の方が私には遙かに気になったのだった。

 そう、登場人物の名前が昭和中期?って感じなのが良かった。ユウコ・フミエ・タマコ・キョウコ・ケンイチ・アキラ。イマドキのアニメにこんな古風な名前オンパレードは珍しいが、近未来というより昭和中期?ってなノスタルジックな風景にもよく似合っていた。
 「触れる物だけが真実」というヤサコの母親の意見は「ネットの友達は本当の友達ではない」と言いたがる人々と重なった。ネットに支えられて生きている私とそういった意見を持つ人々との間には、どうにも行き来できない深い溝があるよねと思う。

 SF、ハードなSFが好きな人にはお勧めのアニメだと思う。

玉川上水を歩く (21) 玉川上水第三公園

東京と縁もゆかりもない人であっても
「玉川上水」という名前は聞いたことがあるだろう。

玉川上水は、
人口が増え続ける江戸に飲み水を供給するため、
1653年に玉川兄弟によって作られた。

羽村取水堰で多摩川から取水し、
武蔵野台地を流れて四谷大木戸まで全長43km。
本企画「玉川上水を歩く」では、
この43kmを四谷から羽村まで遡って歩いてみた。

→ 玉川上水を歩く Index

1日目の2019年2月18日は四谷大木戸を出発し、
玉川上水暗渠の上の緑道を笹塚まで歩いた。

2回目2019年3月20日は前回の終点、
笹塚「南ドンドン橋」を出発。

まず環七通りまで南西方向へ歩き、
環七横断地下道を通り抜け北西へ。
代田橋駅前から甲州街道に入って西へ向かい、
災害時給水拠点の巨大タンク(和泉水圧調整所)前で
井の頭通りの西へ。
玉川上水暗渠の上に作られた玉川上水公園を通り、
京王井の頭線を越えて再び甲州街道へ出た。

杉並区内の玉川上水暗渠の上は
東京都水道局から借地して3つの公園と1つの緑地が作られている。
下流から玉川上水公園・玉川上水永泉寺緑地、
そして玉川上水第三公園・玉川上水第二公園。
全長約2,000メートルの散歩道だ。

この記事で歩いた場所を地図上に赤く示す。

永泉寺緑地と第三公園の間に架かる
下高井戸橋から玉川上水第三公園を見下ろす。
東端のサーキットはローラースケート場らしい。

下高井戸橋から見下ろした玉川上水第三公園

第三公園のすぐ北に龍泉寺という寺があり,
説明版に玉川上水と橋について記されていた。

龍泉寺についての説明版

   龍泉寺
 当寺は、嶺玉山と号する曹洞宗寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。
 開創年代は、元禄・享保の二度の火災により記録を消失したため明らかではありません。寺伝によれば、慶長八年(一六〇三)八月、江戸麹町(現千代田区紀尾井町)に開創されたと伝えられています。
 開山は、当時の本寺であった江戸四ツ谷北寺町(現新宿区舟町)の雄峰山全勝寺二世普庵瑞迪(しんあんずいてき)大和尚で、元和七(一六二一)年三月に亡くなっています。
 寛永年間(一六二四~一六四四)に、江戸麹町から四ツ谷南寺町(現新宿区須賀町)に移転し、更に明治四十二(一九〇九)年,同地の区画整理に伴い当地へ移転しました。
 この門前を流れていた玉川上水には、木造の龍泉寺橋が架かっていて、春は桜が清流に映え、六月は河岸を蛍が飛び交い、杉並でも指折りの景勝地でした。
 また、当寺には「六地蔵」と共に、「北向地蔵」と呼ばれる高さ一メートルの石造の地蔵菩薩像があり、江戸時代から額に北風を受けることから、熱病などに大変霊験あらたかと、篤い信仰を集めていたと伝えられています。
   平成三十一年二月 杉並区教育委員会

杉並区教育委員会の説明版

ここに記される龍泉寺橋は道路整備で取り壊され
代わりに架けられたのが下高井戸橋であるらしい。

龍泉寺

恒例の禁止看板。
一つの公園内の同じ看板は1枚だけ撮ったので、
当然たったこれだけだったわけではない。

この公園の遊具の特徴は、
玉川上水を思い起こさせるためなのか船のジャングルジム。
それから数々の動物のオブジェだ。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園の遊具
玉川上水第三公園の船のジャングルジム
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園

玉川上水第三公園は全長500mを越える。
その中程には暗渠に架かる小菊橋があった。

小菊橋
小菊橋

橋を横切り公園の西半分へ差し掛かる。
やはり沢山の動物のオブジェが並び、
人っ子一人見当たらない園内は
少々不気味に見えた。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園の動物のオブジェ
玉川上水第三公園の禁止看板

この公園の開園は昭和46年7月。
団塊ジュニア世代に向けて整備されたのだろうか。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園

この日は一部工事中で立ち入り禁止だった。
あまりにも閑散としていたので、
工事が終わった公園に人が集い賑わうことを
思わず心から願ったのだった。

玉川上水第三公園
玉川上水第三公園

玉川上水第三公園の側道から周辺の住宅地へ下りる階段があり
玉川上水が尾根筋の高い部分を流れていることがよくわかった。

玉川上水第三公園側道から住宅地方面へ下りる階段
玉川上水第三公園の西端

都道428号線、荒玉水道道路が
玉川上水第三公園の西端。
道路を横切ると玉川上水第二公園となる。

ちなみに荒玉水道(あらたますいどう)は
東京の人口が増加した大正から昭和中期に、
多摩川の水を
世田谷から中野・板橋方面へ送った地下水道管。
中野区には今も野方配水塔が残っているらしい。